タイ王室が世界一裕福な王室と言われる理由とは?タイ王室の歴史や家系図・著名な国王までご紹介します。

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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世界で最も裕福な王室や国といえば、どこを思い浮かべるでしょうか?

イギリス王室のエリザベス女王やチャールズ皇太子などは日本でも有名ですが、実は日本とほど近いタイの王室が最も裕福な王室といわれているのです。

今回は、なぜタイ王室が世界で最も裕福な王室であるといわれているのかの理由、そしてそこに至るまでのタイの歴史などに関して詳しく解説していきます。

タイ王室が世界一裕福な王室と言われる理由とは?

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国王制が敷かれている国は世界に目を向けてみれば少なからず存在していますが、中東やアジア圏などでも珍しくはありません。

そんな中にあって、タイ王国の王室は石油の産油国であるサウジアラビアなどの中東、同じく王室制を敷いているイギリスなどを抑えて世界一裕福な王室であるといわれています。

ラーマ10世の総資産は約440億円

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タイ王国を現在治めているラーマ10世、ワチラロンコン国王は世界一リッチな王であり、その巨額の資産が注目されています。

総資産は、CEOマガジンが発表したところによると440億ドルとされていて、日本円に換算すれば約4兆6千億円という膨大な金額になっているのです。

これは世界においても最も裕福な王室であるとして、様々なランキングでも群を抜いてのトップに位置しています。

この金額は同じ王室制で日本でも有名なイギリスのエリザベス女王が保有している資産のおよそ80倍という、個人が保有するにはあまりにも大きな金額である事が分かるでしょう。

超富裕層の人数は日本を超えている

日本においても富裕層と貧困層との格差が問題視されて久しくなっていますが、タイにおいては超富裕層と呼ばれている資産家たちの存在は日本以上であるといわれています。

資産保有額が3,000万ドルを超えるタイ人の超富裕層は、2020年に1,000人を突破すると過去に予測していた企業もありました。

実際のタイの超富裕層の人数は2015年に572人で10年前の2倍以上になっており、全体的な超富裕層の割合は日本人以上とみられています。

国内では大規模なデモも起こっている

こうした格差の存在は、国内でも問題視されています。

タイでは王室改革を求める活動が憲法裁判所の採決によって禁止となっているのですが、この判断に対して反対活動を行っている若者が増加しているのが現状です。

若者が主動している反政府デモは、「国王が力を持ちすぎてタイが民主主義から遠のいている」といった反発の声をあげています。

タイ王室の家族図

2016年には、崩御された故プミポン国王陛下、ラマ9世の火葬式が行われ、日本でも度々報道がされるなど大きな注目を集めていました。

フェイスブックのページ「Royal World Thailand – รอยัล เวิลด์ ประเทศไทย」では、タイ王室の家系図が公開されており誰でも英語およびタイ語版がダウンロードできるようになっています。

現在の国王として即位しているラーマ10世は、1782年から続く初代ラーマの家系から始まって10代目になる人物です。

ラーマ10世はソームサワリー・スチャーリニー・シーラット・そしてスティダーと4人の王妃を迎えており、都合4度結婚しています。

子女として7人の子供がいますが、王族籍となっているのは以下の3人となります。

  • パッチャラキッティヤーパー王女
  • シリワンナワリーナーリーラット王女
  • ティーパンコーンラッサミーチョート王子

この内、ティーパンコーンラッサミーチョート王子は、王位継承順位第1位として後継者筆頭に数えられています。

タイの歴史について知りたい!

家族図の中でも触れている通り、タイの王族というのは現在のラーマ王の家系でも10代、年代にして240年以上続いている由緒ある王室です。

ここからは、そんな王室制が長く続いているタイという国そのものの歴史を紐解いていきましょう。

スコータイ王朝

まず最初にご紹介するのは、スコータイ王朝です。13世紀後半から15世紀に現在のタイがある国に興った王国であり、同国の始まりの国ともいえます。

元々タイ人はシャム人という種族でもあり、現在の中国の四川地方や雲南地方等を居住地としていたのですが11世紀から13世紀にインドシナ半島へ移住したとされます。

この王朝ではチャオプラヤー川の支流のヨム河畔にあるスコータイを都として定め、周辺の平野部を支配する王朝として興りました。

元々はクメール人の治めているカンボジアのアンコール朝に従属する形を取っていたものの、当時の王だったジャヤヴァルマン7世が逝去してからアンコール朝の勢力が次第に衰えていきました。

同時に雲南地方から南下し居住地を探していたタイ人が独立し、1240年ごろにスコータイを都としてタイの祖先となる王朝が興ったという訳です。

この王朝を収めていた中でも特徴的なのは、ラームカムヘーン王です。王朝の第3代国王となったこの王は、1283年にカンボジアの文字を元として独自にタイ語を作った人物とされています。

加えて上座部仏教を保護する動きも見られ、このスコータイ王朝をはじめとして各地には仏教系と見られる遺跡も多く遺されているのです。

ラーンナー王朝

続いては、ラーンナー王朝になります。13世紀から18世紀にタイ北部のチェンマイを中心として栄えた王朝の名前であり、タイ北部からビルマ、ラオスにかけての一帯の呼称です。

ラーンナーというのはタイ語で「百万の田」という意味を持っており、南側のアユタヤ朝との交易によって栄えていました。

16世紀半ばを境目に、ビルマのタウングー朝からの侵攻を受けて支配を受けることとなりました。

王国としてはその後18世紀に復興を見せたものの、次第に南部にあるタイのラタナコーシン朝が有力となっていき、その朝貢国へと変化していった経緯があります。

こうしたラーンナー王朝の勃興と衰退の動きは、チェンマイを中心としたチェンマイ年代記などの資料の解読によって紐解かれていきました。

アユタヤ王朝

続いてのアユタヤ王朝は、1351年から1767年に現在のタイの中部であるアユタヤを中心として展開していった王朝になります。

世紀としては14世紀から18世紀までと長く、15世紀ごろにはカンボジアまで勢力を伸ばして全盛期を迎えています。

米・獣皮・象牙・綿花・香辛料といった品物の輸出を盛んに行っており、その貿易をインドや中国といった近隣の大国と行うことで港市国家にもなりました。

1431年には東のカンボジア王国の都であるアンコールワットを占領・壊滅させ、1438年には北部のスコータイ朝も併合するなど、かつてない強大な力を持つ国へと変わっていったのです。

日本人も朱印船貿易の開始とともに16世紀末ごろからタイに住み始めたといわれていて、最も栄えたころには1,000人から1,500人ほどがこのアユタヤ王朝のタイに住んでいた模様です。

17世紀中ごろになるとフランスやオランダといったヨーロッパ諸国とも貿易を盛んに行っており、1680年には親フランス政策としてルイ14世の宮廷に使節団を送るなどしていました。

しかし18世紀からは外国勢力の伸長が著しく危機感を覚えたことから鎖国をしはじめ、1752年にはビルマを統一したコンバウン朝の勢力が拡大、同軍に侵攻され王朝が滅亡します。

トンブリー王朝

コンバウン朝によってアユタヤ王朝が滅びた後、ビルマ軍に抵抗し撃退したタークシン王が建てた王朝が、トンブリー王朝とされます。

元はスコータイの西方にあるタークの領主で、侵攻してきたビルマ軍の撃退によってアユタヤ朝時代の領土回復に貢献するなど、救国の英雄と扱われていました。

ですが、各地には地方独立政権が依然として残っている状態であり、タークシン王に権力が集中するのを望まなかったために、仏教勢力と衝突してしまいます。

その結果タークシン王は捕らえられ、処刑されてしまいました。

チャクリー王朝

最後にご紹介するチャクリー王朝は、1782年にラーマ1世、つまり現在のラーマ10世の祖先となる人物が起こした現在のタイの祖となる王朝です。

首都は現在のバンコクであるためにバンコク王朝、または王宮が運河とチャオプラヤー川に囲まれているラッタナーコーシン島にあることからラッタナーコーシン王朝と呼ばれることもあります。

現在まで続いている王朝であり、現在治めているラーマ10世を含め10代の歴代の国王が名を連ねていて、チャクリーというのもラーマ1世の高貴な称号です。

タイ王室の初代国王は?

現在のチャクリー王朝を王室とする中での初代国王は、タイという国を作ったと形容しても過言ではないラーマ1世です。現在統治しているのがラーマ10世ですので、その初代の祖先ということになります。

現在統治しているのがラーマ10世なので、その初代の祖先ということになります。

タークシン王は先にご紹介したトンブリー王朝を興した人物であり、ラーマ1世はタークシン王に仕える将軍として戦果・戦功をあげて猛将と謳われていた人物です。

タークシン王が反乱を起こした時、国内での混乱を危惧して処刑を行いました。

その後、首都をトンブリーから現在の首都であるバンコクへと移して法典の収集改定を行うなど、新しいタイという国の礎を築きました。

歴代タイ王室の著名な国王を紹介

タイ王室は現在続いているチャクリー王朝だけでも10代の歴代国王が存在しており、更にその前にも様々な王朝の王が存在しています。

そんな中から、著名な国王を2人ほどご紹介しましょう。

プミポン国王

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まず1人目は、プミポン国王になります。またの名をラーマ9世といい、現在の国王であるラーマ10世の父に当たる人物です。

王として即位したのは何と18歳のころであり、89歳で崩御されたために実に71年間も国のトップとして統治をし続けてきた人物になります。

国王として自ら地方に訪れ村々で演説を行うなど臣民の信頼を得ていた人物であり、質素で倹約的なスタイルを自ら実践することによって足るを知る生活を国民に知らしめていました。

ワチラロンコン国王

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もう一人は、ワチラロンコン国王です。ラーマ10世ということで現在のタイ王国の国王として即位している人物であり、先にご紹介したプミポン国王の子息になります。

イギリスの士官学校を卒業したのちにオーストラリアでも軍事課程を修め、米国や英国などとの軍事演習を指揮するなど軍部とのつながりを強めていました。

ラーマ9世の弔いに訪れた日本皇室と直接の交流を行うなど、日本との友好関係の構築にも積極的な姿勢を見せています。

タイ王室と政府の関係性

基本的にタイという国では立憲君主制が敷かれていて、国王が象徴的な存在として憲法に定められており政治への干渉が過度にならないよう制限がされています。

日本にも皇室として天皇が存在していますが、タイの王室と政府の関係については日本の皇室制とほとんど同じと考えてよいでしょう。

ただ軍部の権力が非常に強い点が日本とは異なっていて、現在でも王室が力を持ちすぎることを危惧した若者を中心とする国民による反政府デモが続いています。

タイ王室は日本の皇室とも深い関係が?

タイ王室と日本の皇室との関わりが最も表に出たのは、やはりラーマ9世が崩御されたときでしょう。崩御に際して、日本からも皇室がタイへと弔いに訪れました

この際、国王であるラーマ10世が直々に迎えて直接の交流を深めるといった対応がなされており、日本とタイとの友好関係が感じられる場面でした。

タイ王室について詳しく知りたいときは

タイ王室は、長く続く歴史を持ち日本とも交流の絶えることがない国となっています。加えて、世界一裕福な王室であるという非常に特徴的な王室制の国です。

当サイトでは様々な国の国王やその国の歴史について紹介しています。タイに限らず、王室について興味があるのであれば是非とも一読してみてください。

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