承子女王殿下のお人柄が知りたい!生い立ちや高円宮家のメンバー・「奔放なプリンセス」と呼ばれる理由・現在のご活動もご紹介します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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TOKYO, JAPAN – JANUARY 02: (L-R) Princess Noriko, Princess Tsuguko and Princess Hisako of Takamado attend celebrations for the New Year on the veranda of the Imperial Palace on January 2, 2014 in Tokyo, Japan. In his address to the waiting members of the public, Emperor Akihito wished happiness for the nation and expressed his continuing concern for those still affected by the 2011 earthquake and tsunami. (Photo by Ken Ishii/Getty Images)

承子女王殿下は日本の皇族の中でも奔放な女性として話題になった女性です。

しかし、そのお人柄については詳しく知らないという方も多いのではないでしょうか。

今回は承子女王殿下の生い立ちや逸話からお人柄をご紹介します。

承子女王殿下のお人柄が知りたい!

承子女王殿下は高円宮家の長女であり、皇族のお一人です。

父親である高円宮様が薨去された葬儀でのエピソードや留学時代の逸話などから奔放なイメージのある承子女王殿下ですが、実際にはどのような人物なのでしょうか。

日本ユニセフ協会の職員としてのご活躍や注目されているファッションなど、承子女王殿下のお人柄について解説します。

生い立ち

奔放なエピソードから皇族らしくないというイメージを持たれがちな承子女王殿下ですが、高円宮家の一員としてどのような半生を歩まれてきたのでしょうか。

まずは承子女王殿下の生い立ちから詳しく解説します。

高円宮憲仁親王の第1女子

承子女王殿下は高円宮憲仁親王の第1女子として1986年に誕生しました。

高円宮の第1子でもあり、妹はすでに結婚して皇籍離脱をされた典子さんと絢子さんのお2人です。

皇族の方々が身の回りのものに用いられるお印は「萩」を使用されています。

高円宮家は男性の兄弟がおらず妹のお2人はすでに結婚しており、承子女王殿下が結婚して皇籍離脱されると後継ぎが途絶えることが危惧されている宮家の一つでもあります。

略歴

承子女王殿下は多くの皇族方と同じく松濤幼稚園に入学後学習院初等部へ進学され、学習院女子大学国際文化交流学部に入学されています。

その後エディンバラ大学への留学を経て学習院大学を2005年に退学し、留学をしていたエディンバラ大学へ正式に入学されました。

2006年に成年を迎えられて以降、大学にて勉学に励みながら宮中行事や海外訪問などの公務にも参加されています。

エディンバラ大学へ留学

承子女王殿下は学習院大学在籍中、2004年からエディンバラ大学へ留学されています。

そこでは犯罪心理学などを中心に勉強されており、大学からの勧めもあって2005年に本科生として改めて入学されました。

この留学中に承子女王殿下は自身のブログを開設し、奔放な留学生活を赤裸々に綴られていたためにその内容が週刊誌などでも取り上げられ大きな話題となりました。

早稲田大学への入学も話題に

エディンバラ大学を2008年に中退された後、承子女王殿下は同年に早稲田大学国際教養学部に入学されました。

この際、編入学ではなく1年生としての入学だったためそのことも話題となりました。

さらに皇族の方々は代々学習院大学を卒業されていたため、異例の入学として注目されていたのです。

承子女王殿下は同大学を2013年に卒業されており、卒業までの間にもスリランカを訪問されるなど公務にも参加されていました。

高円宮家のメンバーは?

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奔放なエピソードがたくさんある承子女王殿下ですが、そのご家族である高円宮家にはどのような方々がいらっしゃるのでしょうか。

続いて高円宮家の方々のお人柄について解説します。

父の憲仁親王殿下は三笠宮崇仁親王の三男

承子女王殿下の父親である憲仁親王殿下は、三笠宮崇仁親王の三男として1954年に誕生しました。
1984年の久子妃との結婚を機に三笠宮家から分家し、高円宮家を創設されました。

スポーツ振興に関する活動に尽力されていた中でもサッカーの普及には特に力を入れており、1987年からは日本サッカー協会の名誉総裁を務めています。

2002年のサッカーワールドカップ日韓大会では、日本の皇族としては戦後初めて公式に韓国を訪問されました。

自身もスポーツに親しまれていましたが、2002年スカッシュの練習中におこった心不全により47歳の若さで薨去されました。

母はスポーツ振興に精力的な憲仁親王妃久子殿下

承子女王殿下の母親である憲仁親王妃久子殿下は実業家として有名だった鳥取滋治郎の長女として誕生しました。

夫である憲仁親王殿下と同じくスポーツ振興に尽力されており、日本サッカー協会や日本フェンシング協会の名誉総裁を務めるなど精力的に活動されています。

また東京オリンピックの招致の際にもIOC総会に皇族として初めて出席されたことも注目されました。

2022年のサッカーワールドカップカタール戦も現地で視察されるなどスポーツ振興に関する活動での海外訪問も積極的に行われています。

降嫁された千家典子さん

承子女王殿下の妹である典子さんは1988年に誕生し、2014年に当時出雲大社の禰宜であった千家国麿氏と結婚されました。

この結婚を機に典子さんは皇籍を離脱し民間人となっています。

結婚式では大正天皇の皇后貞明皇后から受け継いだ小袿を着用されたことも話題になりました。

結婚されるまでは2008年の成年以降宮中祭祀にも参加されており、公務も行われていました。

降嫁された守谷絢子さん

絢子さんも承子女王殿下の妹であり、2018年の守谷慧氏との結婚の際に皇籍離脱をされたお一人です。

1990年に誕生し、学習院女子高等科を卒業後は城西国際大学福祉総合学部に進学され福祉分野の道へと進まれました。

学部を卒業後は同大学の大学院にも進学され、修士を授与されています。

大学院卒業後に就職されたNPO法人「国境なき子どもたち」の職員として活動されている中で後に夫となる守谷慧氏と出逢われました。

絢子さんの結婚式の際にも典子さんと同様に明皇后から受け継いだ着物を着用されていました。

現在もNPO法人の理事として活動されている傍ら、母久子殿下から受け継いだ日加協会名誉総裁も務められています。

「奔放なプリンセス」と呼ばれる理由

承子女王殿下は女性皇族の中でも「奔放なプリンセス」と呼ばれています。

その理由の一つが先述したエディンバラ大学留学時の赤裸々なブログの内容にあります。

ブログにはクラブに通っていることや自身の恋愛模様などが綴られており、上品な皇族のイメージとの大きなギャップに世間が注目していました。

この出来事がスキャンダルとして取り上げられ、エディンバラ大学の中退のきっかけになったともいわれています。

またそれ以前にも父憲仁親王殿下の葬儀の際、茶髪で参列していたことも奔放といわれている理由の一つです。

当時は明るい髪色に染められている皇族の方がおらず、承子女王殿下はまだ高校生だったこともあってその身だしなみが取り沙汰されました。

そうした学生時代のエピソードから奔放なイメージがついてしまっているのです。

現在では公務の際には皇族らしい品格あふれる姿を見せられており、そのイメージを払拭されています。

おしゃれなファッションも話題

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皇族の方々のファッションは一般参賀や宮中行事の際などに度々注目されるポイントです。

高円宮家の方々のファッションは皇族の中でもセンスが良いといわれていますが、承子女王殿下は特におしゃれだと注目されている女性なのです。

承子女王殿下は女性皇族の中で一番身長が高いといわれており、そのスタイルの良さを活かしたコーディネートをされています。

気品あふれる落ち着いた色合いの衣装だけでなく、ビビットカラーなどの一見派手な印象のカラーも見事に着こなしています。

また帽子やアクセサリーなどの小物もおしゃれな組み合わせをされており、承子女王殿下の装いに注目しているファンが多くいるのです。

皇族や王族のファッションといえば海外の王室が注目されがちではありますが、皇族の方々のファッションも洗練されているのでぜひ注目してみてください。

承子女王殿下の現在のご活動は?

承子女王殿下は現在はどのようなご活動をされているのでしょうか。

続いて承子女王殿下の現在のご活動について解説します。

日本ユニセフ協会に勤務

承子女王殿下は2013年に早稲田大学を卒業後、日本ユニセフ協会に嘱託職員として常勤されています。

日本ユニセフ協会では学校事業部に所属されており、職員として全国各地の小学校で特別授業での講師を務めるなど全国を飛び回って活動されています。

特別授業では主に途上国の子どもたちの生活の実情などを説明しており、こうした実情を変えるために何ができるのかを子どもたちが考えるきっかけとなるように願って活動されているのです。

また学校での特別授業だけでなく県知事への表敬訪問なども行われており、日本ユニセフを代表する職員として精力的に活動されています。

さらに全国だけでなくベトナムなどの途上国にもユニセフの職員として訪問されており、活動の幅をさらに広げています。

承子女王殿下のご結婚は?

承子女王殿下はご結婚されていない女性皇族としても注目されています。

かねてから交際されている方がいると噂されていますが、なかなかご結婚とはなっていません。

結婚されない理由としては、高円宮家での結婚の方針なども関係しているといわれています。

また承子女王殿下が結婚された場合は高円宮家の後継ぎがいない状態となり、宮家が途絶えることともなります。

そうした皇族ならでは問題も、承子女王殿下が結婚へと踏み切れない理由の一つといえるでしょう。

長女として高円宮家を支えるプリンセス

承子女王殿下は若い頃には奔放なプリンセスとして話題となりましたが、現在はユニセフの職員として見事に務めを果たされています。

高円宮家の長女としても公務にも積極的に参加されており、2011年には東日本大震災の被災地へ慰問されました。

また久子妃殿下から受け継いだ日本スカッシュ協会の名誉総裁も務めるなど、スポーツ振興に関する活動も行われています。

ユニセフでの活動と皇族としての務めを両立されている姿は、まさに女性が憧れるかっこいい女性の姿そのものです。

インタビューや逸話などから垣間見える姿からはさっぱりとした性格も伺い知れ、女性皇族に抱かれがちな上品で淑やかな印象ともまた違った魅力があります。

承子女王殿下の今後の活躍にもぜひ注目してみてください。

高円宮家をもっと知りたいなら

今回は高円宮家の長女、承子女王殿下のお人柄について解説しました。

承子女王殿下はユニセフ職員としても皇族としても広く活動されている女性皇族です。

奔放なイメージとは違った印象を持った方も多いのではないでしょうか。

承子女王殿下だけでなく、高円宮家の方々は特にスポーツ振興や福祉分野で活躍されている方が多くいらっしゃいます。

高円宮家についてもっと詳しく知りたい方はぜひ他の記事もご覧になってみてください。

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