常陸宮正仁親王は何をした人?常陸宮正仁親王のプロフィールや家族構成についても徹底解説!

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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日本の皇族である、常陸宮正仁親王についてご存じでしょうか。常陸宮家の当主で、公務や研究の場において様々なご活躍をされています。

本記事では、常陸宮正仁親王のプロフィールなどの基本情報をはじめ、これまでのご活躍などを紹介しています。

この記事を読むことで、常陸宮正仁親王に関する知識が身につけられるでしょう。さらに、正仁親王や日本の皇族のさらなる魅力発見にもつながります。

常陸宮正仁親王のことが知りたいという方は、ぜひ本記事をチェックしてみてください。

常陸宮正仁親王は何をした人?

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常陸宮正仁親王(ひたちのみやまさひとしんのう)は、日本の皇族の一員です。常陸宮家の当主として、公務などに取り組まれています。

また、公務だけでなく、研究者としても活躍されている方として知られています。正仁親王がどのようにご活躍になっているのか、以下で詳しく見ていきましょう。

国内外を訪問し、公務に務めた

常陸宮正仁親王は、様々な団体の総裁・名誉総裁に就任されています。例えば、日本鳥類保護連盟・日本肢体不自由児協会・発明協会などです。

正仁親王は総裁として、数々の団体の行事に訪問されました。妃殿下とともに行事に参列される姿も見られています。

また、海外を訪問することもありました。フランスやイギリスなど各国に赴かれ、国際交流を深められています。

公務の傍ら、理学研究にも励んだ

常陸宮正仁親王には、研究者としての一面もあります。正仁親王が本格的に理学研究を始められるようになったのは、大学生のときでした。

学習院大学理学部化学科に進学された正仁親王は、大学内で様々な研究に取り組まれます。1958年、大学の卒業とともに理学士の称号を取得されます。

卒業後は東京大学大学院理学研究科に進学されました。細胞分裂などの生物学を研究され、さらに学びを深められたといいます。

研究生時代を終えられた後も、公務の傍ら理学研究に努められました。主に癌に関する研究に熱心に取り組まれ、国内外から高い評価を受けておられます。

常陸宮正仁親王のプロフィール

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常陸宮正仁親王は、1935年11月28日にご誕生になりました。両親は昭和天皇と香淳皇后で、第2皇男子です。

日本の皇族は、御称号・お印・継承をそれぞれ賜ります。ここでは、正仁親王の御称号・お印・敬称について紹介します。

御称号

御称号とは、日本の皇族が誕生時に賜る称号のことです。主に幼少時の呼び名として用いられます。

正仁親王に御称号が授けられたのは、ご誕生から7日経った12月4日のことでした。「命名の儀」が執り行われ、御称号の「義宮(よしのみや)」と「正仁」の名を賜っています。

なお、御称号と宮号は異なるものです。宮号は皇族男子に授けられる称号で、婚姻を結ばれた際や成年を迎えられた際に授けられます。

正仁親王の「常陸宮」は、宮号にあたります。結婚の儀が執り行われた際、宮号を賜るとともに常陸宮家が創設されました。

お印

お印とは、日本の皇族が持ち物など身の回りのものに用いるマークのことを指します。お印は一人一人異なるため、持ち物はお印によって区別されます。

正仁親王のお印は「黄心樹(おがたま)」です。常緑高木である黄心樹は神社に植栽されることも多く、神木として扱われることもあります。

黄心樹には、天照大神に関する逸話が残されています。天照大神が雨岩戸に隠れてしまった際、アマノマノウズメノミコトが黄心樹の枝を持って舞い、天照大神を誘い出したのです。

この逸話もあってか、黄心樹は神聖な木として扱われることがあります。花言葉は、「畏敬の念」です。

敬称

日本の皇族には敬称がつけられます。天皇・皇后・上皇・上皇后は「陛下」という敬称で呼ばれますが、それ以外の皇族には「殿下」とつけられます。

常陸宮正仁親王の敬称は「殿下」です。また、配偶者である華子さまは「妃殿下」と呼ばれます。

常陸宮正仁親王の家族構成

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常陸宮正仁親王は、ご誕生から現在までどのようなご家族に囲まれて生活して来られたのでしょうか。

ここでは、正仁親王のご家族について紹介していきます。

常陸宮正仁親王の妻は、正仁親王妃華子殿下です。旧名は津軽華子で、華族出身である津軽義孝の第4女子です。

正仁親王と妃殿下は、お見合いで出会われました。縁談は順調に進み、縁談から1週間ほど経った頃に婚約が内定します。

1964年4月14日に「納采の儀」が行われ、9月30日に「結婚の儀」が行われました。また、同日に常陸宮家が創設されます。

妃殿下は正仁親王とともに様々な公務に取り組んでおられます。特に動物福祉に関しては熱心に活動しておられ、動物に関する本を翻訳・出版され、売り上げの寄付も行われました。

また、日本赤十字社名誉副総裁などにも就任されています。団体のイベントに臨席される他、慈善活動にも積極的に取り組まれています。

正仁親王の父は昭和天皇です。1926年12月25日〜1989年1月7日のおよそ62年間在位し、天皇として公務に励まれました。

正仁親王を含む昭和天皇の子どもたちは、近年以降初めて両親の元で育てられた皇子女となります。3歳ごろには別々の養育環境が用意され、家族で揃う機会は少なくなりました。

しかし、昭和天皇には子どもたちの教育に熱心に取り組まれる一面もあったようです。特に当時の皇太子であった明仁親王には、自ら西洋の文化を教えられることもありました。

正仁親王が成長されてからは、明仁親王とともに3人で公務を行うこともありました。戦後の「開かれた皇室」として、国民の前で公務に取り組むようになられています。

正仁親王の母は香淳皇后です。久邇宮家出身の皇族で、1924年1月26日に昭和天皇と成婚されました。

昭和天皇と香淳皇后の間には、7人の皇子女がお生まれになります。しかし、第1子から第4子までは皇女子のご誕生が続きました。

皇位継承権をもつのは男児だけであることから、当時は皇男子がお生まれにならないことに対する心配の声が上がっていたといいます。

その後、第5子に初の皇男子である明仁親王がご誕生になり、続く第6子に正仁親王がお生まれになりました。

祖父母

正仁親王の父方の祖父母、すなわち昭和天皇の両親は大正天皇貞明皇后です。大正天皇は1926年に崩御したため、正仁親王に直接関わったことはありません。

貞明皇后は、孫である子どもたちの成長を大変楽しみにされていたとされています。子どもたちからは「おばばさま」と呼ばれて慕われていたそうです。

母方の祖父母は、久邇宮邦彦王と邦彦王妃俔子です。邦彦王は1929年に亡くなられ、同妃俔子は1947年に皇室を離脱されました。

兄弟姉妹

正仁親王には6人の兄弟姉妹がおられます。内5人が女性で、1人が男性です。

第1子は照宮成子内親王・第2子は久宮祐子内親王・第3子は孝宮和子内親王・第4子は順宮厚子内親王です。いずれも皇女子で、正仁親王の姉にあたります。

第5子としてお生まれになったのが、継宮明仁親王です。1989年1月7日に天皇に即位され、2019年4月30日に退位されました。現在は上皇として公務に取り組まれています。

明仁親王に続き、正仁親王がお生まれになりました。その後、第7子として清宮貴子内親王がご誕生になっています。

常陸宮正仁親王には子どもがいない?

常陸宮正仁親王は、華子妃殿下とご成婚になりました。しかし、夫婦の間に子どもはもうけられていません。

そのため、皇室内では皇位継承問題が注目されています。現在、皇位継承権をもつのは男性のみと定められています。

皇位継承順位1位は、正仁親王の甥にあたる秋篠宮文仁親王です。2位はそのご子息である悠仁親王になります。正仁親王の皇位継承順位は第3位です。

しかし、正仁親王には子どもがおられないことから、悠仁親王と同年代の皇位継承者はおられません。そのため、今後の皇位継承について心配の声が高まっています。

「火星ちゃん」の愛称で呼ばれる理由

第2次世界大戦の終戦後、正仁親王は昭和天皇や現上皇とともに日米友好の場に臨席されることが多くありました。その際に国民からつけられた愛称が「火星ちゃん」です。

「火星ちゃん」とは、当時人気を博した漫画の主人公の名前です。このキャラクターは、正仁親王をモデルにつくられたとされています。

戦時中の皇族は、国民の前に姿を現すことはほとんどありませんでした。しかし、戦後からは「開かれた皇室」をアピールされ、愛称をつけられるまでになりました。

常陸宮正仁親王が昭和天皇に似ている性格とは?

昭和天皇は、研究好きの人物として知られています。その性格を受け継いだのが、正仁親王です。

昭和天皇は生物学の研究に力を注がれました。特に、海洋生物や植物の研究に熱心に取り組まれています。

公務に追われる中、学者と共同で様々な研究を行いました。研究著書の発行の他、ヒドロ虫類の新種も発見されました。

正仁親王は昭和天皇と同じように、生物学の研究に注力されています。大学時代から研究を続け、高く評価される研究者として活躍されています。

常陸宮正仁親王は癌の研究にも注力していた

生物学の研究に努められた常陸宮正仁親王ですが、中でも癌の研究に力を注がれました。正仁親王は大学院を卒業された後、がん研究会がん研究所に客員研究員として配属されます。

正仁親王は研究所でおよそ40年もの間、研究に携わりました。その際、数々の癌に関する論文を発表されています。

正仁親王の論文は、世界的にも高い評価を受けられました。ジョージ・ワシントン大学・ミネソタ大学より名誉学位を受けられ、ドイツ癌学会の名誉会員に推薦されました。

また、これまでのご活躍から、がん研究会の名誉総裁となられています。

常陸宮正仁親王について詳しく知りたいときは

常陸宮正仁親王は、皇族の一員として公務に取り組まれている人物です。また、公務だけでなく、癌の研究などにも注力されています。

これまで正仁親王について紹介してきましたが、さらに詳しく知りたいと感じた方もいるのではないでしょうか。

新たな知識を身につければ、正仁親王のさらなる魅力に気づけるでしょう。興味をもった方は、ぜひさらに詳しく調べてみてください。

また、他の皇族についての知識を深めることもおすすめします。正仁親王と関わりのある皇族のことを知れば、正仁親王に関する新しい発見もできるでしょう。

皇族について知るなら、ぜひ当サイトの他の記事をご覧ください。日本の皇族や世界の王室について詳しく紹介しています。

正仁親王をはじめとする、皇族の知識を身につけることに役立ててください。

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