「即位の礼」を振り返る~「即位礼正殿の儀」で起こった神話のような奇跡~

ライターPOINT DE VUE JAPON 編集部
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

天皇陛下と雅子さまの即位から4年となる今日、今も多くの人の心に残る「即位の礼」を振り返ります。
天皇陛下の御即位を広く披露するための「即位の礼」は、令和元年10月22日(火)から国の儀式として行われました。儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方が参列されたほか、外国の元首や王族、それに内閣総理大臣など三権の長や各界の代表など、およそ2000人が参列しました。

Embed from Getty Images

当日は朝から雨が降る中、中庭での古式ゆかしい装束での参観者のお迎えも、雨のため屋外は人を少なくし屋内に配置替え、変更されたほどでした。
ところがどうでしょう、令和天皇が高御座の紫の帳を二人の侍従により左右に開けられ、天皇は黄櫨染御袍に身を包み静々とお出ましになる丁度そのときのことでした。今まで降っていた雨が、まるでスイッチを入れて止めたかのようにピタリと止みました。

さらには、陛下が即位礼正殿の儀での即位を宣明され始めると、雨雲は解き放なたれ、雲間から清々しい陽光がのぞき、一瞬にして宮殿の空には大きい七色の虹の橋がかかったのです。陛下の宣明に全員起立した時だけに、参列者がそれに気づき、唖然とし、暫し言葉をなくし、立ちすくんでいました。偶然の重なりなのでしょうが、あまりにものタイミングといい、虹の方向といい、古式豊かな神秘的な日本天皇の即位式のときの、このミステリアスな気象の変化には、参列者の方々は神宿る国日本で不思議な体験をなさったことになりました。

Embed from Getty Images

即位礼正殿の儀は、天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式で、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たります。このため国内外から賓客が招かれ、特に国外からは主に国家元首あるいは首脳が参列しました。古来、大内裏内の大極殿、大内裏が廃絶して以降は京都御所内の紫宸殿で行われていたものです。東京奠都を経た後も、1889年(明治22年)公布の旧皇室典範で『「即位の礼」と「大嘗祭」は京都で行う』との規定により、大正天皇および昭和天皇の即位礼は京都行幸の上で「即位礼紫宸殿の儀」として行われました。
1947年の皇室典範改正では第二十四条に「皇位の継承があつたときは即位の礼を行う」とあるのみでその斎行場所についての記述がなくなり、平成2年(1990年)11月12日の125代天皇・明仁の即位礼は東京・皇居で行われ、名称も「即位礼正殿の儀」と改められました。

Embed from Getty Images

天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられました。続いて当時総理大臣であった安倍総理大臣が天皇陛下の前で「寿詞(よごと)」というお祝いの言葉を述べました。

「即位礼正殿の儀」について海外の複数のメディアでは、儀式の様子を生中継で報じました。また、アメリカCNNなども速報で伝え、皇位のしるしである「三種の神器」のうち「剣」と「勾玉」について、「公に目にすることができず、古代からのミステリアスな品だ」と解説。
イギリスBBCは「激しい雨風が儀式開始とともにやんだ。ソーシャルメディアでは、儀式に間に合わせるかのように、虹が現れたと投稿する人もいた」と紹介しました。

(Visited 96 times, 3 visits today)
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
TOP