
紀子さまの若い頃がかわいいと話題になっています。今でも美しいとかなりの人気を集める紀子さまですが、若いころはどのような方だったのでしょうか。
そこで本記事では、紀子さまの若いころについてご紹介します。生い立ち・お父様・学歴・秋篠宮さまとのなれそめについてもご紹介するので参考にしてください。
紀子さまの若い頃がかわいいと話題!
紀子さまは、秋篠宮さまの妃にあたる方で、その美しい姿はご結婚された後も公務のたびに話題になるほどでした。
すらっとした体系で笑われている姿に、多くの国民が美しいと感じたことがあるのではないでしょうか。
そんな紀子さまですが、若いころは美しいだけでなく、とても可愛らしい女性でした。メディアでも取り上げられることが多く、探せば数多くの写真を拝見することが可能です。
若いころの紀子さまは、現在とは違って元気溢れる活発なイメージを感じさせる女性です。
今のおしとやかな雰囲気も良いと感じる方もいますが、若いころの活発なイメージの方が良いと感じる方も少なくないでしょう。
当時は、現在のようにメイクやファッションが違うにも関わらず、多くの人に可愛いと称されています。いかに若いころの紀子さまが、麗しい姿かが分かるでしょう。
紀子さまのプロフィール・略歴
Embed from Getty Images紀子さまが可愛いことをご紹介しましたが、紀子さまはそもそもどのような人物なのでしょうか。
可愛いだけではなく、本人のことを詳しく知りたいと思っている方も多いでしょう。そこでここからは、紀子さまのプロフィールと略歴をご紹介します。
プロフィール
若いころが可愛いと人気を集める紀子さまですが、現在の公務に取り組む姿も大変美しいといわれています。
おしとやかで、秋篠宮さまを一歩前で支える姿には、多くの国民が理想の女性像を感じたといわれる程です。
子供のころに海外で暮らしていたことから、英語とドイツ語を日常会話レベルで話せます。
また、2018年には肺の健康世界会議に出席し、国際結核肺疾患予防連合の名誉会員の称号を授与されるなど、偉大な実績を残しています。
略歴
紀子さまは、先述したように1966年9月11日に、静岡県静岡市駿河区の病院で誕生しました。
その後、お父様がペンシルベニア大学大学院に留学したことから、一家は渡米します。そして、6歳までペンシルベニア州で過ごしました。
1969年9月になると、ローズモント大学付属ローズモント・トゥリニティー・スクールに入園します。この間に自由学園幼児生活団通信グループを卒園します。
1970年にはセント・メリーキンダー・ガーデンに入園しました。そして、1971年にはヘンリー・C・リーエレメンタリースクールに入学します。
海外での学校生活を過ごしていたところですが、1973年に、お父様が学習院大学助教授に就任します。
これにより、一家で帰国することとなり、紀子さまは静岡市立中田小学校の1年生として編入しました。
しかし、同年9月には引っ越しに伴い新宿区立早稲田小学校に編入します。また、1975年には再び引っ越しの影響で、豊島区立目白小学校の3年生として編入します。
さらに、翌年の1976年には学習院初等科へと編入を行いました。ここまで何度も編入を繰り返してきた紀子さまですが、再び父の仕事の兼ね合いで海外へと渡ります。
父はオーストリアウィーン郊外の国際応用システム分析研究所の主任研究員に招かれます。
これにより、紀子さまは1977年にアメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナという学校の6年生として編入しました。
これだけの転校と海外移住を繰り返したため、英語はもちろんドイツ語も日常会話に困らない程度には使いこなせるようになったといいます。
その後、1979年に日本へ帰国し学習院女子中等科へ編入します。卒業後は、学習院女子高等科へと進学し、1985年には学習院大学文学部心理学科へと入学しました。
大学生として勉学に励む中、構内で秋篠宮さまと運命の出会いを果たします。
紀子さまってどんな女性?
紀子さまのプロフィールや略歴をご紹介しましたが、現在は大変女性らしいことも分かりました。
若いころはかわいいと人気を集める紀子さまですが、そもそもどのような人なのでしょうか。ここでは、紀子さまについて詳しく解説します。
小室眞子さん・佳子内親王・悠仁親王の母
紀子さまは、秋篠宮さまと結婚し、その後3人の子供をもうけています。まず1人目が小室眞子さんです。1991年に第1女子として誕生しました。
小室真子さんは、現在小室圭さんと結婚されています。そのため、皇族からは離脱している状態です。
皇族を離脱する前の身位は内親王です。離脱前は公務も務めていました。2人目が佳子内親王です。
佳子内親王は第2女性で、1994年に生まれました。現在も公務を務めており、小室眞子さんが務めていた公務などを引き継ぎ、総裁などの役目を代わりに務めています。身位は内親王です。
3人目は小室眞子さんと佳子内親王の弟である悠仁親王です。第1男子として2006年に誕生しました。身位は親王です。
お印は檜扇菖蒲
皇族の方には、それぞれお印と呼ばれるものがあります。お印とは、皇族が身の回りの品物などに用いるシンボルマークのようなものです。
個人で全く異なり、例えば先述した佳子内親王のお印はゆうなという花です。また、悠仁親王のお印は高野槇という針葉樹林が使われています。
そして、紀子さまのお印は檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)と呼ばれる多年草のひとつです。
名前の由来は、かつて宮中に使われていた扇に葉の出方が似ていることから命名されたといいます。そのため、皇族の立場である紀子さまに非常に会合うお印といえるでしょう。
紀子さまの生い立ちは?
紀子さまは、1966年9月11日に静岡県静岡市で生まれました。現在は皇室の一員ですが、実は生まれは一般家庭の方です。
旧名は川嶋紀子といい、両親ともに皇族関係の仕事といったわけでもありませんでした。唯一変わっているとするならば、お父様の仕事の兼ね合いで転勤が多かったことです。
お父様は川嶋辰彦、お母様は川嶋和代といい、紀子さまは長女として誕生しました。
生まれてすぐ、お父様がペンシルベニア大学院に留学したことから、一家で渡米することとなります。
そして、6歳までアメリカで過ごしていました。慣れない土地ではありますが、子供の紀子さまはすくすくと大きくなっていきます。
そして、その後お父様が学習院大学の助教授に就任したことにより、一家で帰国します。しかし、数年後には一家で再び海外へ移住することとなるのです。
このように、何度も海外への転勤などを繰り返し、日本へ帰国して落ち着いて学校に行けたのは中学校からでした。
高等科に通うようになると、彼女は学業の傍らで募金活動などにも取り組むようになっていきます。
そして、高等科を卒業すると大学へと進学します。この大学こそ、現在の夫である秋篠宮さまとの出会いの場所です。
2人は大学で仲が良く、次第に惹かれあい結婚の運びとなります。結婚後は、少し時間はかかりましたが3人の子供を設けて、今なお公務を立派に務めています。
紀子さまのお父様はどんな人?
紀子さまを語るうえで、紀子さまのお父様を忘れてはいけません。実はお父様である川嶋辰彦さまは、日本の経済学者であり、国土交通省専門委員を務める人物でした。
また、優秀な学歴も持っており、留学や海外の大学への研究員就任などの兼ね合いで紀子さまは何度か転校生活を送りました。
しかしながら、留学を経て、日本では学習院大学の名誉教授にまで昇りつめます。
紀子さまの学歴は?
紀子さまがどのような方かをご紹介しましたが、どのような学歴を歩んできたのでしょうか。
紀子さまは、小学校から大学まで学ばれています。ここでは、学歴について解説します。
小学生時代は父の転勤でさまざまな学校に在学
紀子さまの小学生時代は、お父様の転勤でさまざまな学校に通われていました。
生い立ちでもご紹介しましたが、最初の入学は、海外のヘンリー・C・リーエレメンタリースクールでした。
そこから、何度か転校を繰り返します。静岡市立中田小学校への編入、新宿区立早稲田小学校への編入、豊島区立目白小学校への編入といったように転校します。
その後、学習院初等科に編入しますが再び海外へ転校となり、ウィーンのアメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナに通いました。
学習院大学文学部心理学科
小学校のさまざまな転校を経験し、中学校からは日本の学校へと通い始めます。学習院中等部へと通った紀子さまは、高等部へと進学後、学習院大学文学部心理学科へと進学します。
ここでは、サークル活動にも積極的に取り組んでおり、自然文化研究会・心理研究会・手話サークルなどさまざまな取り組みを行っていました。
学習院大学大学院人文科学研究科
紀子さまは大学では優秀な成績を残されており、卒業後は学習院大学大学院人文科学研究科へと進学します。
社会心理学を専攻した紀子さまは、社会活動の個人に対する影響力などを学ばれていました。
秋篠宮さまと紀子さまのなれそめは?
紀子さまは、度重なる転校を経験し、日本の大学に通われて勉強をされていました。それでは、秋篠宮さまとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。
ここでは、紀子さまと秋篠宮さまとの出会いについてご紹介します。
学習院大学在学中に出会う
紀子さまと秋篠宮さまとの出会いは、大学時代のことです。学習院大学の在学中に出会いました。
出会いの場所は、なんと大学構内の書店だったといわれています。秋篠宮さまも同時期に学習院大学に通われており、法学部で学ばれていました。
この出会い以降、サークル活動を通して交際を深めたといわれています。また、早くから宮中にも招かれていたといわれています。
家族と打ち解けられるように、家に招かれたりテニスを楽しんだりして、食事なども一緒にされていたこともありました。
当時は3LDKのプリンセスと話題に
突然の秋篠宮さまとの出会いから結婚の話となった紀子さまですが、当時はその生活の変化から、3LDKのプリンセスと話題になりました。
紀子さまは、当時学習院大学の教職員用共同住宅に住んでいました。
そのことから、マスコミは一般家庭から誕生した現代のシンデレラとして、3LDKのプリンセスと呼んだのです。
皇室の情報について知りたいなら
紀子さまは若いころから可愛く、勉学に励む女性でした。秋篠宮さまとの出会いから皇族入りされ現在に至りますが、その美しさは磨きがかかっているように思えます。
皇室のことをもっと深く知りたいのであれば、皇室の方々の生い立ちや取り組みなどにも視野を向けてはいかがでしょうか。