ヴィクトリア女王はどんな人?ヴィクトリア女王が生きた時代のできごとやエピソード・夫のアルバート公・晩年まで詳しく解説

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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ヴィクトリア女王といえば、イギリスが大英帝国として全盛期を迎えていたころの象徴として知られています。

各地を植民地化し、産業革命を推し進め、非常に長けた政治手腕で現代のイギリスの土台をつくりあげました

そんなヴィクトリア女王ですが、アルバート公に逆プロポーズをしたという親近感を抱きやすいエピソードもありますよね。

今回は、ヴィクトリア女王が生きた時代の出来事や晩年までを詳しく解説します。

ぜひご覧ください。

ヴィクトリア女王はどんな人?

1837年、ヴィクトリア女王は齢わずか18にしてイギリスの女王となりました。

そこから1901年まで、実におよそ64年もの間イギリスを統治しています。

ヴィクトリア女王は、イギリスを「太陽の沈まぬ国」といわれるほど栄えた大英帝国へと発展させました。

彼女の治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれることもあり、政治・経済・文化など様々な分野で優れた成果を上げています。

世界的な権力を有していたといっても過言ではありません。

政策においては、特に女性の政治的地位を向上させるために尽力していたことが有名です。

女性の投票権や教育の権利を提唱しており、女性の差別がなくなることを望んでいました。

環境や世界的な遺産を保護することにも尽力し、今では有名なナショナル・トラストの創設にも手掛けています。

現代のイギリスの芸術や文化を育み、守る基盤をつくったのは間違いなくヴィクトリア女王でしょう。

しかし、彼女は皇帝専制主義を堅持していたこともあり、植民地支配や人種差別に対して肯定的でした。

さらに、労働者の権利が改善されていなかったことから、富裕層と貧困層の差が大きく開いていたことも指摘されています。

そのため、ヴィクトリア女王の治世の評価は二極化することが多いです。

ヴィクトリア女王が生きた時代のできごと

ヴィクトリア女王が統治していたおよそ64年、それは波乱万丈な時代であったといえるでしょう。

特に大きな出来事として挙げられるのは、政治的にも経済的にも非常に影響力のある大英帝国となったことです。

世界でも有数な強大な力を有する帝国として、その力を存分にふるっていました。

その他にも、以下のような出来事が挙げられます。

  • 産業革命
  • アヘン戦争
  • ロンドン万国博
  • クリミア戦争
  • インド帝国誕生

では、それぞれの詳細を見てみましょう。

産業革命

18世紀後半から19世紀初頭にかけて、イギリスでは産業革命が起きました。

石炭や蒸気機関を動力とした軽工業が発展したのです。

それまで農業を中心としていた社会から、高い生産性のある工業中心の社会へと変化し、次々に新しい産業が生まれました。

皆さんご存じの通り、イギリスは産業革命が一番最初に起こった国です。

その後世界中でも産業革命が起こりましたが、イギリスほどには及びませんでした。

ここまでイギリスの産業革命が大成したのは、やはりヴィクトリア女王による政策があったといえるでしょう。

彼女は、産業革命がより推進されるよう、工業や商業を発展させる政策を打ち出しました。

しかし、労働者の目線に立つと、産業革命の時代はかなり厳しい時代であったとも表現できます。

産業革命が起こる前よりも低い賃金で働かされ、劣悪な環境下での労働を強いられていたのです。

産業革命を推進させるためには仕方のなかったことかもしれませんが、労働者の権利は保証されていませんでした。

現代でも問題視されている富裕層と貧困層の差が大きく開き始めたのは、この時代からといえるでしょう。

アヘン戦争

1839年から1842年、世界的にも有名なアヘン戦争が勃発しました。

アヘン戦争はイギリスと中国との間で起きた戦争ですが、その発端は中国がアヘンを禁止したことから始まります。

当時の中国ではアヘンが広がっており、そこに目をつけたイギリスは、貿易赤字で流出した銀の回収のためにイギリス・中国・インドの三角貿易を始めました。

中国の茶をイギリスへ、イギリスで生産した絹織物をインドへ、インドで生産したアヘンを中国へと運ぶことで、中国から銀を回収したのです。

アヘンは中毒性が高く、中国の経済は財政難・大混乱に陥りました。これにより、中国政府はアヘンを禁止したのです。

そうして、イギリスはアヘンの販売を求めて中国に軍隊を派遣し、戦争へと発展しました。

戦争の結果はイギリスの勝利となりましたが、両国にとって大きな損失となりました。

ヴィクトリア女王が治世する時代にも大きな影響を与えたといわれています。

ロンドン万国博

ロンドン万国博とは、1851年に開催された世界で最初の万国博覧会です。

当時のイギリスの技術を世界中に発信し、さらに世界中の文化や技術を取り入れることが狙いで開催されました。

その後も10年ごとにロンドン万国博は開催され、大英帝国発展のために欠かせなかった大切な出来事です。

ヴィクトリア女王はこのロンドン万国博に実際に足を運び、展示された製品や技術を見学しました。

そして、彼女が愛用していた技術や製品も展示されていたため、世界中にイギリスを治める女王のスタイルや嗜好が広まるきっかけとなりました。

クリミア戦争

1853年から1856年にかけて起こったクリミア戦争は、ロシアとオスマン帝国間の戦争です。

しかし、オスマン帝国を支援するために、イギリスも軍を派兵して戦争へと出陣したことは有名な話ですね。

このときヴィクトリア女王は、この戦争に対して平和的解決ができるよう尽力していました。

ロシアとオスマン帝国の和平交渉を促し、両国間で和平協定が結ばれるように努めたのです。

しかし、その望みとは裏腹に和平協定は効力を出しきれず、戦争は終結されませんでした。

そのため、結果的にはクリミア半島をロシアの支配下に置くパリ条約を結ぶことになってしまったのでした。

インド帝国誕生

1857年、インドではイギリス東インド会社からの独立を求めてインド大反乱が起こりました。

イギリスの植民地支配に対して反対の声をあげたのです。

そこで、1958年にはイギリス帝国の一部としての独立を許可し、インド帝国が誕生する運びとなりました。

ヴィクトリア女王はインド帝国の皇帝として君主することになり、世界的にも歴史的にも大きく・重要な出来事であったといえます。

ヴィクトリア女王にまつわるエピソード

先述のように、ヴィクトリア女王は1837年に18歳で女王へと即位しました。

彼女は、大英帝国の黄金期を先導した女王として有名です。

そんなヴィクトリア女王にまつわるエピソードを早速見ていきましょう。

在位期間は63年7か月

ヴィクトリア女王がイギリスの女王として君臨していたのは63年7カ月。

女王としては2番目に長い在位期間を記録しています。

当時のイギリスがあれほど繁栄できたのは、ヴィクトリア女王のおかげです。

彼女は、政治・経済・文化において様々な変革を取り入れ、また多くの国との良好な関係を築くことに尽力しました。

その中でも帝国主義的な政策を進めることで、帝国としての大きさを拡大させることにも成功しています。

こうしたヴィクトリア女王による二面的な政策で、イギリスは強大な国家として名をはせたのです。

エリザベス2世の高祖母にあたる

ヴィクトリア女王は、2022年に96歳で崩御したエリザベス2世の高祖母にあたります。

エリザベス2世の父親であるエドワード7世の祖母なのです。

エリザベス2世が女王になるまでは、ヴィクトリア女王が世界で最長寿の記録を持つ女王でした。

残念ながらヴィクトリア女王は、エリザベス2世誕生の前に崩御してしまったため、2人が直接相まみえたことはありません。

しかし、エリザベス女王は歴史としてヴィクトリア女王の偉業を学んでいるはずです。

きっとヴィクトリア女王を尊敬していたことでしょう。

何度も暗殺されそうになる

ヴィクトリア女王は偉大な方でしたが、国のトップとして立っていた以上、どうしても反対派が存在します。

そのため、女王を暗殺して権力を掌握しようと様々な暗殺計画が練られていたことが判明しています。

1842年には当時有名だった「オレンジ党」と呼ばれる団体が暗殺の計画を立てていたことが見つかりました。

そして1882年には、ロシアのアレクサンダー・リーマンがロシアの主権確立のために女王暗殺を企てていました。

ヴィクトリア女王は、その他にも何度も暗殺されそうになったことがあります。

しかしその度に警察や軍隊によって阻止されたため、崩御されるまで女王として君臨し続けることができたのです。

ヴィクトリア女王と切り裂きジャック事件

切り裂きジャック事件というのは、1888年にイギリスで起きた連続殺人事件のことを指します。

当時のイギリスは産業革命により大いに発展しており、人口が急速に発展していました。

それに伴い、犯罪率も高くなっていた背景があります。

そこで起きたのが、この切り裂きジャック事件です。

ロンドンのホワイトチャペルの周辺で、売春婦が8人殺害された痛ましい事件でした。

事件が起きた当時、ヴィクトリア女王は61歳。

当時から犯人がわからず、様々な容疑者が浮上していました。

その中にヴィクトリア女王の直系の孫の名が挙げられたことはあまりにも有名ですね。

結局現代でも詳細が不明なお蔵入りとなった事件ですが、当時のイギリスを代表するような大きな事件でした。

ウェディングドレスが白なのはヴィクトリア女王の影響!?

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ヴィクトリア女王といえば、1840年に彼女から熱烈な逆プロポーズをしてアルバート公と結婚したことが有名です。

この2人の恋路を知ってファンになったという方も多いのではないでしょうか。

今では当たり前のように形式化した白色のウェディングドレス。

実は、ヴィクトリア女王が影響しているといわれていることをご存知ですか?

アルバート公との結婚式の際、ヴィクトリア女王は白色のウェディングドレスを着ていました。

しかし、これは当時の常識では非常に珍しいものだったのです。

そのため、彼女の結婚式での白いウェディングドレス姿は多くの人々の関心を集め、大きな話題となりました。

ヴィクトリア女王は、白のウェディングドレスを着ることで貴族的で上品なイメージを演出したそうです。

品位を重んじるヴィクトリア女王らしいですね。

ヴィクトリア女王と夫のアルバート公

ヴィクトリア女王は、女王として即位してから3年後の1840年に当時ベルリンの公爵であったアルバート公と結婚しています。

互いに愛し合い、支え合っていた姿は、今でも多くの人の心を魅了するほどです。

アルバート公は、ヴィクトリア女王が女王として即位した頃から大臣として彼女を支える立場にありました。

文通をすることで仲を深め、一度は離れ離れになることもありました。

しかし最終的には、ヴィクトリア女王がアルバート公に有名なセリフで逆プロポーズした話は非常に有名ですよね。

「私の望み(結婚)を叶えてくれたらどんなに幸せでしょう」とは、非常にヴィクトリア女王らしいセリフです。

2人は結婚後も仲睦まじく過ごし、子宝にも恵まれています。

互いに力を合わせて政治を進めていたことも理想の夫婦像として話題を呼びました。

愛し合っていた2人ですが、アルバート公は道半ばで病気で亡くなってしまいました。

アルバート公の死後、ヴィクトリア女王は華美な服装を一切しなくなったことで知られています。

喪服で過ごすことで別れを偲んでいたと考えると、なんとも痛ましい気持ちになりますね。

ヴィクトリア女王の晩年

ヴィクトリア女王は、齢81で逝去されました。

当時の女王としては非常に長寿でしたが、その晩年は苦しい時期であったといわれています。

1898年、息子であるエドワード7世が肺炎で急逝してしまったのです。

最愛の夫を亡くし、さらには息子も早くに亡くし、強く孤独を感じていたことでしょう。

晩年には、身体の不調を気にされていたといわれています。

同時に、思うように身体が動かないことに対して悔やんでいたそうです。

それでも王族らしくあることにこだわり、王室で静かに暮らすことを選びました。

「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる

ヴィクトリア女王には「ヨーロッパの祖母」という別名があります。

これは、彼女が多くのヨーロッパ諸国の王族と血縁関係があったことが由縁です。

ヴィクトリア女王は、1840年にアルバート公と結婚して以来、9人の子をもうけています。

その中には、ロシア皇帝ニコライ2世・プロセイン王子アルフレッド・ドイツ皇帝ウィリアム2世などがいます。

そうしてヨーロッパ諸国にて多くの血縁関係を持つこととなったのです。

それだけイギリスの影響力がヨーロッパの中で強かったとも表現できますね。

イギリスだけでおさまらないヴィクトリア女王の偉大さが垣間見えます。

ヴィクトリア女王は大英帝国の繁栄を築いた偉大な女王

このように、ヴィクトリア女王は大英帝国の繁栄を築いた偉大な女王です。

長い在位期間で多くの変化を受容し、それをイギリスの推進力に変えてきました。

産業革命の推進・女性参政権の導入など、経済的・政治的・文化的に大きな変革を起こしました。

外交でも大きな力を発揮し、大英帝国発展に欠かせない資源や労働力の確保にも成功しています。

世界的に影響力の大きいイギリスを築いたのは、間違いなくヴィクトリア女王といって良いでしょう。

イギリスの歴代女王に興味があるなら

ここまでヴィクトリア女王について解説しましたがいかがでしたか?

もっと他のイギリスの歴代女王と知りたいという方は、ぜひ当サイトの別の記事をご覧ください。

エリザベス1世・アン・エリザベス2世・2015年に生誕のシャーロット王女など、数々の女王について解説しています。

他にも、イギリスに限らず、様々な国の王室について解説していますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

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