三笠宮家についてご存じでしょうか。日本の皇族ですが意外と知らない方も多いでしょう。
女性のみの宮家で、現在も日本文化の継承や福祉の充実のために様々な活動をされているのです。
この記事では三笠宮家のメンバーや歴史などをわかりやすくご紹介します。また、三笠宮家の方々の活動も合わせて解説します。
三笠宮家とは?
三笠宮家は、日本の天皇室における一族です。崇仁親王妃百合子殿下をはじめ、女性のみ4名の宮家です。
三笠宮の宮号は1935年12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜りました。
崇仁親王は昭和天皇の弟にあたります。現当主の崇仁親王妃百合子殿下は崇仁親王の妻で続柄としては三笠宮崇仁親王妃です。
百合子殿下の息子である寬仁親王妃の妻にあたる寬仁親王妃信子殿下、信子殿下の娘である彬子(あきこ)女王殿下と瑶子(ようこ)女王殿下がいます。
女性ばかりの三笠宮家ですが様々な公務や多方面で活躍しているのです。
三笠宮家の家系
三笠宮家は前述した通り、1935年12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に三笠宮という宮号を与えられたときから始まります。
三笠宮崇仁親王殿下について、また妃や子供たちについてわかりやすくご紹介します。
三笠宮崇仁親王殿下は昭和天皇の弟
三笠宮崇仁親王殿下は、大正天皇の4男で日本の昭和天皇の弟です。幼少期は澄宮(すみのみや)という称号で親しまれてきました。お印は若杉です。
お印とは皇族が身の回りのものなどに用いる徽章やシンボルマークのことで御印章ともいいます。兄には昭和天皇だけでなく秩父宮雍仁親王と高松宮宣仁親王がいます。
すぐ上の兄にあたる宣仁親王とは10歳離れており、歳を重ねてからの子供だったためか他の兄弟は皇孫御殿で育てられたにも関わらず、崇仁親王は両親のもとで育てられたそうです。
学習院初等科・中等科を経て、1936年に陸軍士官学校に入学し、その後無事に卒業しています。成人した後は帝国議会上院の貴族院議員となり11年もの間職務を全うしました。
1941年10月22日に子爵高木正得の次女高木百合子氏と結婚し、5人の子宝に恵まれました。
軍人として戦争中に司令部などで勤務します。
戦後は東京大学文学部で歴史学を学びました。その後、東京女子大学講師に就任するなど教鞭をとり、若い世代の教育へも尽力しています。
東京女子大以外にも青山学院大学・専修大学・天理大学・拓殖大学で講義を行い、日本オリエント学会の会長も務めました。幼少期から文才があり、作成した詩に曲がつけられたこともあるようです。
2016年10月27日に満100歳でお亡くなりになりました。
崇仁親王殿下のお子様たち
崇仁親王殿下は百合子殿下との間に甯子内親王・寬仁親王・桂宮宜仁親王・容子内親王・高円宮憲仁親王の5人の子宝に恵まれています。
現在は寬仁親王の妻である信子殿下とその娘2人が三笠宮家に入り、宮家を守っているのです。
寬仁親王をはじめ、信子殿下や娘の彬子さまと瑶子さまの人柄や活動に関してご紹介していきます。
三笠宮家の寛仁さま
三笠宮家の寛仁(ともひと)さまは、三笠宮崇仁親王と百合子殿下の長男です。寛仁さまは麻生太郎元首相の妹と結婚するなど生前は度々話題になりました。
寛仁さまについて人柄や晩年に関して解説します。
「ヒゲ」の殿下の愛称で親しまれる
1946年1月5日に第2子として誕生しました。ヒゲ姿が特徴的で「ヒゲの殿下」という愛称で親しまれていました。
幼いころは祖母にあたる貞明皇后にたいそうかわいがられたそうです。あまり学業面で優秀ではなかったという話もありますが学習院大学では政治学士を獲得しています。
他にも鈴鹿国際大学名誉客員教授、名誉学位としてアンカラ大学の名誉博士という称号を有しています。またイギリスのオックスフォード大学モードリン・コレッジに留学した経験もあるそうです。
第92代内閣総理大臣麻生太郎氏の末妹である麻生信子さんと結婚し、2人の娘に恵まれています。
平成24年に薨去
1990年代から、がんやアルコール依存症をはじめ様々な疾病に悩まされていたそうです。1991年には食道がんの手術を行い、闘病記も執筆しています。
転倒し骨折・アルコール依存症のための治療などの理由で度々入院していました。入院先から公務へ向かうこともあったようです。
病気により声が出せなくなった後も電気喉頭を首に当てて会話をするなど、公務を行うなど尽力されました。2012年6月6日に66歳で薨去されました。
三笠宮家の信子さま
Embed from Getty Images三笠宮家の信子さまとは、寛仁親王の妻で麻生太郎元首相の妹です。現在も三笠宮家で公務にあたっています。
信子殿下は一過性脳虚血の発作から気管支喘息など様々な疾患の闘病中です。信子殿下について生まれた家柄や闘病生活に関してご紹介します。
麻生太郎氏の妹にあたる
三笠宮家の信子さまは麻生太郎氏の妹にあたります。麻生太郎氏は、日本の政治家で第92代内閣総理大臣を務めました。
1955年(昭和30年)4月9日に麻生セメント会長の麻生太賀吉の3女として生まれました。母は第45代内閣総理大臣吉田茂の長女であり親族に政治家が多かったようです。
英国・ランカシャーのインデペンデント・スクールやロスリンハウス・コレッジへ入学し松濤幼稚園に英語講師として勤めました。
16歳のときに寬仁親王からプロポーズされていますが、まだ高校生という若さだったため8年後に婚約しました。
その後1981年12月20日に長女彬子女王、1983年10月25日に次女瑶子女王の女子2人を出産しています。現在は様々な総裁職についています。
- 東京慈恵会 総裁
- 日本ばら会 名誉総裁
- 日本童謡学会 名誉総裁
- 全国ビルメンテナンス協会 名誉総裁
- 女性の健康とメノポーズ協会 名誉総裁
- 日本赤十字社 名誉副総裁
- 国際柔道連盟アンバサダー
長い闘病生活を送られる
三笠宮家の信子さまは2004年に一過性脳虚血の発作を起こします。一過性脳虚血の発作は脳卒中を起こす危険の高い病気で早期治療が重要です。
ほぼ同時期に更年期障害・胃潰瘍・気管支喘息を併発し長期間公務を欠席されていました。
そのため、夫である寛仁親王のお葬式でさえ表に出ることはなく、喪主は長女の彬子女王が務めました。
2013年に8年ぶりの公務復帰を果たします。信子殿下は寬仁親王家の当主を継承することがないまま、寬仁親王家が三笠宮本家に合流することになったため三笠宮家の一員となっています。
寛仁さまとは不仲がささやかれた
三笠宮家の信子さまと寛仁さまは、不仲ではないかと噂が流れました。この噂は2人が一時期別居していたことが原因のようです。
別居した理由について、信子殿下の療養とされています。
しかし、アルコール依存症だった寛仁親王の酒癖によるものではないか、などといううわさが流れました。
亡くなる3日前から信子殿下は病院に駆けつけたものの、立ち会うことは許されなかったそうです。しかし、実際にどのような事情があったのかは明らかにされていません。
三笠宮家の彬子さま
Embed from Getty Images三笠宮家の彬子さまは、寬仁親王と信子殿下の第1子です。1981年12月20日に生まれました。
現皇室典範において初の女王で皇族の未婚女性の中では最年長です。
彬子さまは女性皇族では珍しく研究など精力的に取り組みました。学歴や活動など彬子さまについてご紹介します。
オックスフォード大学へ留学した才女!
イギリスのオックスフォード大学マートン・カレッジに留学し、日本美術史を専攻するなど芸術面に明るいようです。
学問研究に専念し博士号も取得しています。これは女性皇族では珍しく、海外の大学で博士号を取得したのは皇族で2人目でした。
平成30年に国士舘大学の名誉博士になるなど学業の面で優れている方だとわかります。
現在は日本文化を伝える活動をされている
三笠宮家の彬子さまは、現在日本文化を伝える活動をされています。
2012年に子供たちに日本の伝統文化を伝えるための団体を立ち上げ、神社や寺を拠点に和菓子や伝統工芸作りを教えるなどの活動を行っています。
また、彬子さまは一般社団法人「心游舎(しんゆうしゃ)」という団体を設立しました。現在も総裁を務めており、米作りなどの体験も行なっています。
彬子さま自ら大学生らと一緒に水田に入り、昔ながらのやり方で田植えを行うなどの活動もしているのです。
他にも、京都産業大学日本文化研究所特別教授・京都市立芸術大学客員教授・京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員などとして活動されています。
三笠宮家の瑶子さまの経歴
三笠宮家の瑶子さまは、1983年10月25日に寬仁親王と信子殿下の第2子として誕生しました。実は、剣道の実力者でありプリンセスの中では体育会系です。
他にも福祉関連の活動を熱心に行っています。瑶子さまの人柄や活動に関してわかりやすくご紹介します。
剣道5段の体育会系プリンセス
三笠宮家の瑶子さまは、初等科5年時から剣道を始めました。剣道5段の実力者で大学時代は副主将を務めていたそうです。
その実力や経験を活かし、剣道に関する公務へも参加しています。
- 第2回日欧交流関東学生剣道連盟親善使節団に参加
- 愛知万博で剣道のデモンストレーションに参加
- 全国家庭婦人剣道大会に出席
大学卒業後はボランティアで剣道の指導を行うなど、剣道への愛が深いようです。
女性皇族でスポーツマンというと意外ですよね。すっとした背筋と凛としたお姿は魅力的です。もしかしたら剣道で日々鍛錬していたからかもしれません。
福祉活動に取り組み、難聴を公表
三笠宮家の瑶子さまは、友愛十字会では総裁・NPO法人日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会では名誉総裁を務めるなど福祉活動へ精力的に参加しています。
実は難聴であることを明しています。20代の頃からメニエール病が原因で難聴になっているそうです。
ご自身が難聴であることから、障害があっても過ごしやすい社会づくりに尽力されているようです。
三笠宮家の娘二人が宮家を守っている
三笠宮家の娘彬子さまと瑶子さまが現状宮家を守っています。祖母にあたる現当主は崇仁親王妃百合子殿下は高齢で、母親の信子殿下はがんなどの闘病をしています。
そのため、彬子さまと瑶子さまが精力的に活動しているのです。2人とも結婚はしていませんが、結婚したら宮家を出なければいけません。2人が結婚してしまうとまた1つ宮家が断絶します。
宮家を守るためにご結婚されていないかどうか、真相は明らかになっていませんが皇族がどんどん減っていることは、今後も問題になっていくでしょう。
皇室のメンバーをもっと知りたいなら
三笠宮家についてご紹介しました。現在の三笠宮家のメンバーや歴史など知らないこともあったのではないでしょうか。
現在活動されている彬子さまと瑶子さまの活動内容なども魅力的ですよね。日本文化の継承や福祉の充実などこれからの日本の発展に重要です。
他にも皇室メンバーについて知りたい方はぜひ本サイトをご覧ください。三笠宮家に関する記事以外にも皇族に関する情報を発信しています。