皇后とは?皇室典範の皇后の定義や現在の皇后雅子さま・妃との違い・皇太后との違い・中宮との違いも詳しく解説します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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TOKYO, JAPAN – JULY 03: Crown Prince Naruhito and Crown Princess Masako attend the send-off event for the Japanese national team for Rio 2016 Olympics at Yoyogi National Gymnasium on July 3, 2016 in Tokyo, Japan. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)

日本では現在雅子様となった皇后の皇位について、実際のところ詳しく知っている方はそれほど多くないかもしれません。

皇后について詳しく知ることで、皇室の情報がより理解しやすくなります。知識を深めて日本の皇室、そして世界の王室情報を楽しんでみましょう。

 この記事では皇后について、くわしく解説していきたいと思います。 

皇后とは?

皇后とは、天皇(または国王・皇帝)の妻(正妻)に与えられる称号で、王后と呼ばれることもあります。

国によってやや違いはありますが、基本的には皇后として公務を行い、天皇を支える役割が期待されています。

公務は外交が主であるケースが多く、現代では政治的な権限は強くないことが一般的です。

たとえば日本の皇后は、名誉職についたり伝統的な養蚕を行ったりすることが特徴です。

また近代では、天皇と共に地方を訪問し、国民と触れ合う機会を積極的に取る傾向にあります。

皇后の語源 

日本の皇后の語源は、「古事記」や「日本書紀」にまで遡ります。古事記では当時キサキ(后)と呼ばれていましたが、日本書紀から皇后という漢字が使われるようになりました。

皇后の称号が明文に規定されたのは、大宝律令が制定された後のことです。

そのため、厳密にいうと日本で最初に皇后となったのは、聖武天皇の妻(光明皇后)となります。年代でいうと天平元年(729年)のことです。

しかし日本書紀でもすでに皇后が使われていたため、光明皇后以前も皇后と呼ぶのが一般的です。

皇后の歴史 

皇后の歴史は、古代から現在に至るまで、様々な文化や政治的な背景を反映しています。

日本では皇后を決めることを立后といい、皇室会議での決定が必要です。

また、明治以前まで、皇族の女子以外は皇后になることはできませんでした。しかし聖武天皇が臣下である藤原不比等の娘の光明子を皇后にするような例外も見られました。

敬称は明治まで殿下であり、天皇と同じく崩御や山稜といった言葉が使われていました。

一時期は皇后が同時に2人擁立される事例があり、「中宮」と呼ばれて区別することもありましたが、近代では皇后の定員が1名となったため皇后で統一されています。

なお、現代では現在の皇后雅子様や上皇后の美智子様のように一般人から皇室入りすることも可能です。敬称は陛下となりますが、一般的には「さま」をつけることが多いです。

皇室典範の皇后の定義 

皇室制度について定めた皇室典範では、皇后は皇族の1番上に表記しています。つまり天皇に次ぐ重要な皇族ということです。

ただし日本で皇位を継承するのは皇族の中でも男系の男子に限られているため、皇后が皇位を継承することはありません。

敬称については、天皇と同様皇后も「陛下」と呼ばれます。また葬る所は墓ではなく「陵」とされ、他の皇族とは区別されているのが特徴です。

なお、皇后ならではの規定として、一般人の女性が皇族男子と婚姻する場合のみ皇族になれることが定められています。

一方皇族の女性が一般人の男性と婚姻した場合は女性が皇族から外れるため、一般人の男性が皇族になることはあり得ません。

現在の日本の皇后は雅子さま 

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現在の日本の皇后は雅子さま(旧名:小和田雅子)です。天皇と共に、令和元年(2019年)5月1日に皇后となりました。

雅子さまは1963年12月9日に生まれ、現在の天皇である徳仁陛下とは3歳差です。

外交官だった父の小和田恆さんの娘であり、父の仕事の関係でグローバルな幼少時代を過ごしました。

そしてハーバード大学を卒業し、外務省へ就職した後、結婚を機に退職して皇太子妃となりました。

結婚後は長女の愛子内親王が誕生し、家族3人で公務を行うことも増えてきています。

皇后と妃の違いは? 

皇后と妃は同じく姫という意味があり、身分の高い男性の妻を指していますが、2つの字には明確な違いがあります。

何がどのように違うのか、ここから詳しく解説していきます。

皇后は天皇の妻 

皇后は日本皇室において天皇の妻を指しています。皇后は1人と定められており、現在も雅子さまのほかに皇后は存在しません。

ちなみに皇后を英語で表現すると「an empress」です。元々「后」という字は「天子」や「帝王」といった王のことを表しています。

一説によると、后の漢字は口と人から成っているため、人に命令を発する者という意味があるともいわれています。

その後日本書紀をはじめとして「皇后」という言葉に変わり、天皇(王・皇帝)の正妻を指すようになりました。

妃は皇太子や親王の妻 

一方妃は皇太子や親王の妻を指しています。

皇后のように1人という決まりはなく、皇族の中に複数いるのが特徴です。妃殿下と呼ばれることもあります。英語で表すと「a queen(王妃)」です。

「妃」の字は、男性の妻という意味があります。ただしこの字が用いられるのは皇族の妻に限られ、一般人の妻ではありません。

たとえば皇太子の妻であれば、皇太子妃となります。同じく親王の妻なら親王妃です。

后と比べると、妃よりも后の方が位が高いことが世界で見ても一般的です。なお、例外として王の側室を「妃」と呼ぶことがあります。

もし皇族と離婚した場合は「廃妃」と呼ばれ、身分を奪われる仕組みです。

また、天皇の立場を退いた上皇の妻は上皇后と呼ばれます。現在は雅子さまの前の皇后だった美智子さまです。

ちなみに后と妃は同じく姫の意味を持っており、特に女の子の名前として「妃」を使うのが人気です。

皇后と皇太后の違いは? 

皇后は天皇の妻であり、皇太后は先代天皇の妻という違いがあります。なお、皇太后は王太后と表すこともあります。

つまり皇太后とは天皇(皇帝・国王)の母を指していることが一般的です。ただし国によっては定義が異なり、日本もまた違う意味で称されるケースがあります。

なお、現在の徳仁天皇の母は、夫の上皇に合わせて上皇后と呼ばれています。

ここでは日本皇室の皇后と皇太后の違いについて見てみましょう。

皇后は天皇の妻 

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皇后は天皇の正妻を指しており、それ以外の意味はありません。現在は1人と定められているため、日本の皇后は雅子さまのみです。

なお皇后になることができるのは、大宝令によると「内親王(皇女)」が原則となっていました。そのため生まれが皇族でなければ皇后になることはできなかったのです。

しかし5世紀初めの仁徳天皇や聖武天皇が例外を作っており、明治に制定された皇室典範では上級華族にまで範囲が広がりました。

さらに戦後になるとこの制約も廃され、現在は一般人でも皇室に入り、皇后になることができます。

皇太后は先代天皇の妻 

皇太后は、先代天皇の正妻を指しています。日本において天皇の生母であるかどうかは関係ありません。

明治天皇までは正妻(正室)のほかに側室の存在があり、側室はたとえ次期天皇となる子供を出産しても立場や呼び方は変わりません。

例えば明治天皇の側室は後に大正天皇となる子供を出産したので天皇の生母となりますが、皇太后とは呼ばれないのです。

一方明治天皇の正妻は大正天皇と血のつながりはないものの、大正天皇即位後に昭憲皇太后となりました。

つまり皇后(天皇の正妻)にならなければ、皇太后にはならないと考えてよいでしょう。

なお、皇太后のさらに前は太皇太后と呼ばれます。

皇后と中宮の違いは? 

中宮とは、皇后が住む場所や、皇后と区別するための呼び方にするなど、時代や文化によってさまざまな使われ方をしてきました。

ここでは中宮の本来の意味と、その意味を変えてしまった平安時代の有名なエピソードのひとつをご紹介します。

「中宮」は本来皇后が住む場所を指す 

中宮とは、本来皇后が住む場所のことを指しています。

そのうち中宮そのものが皇后を指すようになり、皇后の別称として扱われるケースも多いです。

また、一時期は皇后・皇太后・太皇太后の三后を指す意味でも使われたときもありました。

しかし明治以降になると皇后が1人と定められたため、中宮を皇后の別称とする使われ方はなくなりました。

平安時代には天皇に正妻が2人いた!? 

平安時代には、皇后と中宮がどちらも天皇の正妻を意味する言葉として使われました。

本来正妻といえば1人しかなく、その他の女性は側室として明確に区別するのが一般的でした。

しかし平安時代中期では、正妻が2人いたこともあったのです。このとき呼び方を分けるために中宮の言葉が使われ、皇后と中宮で呼び分けていました。

そもそも中宮とは本来皇后が住むところという意味であるため、正妻を指す言葉ではありませんでした。

にもかかわらず、平安時代で有名な藤原道長とその兄の藤原道隆が、道隆の娘を天皇に嫁がせて(自分たちに)権力がほしいという思いで中宮の言葉を利用してしまったのです。

娘を嫁がせたいと思っている一条天皇にはすでに皇后がいたため、それならルールを変えてしまおうという強引な解釈が原因となっています。

いわゆる「一帝二后」の状況は、歴史上でも有名なエピソードです。これ以降、鎌倉時代の末まで皇后の定員は実質2名となりました。

その他の后妃 

皇太后や中宮のほかにも、天皇の妻という意味で使われた呼び方がいくつかあります。具体的には下記のとおりです。

  • 女御
  • 御息所
  • 更衣
  • 女院

ここからひとつずつ解説していきます。

女御 

女御(にょうご)とは、平安時代に使われた后妃の名前のひとつです。女御には定員がなく、天皇の妻の中でも低い身分とみなされてきました。

そのうち公卿クラスの身分の高い姫が女御になるという慣習が定着すると、その中から皇后に選ばれるようになるまで重要度が高くなっています。

同時に複数存在するケースが珍しくなかったため、呼び分ける目的で、住んでいる建物の名称を取って「承香殿の女御」といった風に表されることもありました。

なお、女御が住む建物のうち弘徽殿は天皇の住まいに近かったことから、弘徽殿の女御は皇后の第一候補とみられています。

御息所 

御息女(みやすどころ)は、そもそも天皇が休息する場所という意味で使われていました。しかしいつしか意味合いが変わり、天皇の御寝所に侍る女性を指す言葉になりました。

また、それだけではなく、皇子・皇女を出産した女御や更衣を指すときもあります。たとえば源氏物語では、六条の御息所と呼ばれる女性が登場しました。

そのほか皇太子妃や親王の妃まで幅広く御息所という場合もあります。さらに天皇の生母を他と区別して大御息所と呼ぶケースもあります。

御息所については、明確には定められていないと考えてよいでしょう。

更衣 

更衣とは、女御に次ぐ天皇の妃を指しています。

女御はいつしか公卿クラスの娘がなる慣習になっていたため、それ以下の出自の妃は区別して更衣と呼ばれました。

ただし一部の例外として、天皇から寵愛を受けていたり、父親が権力者などのように後見が強かったりすると、公卿クラスでなくても女御になることは可能でした。

一方で天皇の権力が弱まっていたり世間の反発が強かったりした場合は、天皇からどんなに寵愛を受けていても更衣から女御にはなれませんでした。

女院 

女院(にょいん)とは、太皇太后・皇太后・皇后・内親王・女御などに院号が宣下された際の名前です。

なお宣下とは、天皇の命令を伝える公文書が交付されることで、つまり天皇からの命令を受けたものといえます。

この時代背景としては、平安末期から鎌倉時代にかけて、未婚の皇女が女院号を宣下されると広大な所領が持てるという決まりがありました。

所領があれば皇室の収入源を確保し立場も維持できるため、多くの女性が女院となりました。

女院も女御と同様、住む場所や縁のある地名を名前の前において、「第三条院 藤原詮子」というように呼び分けているのが特徴です。

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世界には日本のほかにもさまざまな王室があり、それぞれに異なる歴史 や文化を持っています。 

世界の王室を知ることで、世界の文化をより深く理解できるようになるでしょう。

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