モロッコは、アフリカ北部に位置する国であり、現在はムハンマド6世によって統治されています。
非常に歴史ある国であり、どのような国王が治めてきた国なのか気になっている方もいるのではないでしょうか。
そこで本記事では、モロッコの歴代国王を解説します。現在の国王ムハンマド6世・国王一家・ラーラサルマ王妃の現在も併せてご紹介するので参考にしてください。
モロッコはどんな国?
モロッコは、アフリカ北部に位置する国です。人口は3708万人で、アルジェリアと西サハラとの国境に接しています。首都はラバトです。
国土の中央には最高峰4000mを超えるアトラス山脈が東西に走っています。地殻運動も活発であるため、周辺は地震の多発地域です。
また山脈北側と地中海沿岸は、温暖な地中海性気候であり、ラバトや最大都市のカサブランカなどが位置しています。
1912年頃からはスペインとフランスの領有として扱われていましたが、1956年に王国として独立しました。しかし、現在でも地中海沿岸にはスペイン領が残っている状態です。
モロッコでは、農業・鉱業・漁業・観光業が盛んであり、経済を支えています。
モロッコの国王一覧
モロッコの現在は独立した王国ですが、現在でも隣接するアルジェリアとの国交は断絶されたままなど、多くの外交問題を抱えています。
また過去の歴史を見ても、非常に多くの国王が交代し、さまざまな取り組みがなされてきました。そこで、ここではモロッコの国王一覧をご紹介します。
イドリース朝
イドリース朝は、788年~974年まで存在したアラブ人のイスラム王朝です。現在のモロッコにおける、モロッコと西アルジェリアの一部分を支配していました。
創設者はイドリース1世でイドリース朝の全盛期はイドリース2世が治めた時代だといわれています。イドリース朝の歴代の国王は次の通りです。
- イドリース・イブン・アブドゥッラー (イドリース1世)
- イドリース・イブン・イドリース (イドリース2世)
- ムハンマド・イブン・イドリース
- アリー・イブン・イドリース(アリー1世)
- ヤフヤー・イブン・ムハンマド(ヤフヤー1世)
- ヤフヤー・イブン・ヤフヤー(ヤフヤー2世)
- アリー・イブン・ウマル(アリー2世)
- ヤフヤー・イブン・アル=カースィム(ヤフヤー3世)
- ヤフヤー・イブン・イドリース・イブン・ウマル(ヤフヤー4世)
- アル=ハサン・アル=ハッジャーム・イブン・ムハンマド・イブン・アル=カースィム(ハサン1世)
- アル=カースィム・ガンヌーン・イブン・ムハンマド・イブン・アル=カースィム
- アブー・アル=アイシュ・アフマド・イブン・アル=カースィム・ガンヌーン(アフマド1世)
- アル=ハサン・イブン・アル=カースィム・ガンヌーン(ハサン2世)
ムラービト朝
ムラービト朝は、西サハラのベルベル人修道士であるムラービトがイスラム宗教運動を引き起こしたことで、モロッコの都市であるマラケシュを都として成立しました。
成立当初は、イスラム教を推し進め、イベリア半島にも進出するなど勢いはすさまじいものでした。
先進的な建築技術や学問を北アフリカにもたらし、今なおその名残を感じさせるほどです。
しかし、次第に宗教的な情熱が冷めるにつれて国力は次第に衰退していきます。歴代の国王は次の通りです。
- アブー・バクル・イブン・ウマル
- ユースフ・イブン・ターシュフィーン
- アリー・イブン・ユースフ
- ターシュフィーン・イブン・アリー
- イブラーヒーム・イブン・ターシュフィーン
- イスハーク・イブン・アリー
ムワッヒド朝
ムラービト朝を倒したことで起こったのがムワッヒド朝です。首都をマラケシュに定め、イベリア半島の支配に成功します。
そして、貿易路の支配を経済の基礎として、皮革をはじめとした手工業を発達させました。また、イスラム教の文化も大きく栄え、哲学・医学・文学においても大きく発展しました。
しかし、いつまでも繫栄は続きません。
支配下にあったイベリア半島でのキリスト教徒による国土回復運動が高まり、ムワッヒド朝はナバス・デ・トロサの戦いで敗北します。
そして、次第に宗教的な求心力や支配力が衰退していき、1269年にマリーン朝にマラケシュを征服されてムワッヒド朝は滅亡します。歴代の国王は次の通りです。
- アブドゥルムウミン
- アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世
- ヤアクーブ・マンスール
- ムハンマド・ナースィル
- ユースフ2世
- アブドゥル・ワーヒド1世
- アブドゥッラー・アーディル
- ヤフヤー・ムウタスィム
- イドリース・マアムーン
- アブドゥル・ワーヒド2世
- アブールハサン・サイード
- ウマル・ムルタダー
- イドリース・ワーシク
マリーン朝
マリーン朝は、ムワッヒド朝を滅亡させたベルベル人遊牧部族であるマリーン族が、自立して立てた王朝です。
建国の年代には諸説ありますが、フェスを都として1248年に成立したといわれています。
14世紀中ごろまでは勢力を広げて繁栄していきましたが、14世紀後半になるとポルトガルからの信仰を受け、北海岸のセウタを占領されます。
植民地的な支配ではありませんでしたが、そこから次第に衰退していくこととなりました。マリーン朝の歴代の国王は次の通りです。
- アブド・アル=ハック1世
- ウスマーン1世
- ムハンマド1世
- アブー・ヤフヤー・アブー・バクル
- ウマル
- アブー・ユースフ・ヤアクーブ
- アブー・ヤアクーブ・ユースフ
- アブー・サービト・アミール
- アブー・アル=ラビ・スライマーン
- アブー・サイード・ウスマーン2世
- アブー・アルハサン・アリー
- アブー・イナーン・ファーリス
- ムハンマド2世アズ=サイード
- アブー・サリム・アリー2世
- アブー・ウマル・タシュフィン
- アブー・サイヤン・ムハンマド3世
- アブル=ファリス・アブドゥル・アジズ1世
- アブル=アッバス・アフマド
- アブー・サイヤン・ムハンマド4世
- ムハンマド5世
- アブル=アッバス・アフマド
- アブドゥル・アジズ2世
- アブドゥラフ
- アブー・サイード・ウスマーン3世
- アブド・アル=ハック2世
ワッタース朝
マリーン朝が滅亡した後は、1472年からワッタース朝によってフェス王国が成立します。
フェス王国とは、1472年~1554年までフェズを首都として、現在のモロッコ地域を支配した王国です。
しかし、王朝としては非常に弱く、ポルトガルやスペインから攻められていました。度重なるポルトガルからの侵攻に耐えられず、次々と都市を攻略され、次第に衰退していきます。
ワッタース朝の歴代の国王は次の通りです。
- アブ アブド アッラー アッシュ シャイフ ムハンマド ビン ヤヒヤ
- アブ・アブド・アッラー・アル・ブルトゥカリ・ムハンマド・ビン・ムハンマド
- アブー・アルハサン・アブ・ハサン・アリー・ビン・ムハンマド
- アブー・アル=アッバース・アフマド・イブン・ムハンマド
- ナシル・アド・ディーン・アル・カスリー・ムハンマド・ビン・アフマド
- アブー・アル=アッバース・アフマド・イブン・ムハンマド
- アリー・アブー・ハサン
サアド朝
ポルトガルからの侵攻に成すすべなく衰退するワッタース朝でしたが、そこで現れたのが、モロッコ南部のサアド家のムハンマド=カーイムです。
1511年にポルトガルからの侵攻を防ぎ、サアド朝を成立させます。ポルトガルから攻略されていた都市の奪取にも成功します。
そして、ポルトガルの支配を挫折させるに至りました。その後は、ワッタース朝も滅ぼします。
歴代の国王は次の通りです。
- アブー・アブドゥッラー・アル=カーイム
- アフマド・アル=アラジ
- ムハンマド・アシュ=シェイク
- アブドゥッラー・アル=ガリブ
- アブー・アブドゥッラー・ムハンマド2世
- アブー・マルワン・アブド・アル=マリク1世
- アフマド・アル=マンスール
- アブー・マルワン・アブド・アル=マリク2世
- アル・ワーリド
- ムハンマド・エッシェイク・エス・セギール
- アフマド・エル・アッバース
1627年のアブー・マルワン・アブド・アル=マリク2世の統一政権となるまでは、マラケシュ政権とフェズ政権の2つの派閥があり、それぞれ国王が異なります。
マラケシュ政権では、1代目がアブー・ファリーズ・アブドゥッラー、2代目がムーラーイ・ズィダン・アブー・マーリが国王でした。
一方フェズ政権では1代目がムハンマド・エッシェイク・エル・マームーン、2代目がアブドゥッラー2世、3代目がアブド・エル・マレクです。
アラウィー朝
17世紀に入るとサアド朝は急速に衰退し、1659年には滅亡します。そこからしばらくは、無政府状態であったモロッコですが、1660年にアラウィー朝が成立します。
現在まで続く、非常に歴史のある王朝です。日本同様に鎖国政策を行ったり、イギリスやスペインとの不平等条約を締結させられたりしてきました。
1972年には前国王であるハサン2世によって民主化が進められ、現在に至っています。歴代の国王は次の通りです。
- ラシード
- イスマーイール
- アブル=アッバース・アフマド
- アブドゥルマリク
- アブル=アッバース・アフマド
- アブドゥッラー
- アリー
- アブドゥッラー
- ムハンマド2世
- ムスタディー
- アブドゥッラー
- ザイン・アル=アービディーン
- アブドゥッラー
- ムスタディー
- アブドゥッラー
- ムスタディー
- アブドゥッラー
- ムハンマド3世
- ヤズィード
- ヒシャーム
- スライマーン
- アブドゥルラフマーン
- ムハンマド4世
- ハサン1世
- アブドゥルアズィーズ
- アブドゥルハフィード
- フランス保護領時代
- ユースフ
- ムハンマド5世
- ムハンマド・ベン・アーラファ
- ムハンマド5世
- ハサン2世
- ムハンマド6世
現在のモロッコ国王はムハンマド6世
Embed from Getty Images歴史を重ねて何度も国王が変わってきたモロッコの現在の国王はムハンマド6世です。彼はどのような人物なのでしょうか。
ここでは、家系や経歴をご紹介します。
家系
ムハンマド6世は、アラウィー家の血筋にあたる人物です。1963年8月21日に前国王であるハサン2世とラーラ・ラティファ・ハンムの長男として生まれました。
2002年に結婚後、2003年には長男であるムーレイ・ハサン王太子が誕生し、2007年にラーラ・ハディージャ女王が誕生しています。
経歴
ムハンマド6世は1963年8月21日に長男として生まれ、祖父のムハンマド5世にちなんで命名されました。
1981年には、高校を卒業し、ムハンマド5世大学に入学します。その後1985年には法学士号を取得します。
1994年にはモロッコの王立軍の最高指揮官に就任し、1999年には父であるハサン2世の崩御により、国王に即位しました。
モロッコ国王一家
ムハンマド6世は、すでに結婚されています。国王一家をご紹介しましょう。
まずはラーラ・サルマ王妃です。彼女とは2002年に結婚し、ムハンマド6世は一夫一妻制を維持しています。
またラーラ・サルマ王妃は、モロッコ王家初の一般女性であり、国民からも愛されています。
ムハンマド6世とラーラ・サルマ王妃との間に生まれたのがムーレイ・ハサン王太子とラーラ・ハディージャ王女です。王太子は2003年5月8日、王女は2007年2月28日生まれです。
ラーラサルマ王妃の現在は?
Embed from Getty Images近年、ラーラ・サルマ王妃の現在が話題となっています。その理由は、2017年の終わりから、公の場所で姿を見せなくなってしまったためです。
例えば、2019年の初めにはヘンリー王子とメーガン妃がモロッコを訪問した時がありました。
その際にも、ラーラ・サルマ王妃の姿はなかったのです。そのため、モロッコのマスコミや国民の間では、すでに離婚したのではないかという説もささやかれていました。
王室からも王妃についての公式情報は一切ない状態であり、現在はどうされているのか分かっていません。
2019年には、国内で目撃されたとの情報も浮上しており、娘であるラーラ・ハディージャ王女とレストランで食事をしていたそうです。
当時は、実際に写真が撮影されていたようですが、現在もどこにいるのかや何をしているかの情報ははっきりとは分かっていません。
モロッコ国王の権限は強い
モロッコでは、これまで何度かの憲法改正が行われており、その結果行政・立法両方の権限が国王に集中している状況にあります。
軍事を統括して、首相を任意に選べる権限を持っているため、非常に権限が強いのです。
「アラブの春」でも揺るがなかったモロッコ王家
Embed from Getty Imagesモロッコ国王の権限が強い状況の中、民主化要求が中東各地に広がります。これをアラブの春と呼び、チュニジアを発端としたこの運動は小規模ながらモロッコでも行われました。
若者を中心に抗議運動が行われた結果、国王は2011年6月に憲法改正の国民投票を実施します。
新憲法では、首相を下院の最大政党から任命する内容や、官僚の任免や下院の解散権限を首相にも与えるなどの内容が変更されていました。
しかし、一部の内容が変わった一方で、宗教の最高権威や軍の最高指導者としての国王の地位はそのままの状態でした。
アラブの春でも、モロッコ王家は揺らぐことなく、今なお強い権限を持ち続けている状態です。
世界の王室にもっと詳しくなろう!
モロッコには非常に長い歴史があり、歴代の国王にも偉大な方は多いです。現在のモロッコにもさまざまな動きがみられますが、現国王の政治など今後の対策に注目が集まります。
世界の王室についてもっと詳しく知りたい方は、モロッコの歴史とともに、ヨーロッパの王室などについて調べてみると勉強になるでしょう。