在位70年イギリス女王・エリザベス2世の生涯|夫・フィリップ殿下との馴れ初めや普段の私生活までご紹介

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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Queen Elizabeth II of England at Balmoral Castle with one of her Corgis, 28th September 1952. UPI color slide.

エリザベス2世は、イギリス女王として70年にわたり王室の権威と義務を守り、2022年9月に亡くなったときは世界中からその死を惜しむ声や功績をたたえる声が寄せられました。

色鮮やかなファッションや親しみやすい言動でも愛されたエリザベス女王。夫・フィリップ殿下とは初恋を実らせ、幸せな夫婦生活を送った一方、子供たちのスキャンダルに見舞われたことも。

13歳の時には第二次世界大戦が勃発し、自ら陸軍に入隊して国民とともに戦うといった力強さもありました。
この記事では、エリザベス2世のフィリップ殿下との馴れ初めや私生活のエピソードなどを紹介していきます。

世界的に有名なイギリス女王・エリザベス2世

エリザベス2世はイギリスの女王であり、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・ジャマイカ・バハマを含む英連邦諸国(コモンウェルス)の元首でした。96歳までその地位を全うし、世界で最も長寿の君主として知られました。

王女時代

エリザベス2世は、のちの国王となる父ジョージ6世、母エリザベス1世の第1子の長女として1926年4月21日に生まれました。フルネームは「エリザベス・アレクサンドラ・メアリー」で、母・曽祖母・祖母の名を与えられました。愛称はリリベットだったそうです。

当時「上流階級の女子に教育は不要」という時代でしたが、母の考えによって教育が与えられ、4歳下の妹マーガレット王女とともに宮殿内で家庭教師がついたそうです。

エリザベス2世は少女時代から公務を担当することも多く、第二次世界大戦中ではイギリス陸軍に入隊するなど、次期王位継承者として国民を代表する人物に成長していきます。

王女時代の1947年にフィリップ殿下と結婚。チャールズ皇太子とアン王女の出産後は王女としての活動を一時減らし、王室内での仕事に専念するようになったとされています。

第二次世界大戦

エリザベス2世が13歳だった1939年、第二次世界大戦が勃発しました。

ポーランドを侵略したナチス下のドイツにイギリスとフランスが宣戦布告し、1945年の終戦まで世界各地で多くの犠牲者が生まれることになります。

大戦中に14歳となったエリザベス2世は、次期王位継承者として国民に向けてラジオ演説するなど公務を本格化させました。その後、イギリス陸軍が組織した女性部隊に所属すると、名誉職にとどまることなく他の学生と同じように訓練を受け、弾薬管理や軍用車両の整備・運転にあたったといいます。

女王「エリザベス2世」の誕生

父のジョージ6世が1952年に亡くなり、エリザベス2世は25歳の若さで女王に即位しました。その治世下では、イギリスや英連邦諸国では数々の政治的・経済的な出来事が起こり、王室の改革も進みました。

エリザベス女王は外交も担当し、多くの歴史的な外国訪問を実現しました。イギリス国民の期待に応え、世界最高齢の君主になりました。

エリザベス2世と夫・フィリップ殿下の馴れ初め

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エリザベス女王と夫・フィリップ殿下の出会いや結婚生活には、どのようなドラマがあったのでしょうか。

出会いから結婚に至るまで

2人は1934年に初めて会ったとされています。当時エリザベス2世は8歳、フィリップ(ギリシャ名はフィリッポス)は13歳で、ともに高祖母はヴィクトリア女王という遠戚関係でした。

第二次世界大戦中の1939年、当時13歳のエリザベス2世が国王一家でダートマス海軍兵学校を視察した際に2人は再会します。海軍の士官候補生となったフィリップが接待役を務めましたした。エリザベス2世がフィリップに「一目惚れした」したといい、2人は文通をするようになりました。

フィリップは生まれて間もなくギリシャからパリへ亡命し、ナチスの国家統制下のドイツからイギリスに逃れて来たギリシャ・デンマーク王位継承者という立場でした。大戦中にはイギリス海軍士官として艦隊での任務を果たし、活躍が評価されます。

そして終戦後、フィリップはエリザベス2世にプロポーズします。イギリスに帰化し、フィリップ・マウントバッテンと改名。ギリシャ・デンマーク王位継承者の地位を放棄し、イギリス国教会に改宗もしました。母エリザベス王妃の反対もありすぐには許されませんでしたが、若い2人の決意は固く婚約が発表されました。

2人は1947年11月20日にイギリスのウェストミンスター寺院で結婚式を挙げました。フィリップは殿下の称号と「エディンバラ公爵」の爵位を授けられ、それから74年間、夫婦として愛を育んでいきます。

王子・王女の誕生

エリザベス女王はフィリップ殿下との間に4人の子供をもうけます。第1子が1948年11月14日に生まれた長男で、現在の国王であるチャールズ皇太子です。

1950年8月15日には第2子・長女アン王女、女王即位後の1960年2月19日に第3子・次男アンドルー王子、1964年3月10日に第4子・三男エドワード王子が生まれました。

アン王女とエドワード王子は、現在もイギリス王室で公務に取り組んでいます。

エリザベス2世の私生活

エリザベス女王は公務に尽力しながらも、家庭生活を大切にしていたといわれます。プライベートでは乗馬・テニス・ゴルフを楽しみ、サッカー観戦鳩レースの趣味もあったそうです。競馬を奨励し、自身も馬主・生産者でした。

一方で家族の問題にも見舞われ、特に1992年は暴露本「ダイアナ妃の真実」に象徴されるチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚生活の破綻・次男アンドルー王子の別居・王宮ウィンザー城の火災などが起こります。この1年を回顧したエリザベス女王が「アナス・ホリビリス(ひどい年だ)」と発言したことが話題になりました。

ダイアナ妃の事故死を巡る王室への批判やアンドルー王子の児童買春疑惑などのさらなる王室の危機もありました。

メイクは基本セルフだった?

エリザベス女王は、ほぼ毎日自分でメイクしていました。メイクは自己表現の一つと考えていたそうです。専属ファッションアドバイザーによると、プロに頼むのは毎年恒例のクリスマススピーチのビデオ収録の時のみだったといいます。

一方、公式の行事ではプロがメイクやコーディネートを手掛け、華やかなファッションで世界中の注目を集めました。

1953年にウェストミンスター寺院で行われた戴冠式では、「クラランス」というブランドの化粧品を使っていたことが知られています。口紅は式で授けられるローブと合う色がブランドによって調整されたといいます。「クラランス」は女王の愛用化粧品となりました。

カラフルで華やかな衣装

エリザベス女王は、鮮やかでカラフルな衣装を着こなす姿が印象的でした。帽子と服装を1色で統一することが鉄則で、色にさまざまな思いを込め、こだわりがあったそうです。

例えば、訪日の際は日の丸の赤、ロンドン五輪の開会式ではどの国の国旗にも使われていないピンクを着用しました。コロナ禍のときは国民に癒やしを与えたいとグリーンを選びました。

濃いめで明るい青色「ロイヤルブルー」は王室で受け継がれている色。女王も気に入っており、ブルー系の衣装が多かったそうです。

カラフルにこだわった理由の一つには「遠目でも女王だと分かるように」というものもありました。

時にはカジュアルなコーディネートも

プライベートでは、カジュアルなコーディネートも。普段はほとんど着ないパンツスタイルやカジュアルなトップスを着こなす姿も知られています。

スポーツを愛するエリザベス女王。馬術用の服で馬に乗る写真も残っています。1950年にカナダ・オタワを夫婦で訪問したときは、フィリップ殿下はデニム、女王はチェックのシャツにスカートというカジュアルな装いでダンスを披露しました。

馬術競技会などの屋外で活動するときは頭にスカーフを巻く姿が定着していました。

愛犬家としても知られる

愛犬家としても知られ、生前は30匹以上も飼っていたといいます。国内旅行には可能な限り愛犬たちを同伴していました。

2012年のロンドン五輪では、開会式で流れた映像の中でエリザベス女王がスカイダイビングする演出が印象的だったのではないでしょうか。ジェームズ・ボンドとも共演したこの映像の中にも、実は女王の愛犬たちが登場していました。

エリザベス2世は競馬とも深い関わりがある

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イギリスは近代競馬発祥の地であり「貴族の遊び」として発展していきました。エリザベス女王も競馬を愛し、長年にわたって奨励してきました。日本にも「エリザベス女王杯」という名の重賞レースが存在することからも分かるでしょう。

女王は馬主・生産者でもありました。エプソム競馬場をよく訪れ、イギリスで最も人気のある障害競走グランドナショナルでも所有馬が出走したことがあります。2013年には英王室主催のロイヤルアスコットのレースで所有馬が優勝しました。

エリザベス女王は競馬界での慈善活動にも積極的に取り組んでいました。

2022年6月には在位70年の祝賀パレードが執り行われた

エリザベス女王は2022年2月に在位70年を迎え、6月には4日間にわたって祝賀行事「プラチナ・ジュビリー」が行われました。

96歳になった女王は祝賀パレードには参加しなかったものの、期間中2回にわたり宮殿バルコニーに姿を見せました。またロンドンで開かれたコンサートでは映像で出演。イギリスの人気キャラクター「くまのパディントン」が宮殿にお祝いに訪れ、女王がお茶でもてなすといった内容でコミカルなやり取りが話題になりました。

エリザベス2世の最期

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エリザベス女王は、在位70年の祝賀パレードのわずか3カ月後である2022年9月8日、滞在先のスコットランドのバルモラル城で亡くなりました。

イギリス王室は「安らかに息を引き取った」と発表し、のちに死因に「老衰」と記載された死亡診断書を公表しました。娘のアン王女が女王の死去を当局に報告したといいます。

9月8日に体調悪化が伝えられてから、王族のメンバーがバルモラル城に向かっているという情報も明らかになりました。女王はチャールズ国王とアン王女らに囲まれて最期を迎えました。

エリザベス女王の霊きゅう車は後部がガラス張りの造りになっており、日没後のロンドン市街を走行した際、ひつぎが光り輝くように見えました。追悼に訪れた国民たちの思いに応えるため、女王が生前助言もしたそうです。

女王の国葬はウェストミンスター寺院で行われ、ひつぎはウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂に埋葬されました。女王の墓標には女王の両親や夫フィリップ殿下の名も一緒に刻まれました。

エリザベス2世の功績はまだまだたくさんある

エリザベス2世は1952年に女王に即位して以来、長い年月にわたりイギリス国民を導いてきました。

イギリスを含む英連邦諸国(コモンウェルス)の繁栄と統合に尽力し、元首として象徴的に活動することで連帯感をもたらし治めてきました。

特に南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策を巡る問題では、英連邦のカナダ首相らに働きかけ、政策廃止を実現させたと伝えられています。南アフリカで投獄されていた黒人指導者ネルソン・マンデラは釈放され、1994年に南アフリカ大統領に就任。エリザベス女王との信頼関係は固かったといい、同国は英連邦にも復帰しました。

くしくも南アフリカでは、女王が即位前の21歳の時にラジオ演説していました。「私の人生、長くても短くても(大英)帝国という大きな家族への奉仕にささげます」。その言葉は女王として全うした生涯を象徴するものだったといえるでしょう。

エリザベス2世の生涯について、新たな一面を知ることができたなら幸いです。

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