皇后雅子さまは、日本の第126代徳仁天皇の皇后です。2019年5月1日に即位されました。ハーバード大学を卒業され、元外交官という華々しい経歴をお持ちです。
気品あるエレガントなお姿に、憧れている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、この記事では皇室雅子さまのプロフィールから皇室に入ってからの歩みまでご紹介していきます。
さらに、皇后雅子さまの学歴・職歴・天皇陛下との夫婦仲・皇后雅子さまの身長まで、解説していきます。ぜひ最後までご覧になってください。
皇后雅子さまのプロフィール・歩み
いつも笑顔を絶やさずに、国民の前にいてくださる皇后雅子さまですが、生い立ちやプロフィールを詳しく知りたいという方もいらっしゃるでしょう。
そこでここからは、皇后雅子さまのプロフィールを、幼少期からご紹介していきます。
プロフィール
Embed from Getty Images皇后雅子さま(皇后陛下)は、日本の皇室の一員です。2015年5月1日皇后として即位しました。皇族の方が記名の代わりに用いる印章の「お印」はハマナスです。
彼女は1963年12月9日に東京都港区赤坂港町で生まれました。外交官である父、小和田恆(ひさし)と優美子夫妻の長女として誕生しました。
当時は世田谷区の外務省官舎に住んでいたそうです。その後渡露し、1歳からソビエト連邦モスクワで過ごすことになります。
幼かった皇后雅子さまは、慣れないロシアの生活で泣き出すこともありましたが、メキメキとロシア語を上達させました。
家族にロシア語で話しかけたり、ロシア語で寝言を言ったりするほどだったそうです。
幼少時代
父の小和田恆(ひさし)さんが、在ソ連日本大使館一等書記官に就任していたため、皇后雅子さまは幼い頃はソビエト連邦モスクワ市で過ごしていました。
1966年には、スイス連邦のジュネーブ、1968年からはアメリカ合衆国ニューヨーク州で生活されていたそうです。
1969年に市立第81パブリックスクールに入学し勉強に励んでいました。その後、1971年日本に帰国し、1972年に田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校に編入します。
その後、田園調布雙葉中学校・田園調布雙葉高等学校へ進学するのです。中学校では、皇后雅子さま自らソフトボール部を結成し、精力的に活動していたそうです。
1979年にはマサチューセッツ州立ベルモントハイスクールへ、1981年にハーバード大学経済学部に入学されました。世界中を飛び回って生活された幼少期だったようです。
皇室に入ってからの歩み
皇后雅子さまは、1993年1月19日に「皇太子徳仁親王妃」に内定し、同年6月9日に「皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀」が執り行われました。
「結婚の儀」のテレビ中継の最高視聴率は70%越えを記録し、多くの国民が喜びと共に見守りました。
皇室に入ってから、皇后雅子さまは公務に精力的に取り組み、国内外を含めた各種行事や慈善活動に参加することで国民の方々と関わりを深めています。
そして、2001年12月1日に第1皇女子・愛子内親王が誕生されました。愛子内親王をかこみ、家族で仲睦まじくメディアに登場することが増えたのです。
愛子内親王・天皇陛下・皇后雅子さまの幸せそうなお姿を国民は深く関心をもって見守っています。
皇后雅子さまの若い頃は美人だった?
Embed from Getty Images皇后雅子さまは、若い頃も今現在も大変美しく、国民の憧れの的です。エレガントで、気品ある皇后雅子さまは多くの国民から愛されています。
1990年代に皇后雅子さまの愛車がトヨタカローラⅡであると報道されると、販売台数が爆発的に増加したというエピソードもあるのです。
皇后雅子さまは皇室の一員として、情熱を持って様々な公務をこなしています。また文化保護活動や芸術活動にも積極的に取り組んでおり、多くの国民から尊敬されているのです。
皇后雅子さまの学歴・職歴は?
国民の憧れと注目の的である皇后雅子さまの、学歴や職歴はどのようなものでしょうか。詳しく解説していきます。
田園調布雙葉中学校・高等学校
皇后雅子さまは田園調布雙葉中学校、高等学校に通われていました。
皇后雅子さまは1971年に日本に帰国し、田園調布雙葉学園雙葉調布小学校への編入試験に向け、1年間勉学に没頭しました。
その後、1972年に田園調布雙葉学園調布雙葉小学校に編入します。1975年に田園調布雙葉中学校に進学、1978年田園調布雙葉高等学校に進学しました。
ベルモント・ハイスクール
皇后雅子さまは1985年に一家で渡米します。1979年よりマサチューセッツ州ベルモント・ハイスクールへ転入学し、2年間通学されました。
皇后雅子さまは、学生時代は常に優秀な成績を修めており、アメリカ政府がアメリカ全体の上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」National Honor Society(NHS)を受賞するなど輝かしい経歴を修めています。
ハーバード大学経済学部
1981年にハーバード大学経済学部に入学されます。専攻は国際経済学です。
驚くべきことに、皇后雅子さまはハーバード大学のほかイエール大学やプリンストン大学にも合格しました。
しかし、皇后雅子さまは日本での就職を視野に入れていたため、日本でも知名度の高いハーバード大学に進学することを決めました。
1年次の夏休みにドイツに2ヶ月滞在しドイツ語の猛特訓をし、2年次の夏休みにはフランスのグルノーブル大学のフランス語夏期講座に参加するなど、外国語の習得に情熱的に励んだのです。
また、卒論は『輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油(External Adjustment to Import Price Shocks : Oil in Japanese Trade)』について執筆し、アメリカの大学で高い学業成績を修めた優秀な学生のみに贈られる「Magna Cum Laude(マグナ・クム・ラウデ、優等賞)」を受賞しました。
指導した教授からは「彼女は非常にプロ意識が高く、情熱的に学業に励んだ」と賛辞が贈られています。
東京大学法学部中退
1985年にハーバード大学を卒業後、1986年に東京大学法学部第3類(政治コース)の3学年に外部学士入学されます。
しかしその後、皇后雅子さまは外交官を志し、1986年に外務公務員上級採用 I 種試験に合格され外務省入省が決定しました。そのため1987年東京大学を中途退学されます。
外務省
皇后雅子さまは、外務省入省後も精力的に業務に励まれ、語学力を活かして幅広く活躍されました。
第16回先進国首脳会議の半導体市場開放問題担当の通訳として参加し、日米外相会談にも出席されました。
皇后雅子さまは、半導体問題や外国法事務弁護士問題に関してエキスパートとしてよく知られ、高い評価を受けています。
外務省時代は、タフな業務にも関わらず常に笑顔でエレガントに仕事をこなしていたといわれています。
天皇陛下とのなれそめは?
外務省でも活躍していた皇后雅子さま天皇陛下とのなれそめはどのようなものだったのでしょうか。詳しくご紹介していきましょう。
東宮御所で出会う
皇后雅子さまと天皇陛下はお互いを尊敬しあい、お二人で様々な国事を行っています。
そんなお二人の出会いは、1986年に東宮御所で催された内輪の茶会(年越し会)に雅子さま一家で招かれた時だといわれています。
出席者は皇太子明仁親王と同妃美智子(いずれも当時)や外務省関係者、ハーバード大学教授等が招かれ、約2時間ほど歓談されました。
1993年に皇太子妃に内定
東宮御所での出会いから、幾度かのパーティーや夕食会を共にし、お二人は愛を深めていきました。
1993年1月19日に皇后雅子さまは「皇太子徳仁親王妃」に内定し、記者会見が行われたのです。
ハーバード大学卒業で外交官という華々しい経歴を持つ皇后雅子さまは、世間から大きな注目を集めました。
天皇陛下と皇后さまの夫婦仲は?
天皇陛下と皇后雅子さまは、公私共に寄り添い、お互いを尊重し合って暮らしているといわれています。
様々なメディアで、笑顔で映るお二人をご覧になった方も多いのではないでしょうか。仲睦まじいお二人の様子は温かく国民から受け入れられています。
天皇陛下は、笑顔が絶えず優しいお人柄だと評判の方です。行事の際をおことばや、著書にも皇后雅子さまへの感謝や気遣いが記されていることもあります。
お二人の夫婦仲は、とても良く「令和の天皇・皇后」として深い愛情と絆を築かれているのではないでしょうか。
皇后雅子さまの身長はどのくらい?
日本の皇室メンバーの身長については、公式情報は公開されていません。皇后雅子さまの身長についても公式な見解はありません。
ですが皇后雅子さまのお写真から推測するに、おおよそ160cm前後ではないかといわれています。皇后雅子さまは、背筋が伸びた凛としたお姿が良く知られています。
そのエレガントな姿勢、スタイルの良さに憧れている女性は多くいるのです。
皇后雅子さまのお父様はどんな人?
皇后雅子さまのお父様は小和田恆(おわだ ひさし)氏です。日本の外交官として活躍され、国際法学者でもあります。第22代国際司法裁判所所長も務めていました。
1932年に新潟県で生まれ、1955年に外務省に入省しました。在ソ連日本国大使館一等書記官や、第67代福田赳夫内閣総理大臣秘書官を務める等、精力的に活躍されたのです。
小和田 恆氏は国際法のエキスパートとしても知られ、アメリカのコロンビア大学・ニューヨーク大学・ロー・スクール客員教授に就任し国際法の教授を務めてもいます。
2003年には国際司法裁判所判事に任命され、3年の任期を務めたのです。
皇室の情報を知りたいなら
この記事では、ここまで皇后雅子さまの情報をお伝えしてきました。
勤勉家で努力家である皇后雅子さまは、外務省時代も幅広い分野で活躍なされていた女性だったことがお分かりいただけたのではないでしょうか。
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