世界には様々な国がありますが、この記事ではヨルダン王室に焦点を当ててご紹介していきたいと思います。
ヨルダンの正式な国名は「ヨルダン・ハシェミット王国」で、イスラム教を始めたムハンマドの子孫であるハーシム家を王家としている立憲君主制国家です。
それでは、日本から遠く離れたヨルダン王国およびヨルダン王室を知る旅にご招待しましょう。
ヨルダン王室を知りたい
現在のヨルダンは、当時オスマン帝国の統治下にありました。
1916年の第一次世界大戦のさなか、メッカの大首長出会ったハーシム家のフサイン・イブン・アリーと4人の息子たちがアラブ反乱を起こします。
そして、アラビア半島に「ヒジャーズ王国」・「シリア・アラブ王国」・イギリスの支援で「イラク王国」「トランスヨルダン首長国」を建国し、新たなアラビア半島の歴史が始まりました。
1921年、イギリスの保護領「トランスヨルダン首長国」で、フサイン・イブン・アリーの次男であるアブドゥッラー1世がアミール(首長)として即位しました。
そして、1949年に現在のヨルダン・ハシュミット王国が誕生し現在に至ります。
初代のアブドゥッラー1世から現在のアブドゥッラー2世に至るまで、全ての時代の統治をハーシム家が行っており、このハーシム家こそがヨルダン王室です。
ヨルダンってどんな国?
ヨルダンはアラビア半島にある立憲君主制の国家で、面積は北海道とほぼ同じくらいの大きさです。
周囲をイラク・サウジアラビア・シリア・イスラエル・パレスチナの紛争地域で有名な国々に囲まれていますが、ヨルダン国内の治安は安定しています。
またヨルダン政府は周辺地域による紛争や内戦から避難してきた人たちを受け入れ、教育や保健医療などの支援を行っている国でも認知度が高いです。
しかしヨルダンはこの地域では珍しく、天然資源に恵まれていないため観光で外資を稼ぐしか方法がない国としても知られています。
アラブ諸国では珍しい非産油国
中東アラブといえば産油国というイメージがすぐに湧きますが、ヨルダンは意外なことに非産油国で、外資を稼げる産業も発達していない国です。
どのようにして資金を稼いでいるかといえば、死海・ローマ時代の遺跡・広大な砂漠と岩山など、豊富な観光地を持っているからだと考えられます。
そのためヨルダンならではの観光産業・近隣諸国への出稼ぎ・諸外国からの支援が主な収入源です。
ヨルダン王室の歴代国王
それでは初代のアブドゥッラー1世から、ヨルダン王室の歴代国王についてご紹介していきたいと思います。順に見ていきますので、人物像を想像しながら読み進めてくださいね。
アブドゥッラー1世
アブドゥッラー1世の正式な名前は「アブドゥッラー1世・ビン・アル=フサイン」といいます。
イスラム教の聖地であるメッカの大首長である「フサイン・イブン・アリー」の次男として1822年2月2日にメッカで誕生しました。
アブドゥッラー1世はユダヤ人の「シオニスト運動」を歓迎したといわれています。
1982年には、アミール(首長)の地位拡大を支持するように、初代イスラエル大統領でシオニスト運動の指導者であるハイム・ヴァイツマンに頼んだとされています。
1948年に「エリコ会議」を開き「パレスチナの王」になるものの、他のアラブ諸国からの反発を招いたことが発端となり命の危険が生じる結果となりました。
1951年7月20日ガザに全パレスチナ政府を打ち立てたアミーン・フサイニーに送り込まれた過激派パレスチナ人のムスタファ・シュクリ・アシュにより、エルサレムを訪問中に暗殺されました。
今でもヨルダンで発行されている5ディナール紙幣に肖像が使用されています。
タラール1世
タラール1世はヨルダンの2代目国王で、1909年2月16日にメッカで誕生します。
父親はアブドゥッラー1世・母親はムサバ・ビント・ナーセルで、1951年7月20日に父親であるアブドゥッラー1世がエルサレムで暗殺されたことを受けて、ヨルダン国王に即位しました。
1939年にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し、イギリスにも馴染みがあると思いますが、実は大のイギリス嫌いだったようです。
また祖父フサイン・イブン・アリーの忠実な部下であったイギリス人アラブ軍団司令官のグラブ・パシャ(ベイゴット・グラブ中将)と衝突するなどの問題をたびたび起こしたことでも知られています。
そのため、弟のナーイフ・ビン・アブドゥッラーが摂政として兄を支えていましたが、精神状態が悪いという理由で議会により退位を命じられました。
その後、タラール1世の長男のフサイン1世が1952年8月11日に即位しました。
ところがフサイン1世はまだ若く、法定年齢以下だったため正式に国王になったのは1953年5月2日です。
タラール1世の肖像は、ヨルダンで発行されいる10ディナール紙幣に使用されています。
アブドゥッラー2世
アブドゥッラー2世は1962年1月30日にフサイン1世とムナー・アル=フサイン王妃との間に長男として生まれました。
1966年アブドゥッラー2世が4歳のときにイギリスに留学し様々な教育を受け、1981年にイギリスのサンドハースト陸軍士官学校を卒業します。
1983年にはオックスフォード大学で国際政治学を聴講し、1987年から1988年にかけてアメリカのジョージタウン大学で国際関係論の大学院修士課程を修めました。
その後1993年6月10日にクウェート出身で両親がパレスチナ人のラーニアと結婚し、2男2女をもうけています。
1991年1月フサイン国王の命で叔父であるハッサン王太子に代わって再び王太子に指名され、父であるフサイン国王の崩御に伴い1999年2月7日にヨルダン国王として即位しました。
父親と同様、異母弟のハムザを王太子としていましたが2004年に廃止し、2009年に長らく空位となっていた王太子に長男のフセイン王子を指名しました。
アブドゥッラー2世の肖像は、ヨルダンの50ディナール紙幣に描かれています。
国民に敬愛されるアブドゥッラー2世
Embed from Getty Imagesアブドゥッラー2世は国王として積極的に外交や国家の安定に取り組んでいますが、アブドゥッラー2世が国民に敬愛される理由は他にもあります。
ではアブドゥッラー2世のまるで国王とは思えないユニークな性格について順にご紹介していきましょう。
一般人に変装して国民の声を聞く
Embed from Getty Imagesアブドゥッラー2世はタクシー運転手・新聞記者・老人などの一般人に変装し、国民の生の声を聞こうと日々努力を怠りません。
変装して訪れた病院での対応を見かねたのか、後日その病院に対し注意を行ったこともあるそうです。
アブドゥッラー2世はとにかく自分で何でも行わないと気が済まない性格で、通常ならセキュリティーがつき厳戒態勢が敷かれるような場合でもお構いなしです。
自分で運転して要人を送迎する
なんとアブドゥッラー2世自らがハンドルを握り、外国要人を空港まで送迎することは日常茶飯事です。
また王室政府公用機をアブドゥッラー2世自ら操縦し外交先に出向くことも頻繁で、イギリス軍から譲り受けたチャレンジャー1戦車の操縦ができる上に部隊の指揮もできてしまいます。
アブドゥッラー2世は異色な国王ですが、このユニークな性格が国民から深く敬愛されているのはいうまでもありません。
現在のヨルダン王室のメンバー
ここからは現在のヨルダン王室のメンバーについてご紹介していきたいと思います。
アブドゥッラー2世の家族は妻であるラーニア王妃と2男2女の4人の子供たちです。
それでは各人物について、詳しくご紹介していきましょう。
ラーニア王妃
ラーニア王妃は1970年8月31日にクウェートに住むパレスチナ人医師の娘として生まれました。
カイロ・アメリカン大学で経営学を学び、大学卒業後の1991年からヨルダン・アンマンのシティバンク「エヌ・エイ」で勤務していました。
アブドゥッラー2世との出会いは知人のパーティーに参加したときで、半年の交際を経て1993年6月10日に結婚し、今や4人の子供たちのお母さんです。
ラーニア王妃は世界のロイヤルの中でも特に美しいといわれる美貌の持ち主です。
そればかりではなく、元ビジネスパーソンとしての経験を活かしつつチャリティ活動に取り組んだり本を執筆したりするなど、才色兼備を兼ね備えたロイヤルレディとしても知られています。
また時代の波に合わせ多くの王室がSNSを活用していますが、ラーニア王妃はその先駆者の一人です。
2008年にYouTubeチャンネルを開設し、続いてTwitterやFacebookにもアカウントを開設し、今までの苦い経験や偏見・先入観などの経験を国民と話し合う場として活用しています。
2男2女の4人の子供たち
アブドゥッラー2世とラーニア王妃には2男2女の4人の子供たちがいて、それぞれ「フセイン王子」・「イマン王女」・「サルマ王女」・「ハシム王子」といいます。
フセイン王子
フセイン王子はアブドゥッラー2世とラーニア王妃の第一子の長男で1994年6月生まれです。
フセイン王子が15歳の2009年に、皇太子として任命されました。
その後2016年アメリカのジョージタウン大学を、2017年にイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業し、2022年8月にラジワ・アル・サイフとの婚約が発表されました。
イマン王女
イマン王女はアブドゥッラー2世とラーニア王妃の第二子の長女です。
2022年7月ニューヨークで働くビジネスマンのジャミール・アレクサンダー・テルミオティスと婚約をしたニュースが世界を駆け巡ったのはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。
イマン王女は1996年9月生まれで、2014年6月に国際アカデミー・アンマンを卒業しました。
なんと卒業式ではクラスでトップの女性アスリートとして表彰を受け、「運動神経抜群でアラビア語と英語を話すバイリンガルのプリンセス」として世界中から注目を集める存在になったのです。
国際アカデミー・アンマンを卒業後の2015年に、兄のフセイン王子が学んでいたワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学しました。
その後ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに編入し、経営学の学士を取得したと報じられました。
サルマ王女
サルマ王女はアブドゥッラー2世とラーニア王妃の第三子の次女で、2009年9月生まれです。
2018年5月22日にインターナショナル・アンマン・アカデミーを卒業後、2020年に兄フセイン王子も卒業したイギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業しました。
そして、ヨルダン初の女性固定翼パイロットになりました。
ハシム王子
ハシム王子はアブドゥッラー2世とラーニア王妃の第四子で次男として2005年1月に誕生しました。
ハシム王子に関する事柄はまだそれほど多く世の中に出ていませんが、これからの成長が非常に楽しみな王子様です。
「世界で最も美しい王妃」と呼ばれるラーニア妃
Embed from Getty Imagesラーニア王妃は、世界で最も美しい王妃として世界中の人々に知られていますが、美しいだけではありません。
教育改革・女性や社会的弱者の地位向上など、ヨルダン王妃であり中東の女性リーダーの一人として力を発揮しています。
またトレンディなファッションセンスが抜群であることも良く知られており、ロイヤル界のファッションアイコンとしても非常に親しまれている王妃です。
モノトーンルックからポップなカラーのファッションスタイルまで、トレードマークの巻き髪と共に着こなしている姿は、誰もがエレガントなロイヤルプリンセスと認めています。
イケメン王子で人気のフセイン皇太子
Embed from Getty Imagesフセイン皇太子は「イケメン王子」として人気が非常に高く、公務に熱心なことでも良く知られています。
130万人ものフォロワーを持つフセイン皇太子のインスタグラムには、日常の何気ない出来事が投稿されており素敵な笑顔がファンを釘付けにしています。
イマン王女の婚約も話題に!
イマン王女とジャミール・アレクサンダー・テルミオティスとの婚約は、2022年7月に世界に向けて発表され大変話題になりました。
イマン王女の婚約者であるテルミオティスはベネズエラのカラカス生まれのギリシャ人で、ニューヨークのベンチャーキャピタル会社の業務執行役員として勤めている人物です。
なんとと二人の結婚式は、2023年3月に行われる予定と、母であるラーニア王妃のインタグラムで発表されました。
世界の王室をもっと知りたいときは…
この記事ではヨルダン王室の歴代国王や現在の国王のアブドゥッラー2世・妻ラーニア王妃・4人の子供たちを中心にご紹介してきましたがいかがでしたか?
ヨルダン王室の歴史は他の世界の王室に比べたらまだまだ短いですが、イスラム教の開祖であるムハンマドの血筋であるハーシム家が、建国時から長年王家としてヨルダンを守ってきました。
今回はヨルダン王室についてご紹介してきましたが、世界の王室をもっと知りたいときは是非、当サイトの他の記事をご覧くださいね。