三笠宮瑶子さまについて知りたい!生い立ちや職歴・外国訪問の経験や家系について紹介します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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TOKYO, JAPAN – JANUARY 02: (L-R) Princess Akiko of Mikasa, Princess Nobuko of Mikasa, Emperor Emeritus Akihito, Empress Emerita Michiko, Emperor Naruhito, Empress Masako, Princess Aiko, Crown Prince Fumihito of Akishino, Crown Princess Kiko of Akishino, Princess Kako of Akishino, Princess Hisako of Takamado and Princess Tsuguko of Takamado wave during the New Year’s appearance by the Japanese royal family at the Imperial Palace on January 2, 2023 in Tokyo, Japan. The event was held for the first time in three years, following a hiatus due to the coronavirus pandemic. (Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images)

「ひげの殿下」の愛称で親しまれた寬仁親王(ともひとしんのう)と信子妃の間に第二子としてお生まれになった三笠宮瑶子さまをご存知でしょうか。

「どのようなお方なのか詳しく知らない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そこでこの記事では三笠宮春子様の生い立ち・学歴・職歴まで徹底的にご紹介していきます。

さらに、お父様の寬仁親王・祖父の三笠宮崇仁親王・お姉様の彬子女王までを解説していきます。ぜひ最後までご覧ください。

三笠宮瑶子さまについて知りたい!

三笠宮瑶子さまは、寬仁親王の次女として1983年に誕生しました。彼女は、2006年から日本赤十字社で常勤で勤務していました。

これは皇室の女性として初めてのことです。そんな職歴を持つ三笠宮瑶子さまは、どのような方なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

三笠宮瑶子さまの生い立ち

三笠宮瑶子さまは、日本の皇室である天皇家の一員です。生年月日は1983年10月25日です。飾らない人柄と、真面目な性格から多くの方から愛されています。

そんな三笠宮瑶子さまのプロフィールを、詳しくご紹介していきます。

プロフィール

三笠宮瑶子さまは、1983年10月25日に寬仁親王と信子妃の次女として誕生しました。身位は「女王」で、皇族の方が記名の代わりに用いる印章の「お印」はです。

2003年10月25日に成年を迎えられ、明仁天皇陛下から勲二等宝冠章を受けられました。また、この年から宮中行事や祭祀に出席しています。
幼い頃は、松濤幼稚園に通い、その後転園され学習院幼稚園にも通われています。

学習院初等科・女子中等科・女子高等科

三笠宮瑶子さまは、日本で初めてランドセルを作られたことでも有名な学習院初等科に入学されます。

学習院初等科は、東京都新宿区若葉にある私立の小学校で、皇族の方が通われる学校として有名です。三笠宮瑶子さまは、初等科から学習院女子中等科、女子高等科を出られています。

学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科

学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科は、学習院女子大学にある大学部の学科の1つです。学習院女子大学は日本の有名な私立女子大学であり、1874年に創立されました。

仁考天皇が創設した学習所が起源です。学習院女子大学国際文化交流学部日本語文化学科は、日本の文化・伝統・芸術等を研究しています。

日本の文化や伝統を学び、それらを世界に発信する能力を伸ばしていくのです。

三笠宮瑶子さまは、学習院女子大学で勉学に励まれ、日本文化への深い造形や日本文化を海外に紹介するのに必要な高いコミュニケーション能力を身につけられました。

三笠宮瑶子さまは剣道の腕前がすごい!

三笠宮瑶子さまは、剣道の腕前も一級品です。彼女は、学習院初等科5年生の時から、剣道を始めました。

三笠宮瑶子さまは、上下関係の厳しさや耐えること、気力の養い方を剣道から学んだと講演会で述べています。大学時代は女子副主将も務められました。

さらにフランス・ドイツへの第2回日欧交流関東学生剣道連盟親善使節団・愛知万博での剣道デモンストレーション・全国家庭婦人剣道大会にも、精力的に参加されています。

後輩の育成にも力を注いでおり、学習院初等科剣道部でボランティアで剣道の指導を行っています。三笠宮瑶子さまの段位は5段です(2023年現在)。

三笠宮瑶子さまの職歴

三笠宮瑶子さまは、学習院初等科女子中等科・女子高等科、そして学習院女子大学で日本文化について学んでこられました。

学生生活を終え、その後の職歴はどのようなものだったのでしょうか。詳しくご紹介していきます。

日本赤十字社での常勤勤務

三笠宮瑶子さまは、2006年12月から日本赤十字社(事業局組織推進部青少年・ボランティア科を経て血液事業本部販売管理課)で常勤で勤務されました。

大学を卒業した後、お父様から「一般常識を身につけた方が良い」とアドバイスを受け、日本赤十字社で働くことを決めたそうです。

三笠宮瑶子さまは入社後に「お飾りの存在ではなく、任せられた以上の仕事をしよう」と決心され、人との関わりや繫がりを大切しながら仕事に奮闘されました。

常勤属託としての勤務ではありましたが、当時の三笠宮瑶子さまは宮中行事や闘病中のお父様の寬仁親王の公務の代理と、日本赤十字社での勤務をこなしていました。

「公務等と仕事の両立は簡単なものではなかった」と講演で述べられています。

国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁

三笠宮瑶子さまは、2013年8月29日付で一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁に就任しています。

ユニヴァーサルデザインとは、言語・国籍・性別・年齢等にとらわれることなく誰しもがスムーズに使える建築・商品・情報の設計のことです。

一般社団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会とは、ユニヴァーサルデザインの普及を目指し、社会の発展とよりよい暮らしを目指す活動団体のことです。

お父様の寬仁親王は前総裁を務めており、お父様の意思とユニヴァーサルデザインを普及させるという夢を引き継がれ、三笠宮瑶子さまも総裁として精力的に活動されています。

第3代社会福祉法人友愛十字会総裁

三笠宮瑶子さまは、2014年1月14日付けで社会福祉法人友愛十字会総裁に就任されています。お父様の寬仁親王も前総裁として活躍なさっていました。

社会福祉法人友愛十字会は「共に生きる」をテーマに掲げ、東京都で、障害者施設・高齢者施設・その他公益事業を行っています。

三笠宮瑶子さまは、こうした活動を通して「誰もが豊かで自立した生活を送る」ための支援を積極的に行っています。

NPO法人日本ユニバーサルサウンドデザイン協会名誉総裁

三笠宮瑶子さまは、2021年にNPO法人日本ユニバーサルサウンドデザイン協会名誉総裁に就任しました。

ユニバーサルサウンドデザインとは年齢の差や難聴をわずらっていても聞こえやすい音環境の設計を行うことをいいます。

三笠宮瑶子さまは、NPO法人日本ユニバーサルサウンドデザイン協会をはじめ、福祉団体の支援を行っています。彼女は、福祉への関心、障害支援に心を尽くしているのです。

皇族初のミャンマー訪問

三笠宮瑶子さまは、アウンサンスーチー国家顧問の招待を受け、2019年12月11〜17日までミャンマーを訪れました。

天皇陛下の即位礼正殿(せいでん)の儀に外国賓客として来日したスーチー氏より申し出があり、ミャンマー行きを決めたそうです。

現地ではミャンマーの都市ヤンゴン、ネピドーを周る他、仏教遺跡や国立博物館を視察されました。

さらに、スーチー氏と懇談し、日本人戦没者慰霊碑で供花もされたそうです。日本の皇族の方がミャンマーを訪れたのは、三笠宮瑶子さまが初めてでした。

三笠宮瑶子さまは難聴であることを明かした

2022年、三笠宮瑶子さまは難聴であることを報道陣の前で明かされました。

お話があったのは、法人日本ユニバーサルサウンドデザイン協会が主催し、埼玉県で開かれた「ヒアリングフレイル予防講習会」の場でした。

ヒアリングフレイル予防講習会を主催したのは三笠宮瑶子さまが名誉総裁を務めている団体です。

ヒアリングフレイルとは聴く力が衰えることで生じるコミュニケーション問題のことで、会話や行動範囲にも影響が出るとされています。

その講習会の場で、三笠宮瑶子さまは、ご自身が低音型の感音性難聴であるとし「低い音はあまり聞き取れない」と話されました。

また、難聴は若い方でもなる可能性があることに触れ、ヒアリングフレイルの予防に力を入れていこうと挨拶を締められました。

三笠宮瑶子さまは、難聴をわずらいつつも、社会福祉活動に精力的に活動されています。

三笠宮家の家系

三笠宮家の宮号は1935年崇仁親王が成年式の際に賜わり、三笠宮家が設立されました。三笠宮家の家系はどのようなものなのでしょうか。

三笠宮瑶子さまのお父様から詳しく解説していきます。

父は寛仁親王

三笠宮瑶子さまのお父様は寛仁親王(ともひとしんのう)です。1946年1月5日に神奈川県で誕生しました。

学習院初等科・中等・高等科で学び、学習院大学法学部政治学科に入学しました。

その後オックスフォード大学モードリン・コレッジに留学したことで、国際親善に着目し、日英協会名誉総裁を務める等海外との交流に積極的に参加されたのです。

ひげを蓄えた様子から「ひげの殿下」の愛称と飾らない人柄で多くの国民から親しまれていました。

また、障害者福祉やスポーツ振興の公務には活動的に取り組み、ご自身がスポーツ指導することもあったそうです。2012年6月6日に多臓器不全のため、崩御されました。

三笠宮崇仁親王を祖父に持つ

三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)は、大正天皇と貞明皇后の第4皇男子として1915年12月5日に誕生します。

昭和天皇を兄に持ち、第125代天皇明仁は甥にあたります。学習院中等科を卒業後、陸軍士官学校・陸軍大学校を卒業しました。

軍人として活躍し、最終階級は陸軍少佐となります。三笠宮崇仁親王は、1935年の成年式にて「三笠宮」の宮号を賜わり、三笠宮家初代当主となりました。

彬子女王が姉

彬子女王(あきこじょおう)は、三笠宮瑶子さまのお姉様にあたります。生年月日は1981年12月20日です。

松濤幼稚園に通われた後、学習院幼稚園に転園して以降は、学習院の一貫教育を受けられています。2004年に学習院大学文学部史学科を卒業されました。

イギリスのオックスフォード大学マートン・カレッジにも留学され、日本美術史を学ばれます。彬子女王は、海外に渡ってしまった日本美術品の調査、研究を熱心に行いました。

その後、オックスフォード大学大学院博士課程を納め、博士号を取得されます。日本に帰国後も、日本美術の研究、調査に従事されています。

日本の皇族についてもっと知りたい方は

ここまで、三笠宮瑶子さまについてご紹介してきました。

障害者福祉事業に積極的に取り組み、公務と両立されながら日本赤十字社で常勤される等、三笠宮瑶子さまの真っ直ぐで真面目なお人柄がお分かりになられたのではないかと思います。

日本の皇室についての情報をお探しなら、宮内庁のサイトで王室の基本情報や最新ニュースなどを確認することができます。

さらに皇室についての本や資料を参考にすることでより皇室についての知識を得ることができるのです。

そして、より詳しく三笠宮瑶子さまや三笠宮家、皇室の情報について詳しくお知りになりたいのならぜひ当サイトの他の記事をご覧ください。

今回、ご紹介した三笠宮家の情報をはじめとして、今だからこそ知りたい皇室情報を全て掲載しております。

三笠宮瑶子さまの情報のほか、皇室の情報を掲載している当サイトで、日本古来から続く皇室の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

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