9月7日、一周忌を迎えられたエリザベス女王陛下。あらためて哀悼の誠を読者と共に捧げます。その色褪せぬ数々の功績、多くの人々から支持された生き方をご紹介します。
今回は最愛の夫、フィリップ殿下の生い立ちを軸に二人の出会いを振り返ります。
2人は遠い親戚関係にあたる
Embed from Getty Images2021年12月に崩御されたフィリップ殿下。1921年6月10日、当時のギリシャ国王の弟の長男として生まれます。フィリップ殿下の父方の曽祖父はデンマーク王。このデンマーク王がエリザベス女王の曽祖母の父親、つまりは高祖父にあたり、二人は遠い親戚関係にあるのです。
さらに二人は、フィリップの母方の家系とも親戚関係にあります。フィリップの母は、エリザベス女王から4代さかのぼった英国の君主ヴィクトリア女王の血を受け継ぐ王女であり、その父はドイツ系英貴族。エリザベス女王とフィリップ殿下が過ごすウィンザー城で生まれました。
19世紀後半の大英帝国を率いたヴィクトリア女王は、高祖母にあたります。父方と母方のいずれの家系においても、4、5代さかのぼれば2人は同じ祖先なのです。
生まれてすぐに亡命
Embed from Getty Images王位継承順位第6位のギリシャ王族として生まれたフィリップ王子。しかし、生後わずか1歳6カ月直後に同国でクーデターが発生し、両親、4人の姉と共に亡命します。この時家族は、親戚関係にあったエリザベス女王の祖父であるジョージ5世の手助けを受けギリシャを後にし、パリに居所を移したのです。
亡命以後、フィリップの母親は躁うつ病に悩み、次第に日常生活が困難になり、やがてスイス療養所に収容されます。一方の父親は、愛人と暮しモナコへ。モナコでは酒、賭け事に溺れてゆきます。4人の姉は次々と結婚し、残されたフィリップは孤独な幼少期を過ごすのです。
家庭崩壊後、フィリップは母方の家族の勧めもあり8歳の時、パリのアメリカン・スクールから、イングランド南部バークシャーにある寄宿制の私立小学校チームに転校します。休日は、祖母が暮らすケンジントン宮殿で過ごしていました。同校への入学時には英語よりもフランス語を流暢に話し、勉学、スポーツ共に優秀な成績を残します。
Embed from Getty Images13歳の時、ドイツ系貴族の血を受け継ぐ母方の親戚の意を受け、ドイツの学校ザーレムに入学させられます。当時はナチスの影響力が強く、校内にはかぎ十字が描かれた旗が掲げられていました。ユダヤ系であったザーレムの校長は、ナチスから逃れてスコットランドにゴードンストウン校を新設、フィリップもこの学校に移籍します。強靭な人格の形成を主眼とする規律の厳しい男子校で航海技術を学び、卒業後はイングランド南東部端にあるダートマス海軍兵学校に入学しますが、ここで運命の出会いが待っていました。
エリザベス女王との出会い
フィリップとエリザベスは、同じ祖先の血を分けた王家の親戚ということもあり、家族同士では顔を合わせた事がありました。しかし、二人が本当の意味で出会ったのは、フィリップ18歳、エリザベス13歳の時。
当時、英国王ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を訪問した際に、長女のエリザベス王女のお世話をフィリップが務めたのです。容姿端麗なフィリップは、テニス・コートへ王女をお誘いになり、そのコートに張られていたネットの高跳びを披露したと伝えられています。王女はその場でお付きの人々にフィリップの素晴らしさを語っています。以後、フィリップが親戚付き合いなどを兼ねて王室関連行事に出席するようになり、エリザベス王女は彼への関心を高めていきました。
戦時中の遠距離恋愛、帰化、様々な困難を乗り越えて
フィリップはダートマス海軍兵学校を卒業後、士官候補生として英海軍に入隊。第二次大戦に従軍し、戦争中は着実に昇進していきます。
当時、既にフィリップとエリザベスは遠距離恋愛を続けていました。フィリップはエリザベスの写真を、またエリザベスはフィリップの写真を手元に置いていました。お付きの人間に自重を求められると、王女は顔中に髭をたくわえたフィリップの写真に差し替えて、「これでも誰の写真か分かるという人がいたら無視する」と言い放っていたのです。
当時の日本と英国は敵国関係にあり、フィリップが乗艦していた駆逐艦は日本との戦闘に関わります。1945年日本が降伏文書を調印する場となった米国の戦艦ミズーリ号の警護も担当しました。また日本が香港総督府で英軍への降伏文書に調印する際は、フィリップもその場に居合わせます。
Embed from Getty Images終戦後の1946年フィリップはエリザベス王女の母の誘いで、バルモラル城で3週間の休暇をとりますが、この時にエリザベスに求婚したのです。
二人の結婚は、周囲から問題視されます。彼の粗野な振る舞いや、ギリシャ生まれでドイツ系の家系であったこと。戦時中のナチス・ドイツの蛮行に対する反感が英国内にまだ根強く残っていたのです。また王室関係者の間では妬みや、やっかみもありました。
こうした声に応えるかのように、フィリップは、戦時中に英軍に従軍した外国人枠を利用して英国に帰化を申請。ギリシャ、デンマーク王子の称号を捨て、ギリシャ正教から英国国教会に改宗します。エリザベス王女との結婚式には、フィリップの4人の姉妹の中にナチス関係者と結婚した者もいたことで、姉妹の招待を禁じられます。
こうした様々な困難を乗り越えてフィリップ26歳、エリザベス王女21歳は晴れてご成婚となったのです。1952年にはエリザベスが英国女王となり、フィリップ殿下は、女王を支える良きパートナーとして、崩御されるまでプライベートでは「リリベット」と愛称で呼ばれ仲睦まじくお過ごしでありました。