日本から遠く離れた中東の国、サウジアラビア王国。
広大な砂漠やエキゾチックな衣装など、異国情緒あふれるイメージで私たちを魅了するこの国は、王制(絶対君主制)という世界でも数少ない政治体制を持つ国の1つです。
また、アラビア半島の大半を占める産油国として世界経済に大きな影響力を持っていることでも有名です。
そんな国で皇太子を務めるムハンマド・ビン・サルマーンとはどのような人物なのでしょう。皇太子の実像に迫ります。
サウジアラビアの皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンはどんな人物?
Embed from Getty Imagesサウジアラビアの皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンは、次代の国王として国の内外で期待される人物です。その若さにもかかわらず要職を歴任し、数々の改革を成し遂げた実績があります。
優れた政治的才能の持ち主であると同時に、ルックスの面でも欧米の有力誌で「俳優のような精悍な風貌」「意外にも笑顔がチャーミング」と紹介されるほどの個性を持っています。
こういったポジティブな評価を受ける一方で強引な激情家という批判もあり、明暗両方の面を持つ人物といえるでしょう。
なおサウジアラビアは王国であるため、正確な称号は王太子です。
皇太子ムハンマドが掲げる政策テーマは新しいサウジアラビアの創出です。
たとえば、サウジアラビアでは女性が車を運転することは禁止されていました。そのルールを廃止して女性に運転免許を交付できるようにしたのも、皇太子ムハンマドの主導によるものといわれています。
またそれまで石油に依存していた自国経済を、石油以外の産業でもリーダーシップを発揮できる方向に変えていく長期経済政策「ビジョン2030」の発案者も、皇太子ムハンマドです。
ほかにもすべての電力を再生可能エネルギーでまかなう都市計画の策定や、過激なイデオロギーを捨てた「より穏健なイスラム」の主張など、かつてないユニークな政策を多数打ち出しています。
これはサウジアラビアの政治家としては今までにないことです。
それまで、サウジアラビアの政治は長老ともいえる年長者たちによって行われていました。そんな中に颯爽と登場した皇太子ムハンマドは、若い感性と情熱で今までと違うサウジアラビアを作ろうとしているのです。
そういった姿勢は国民の中でもとくに若い世代から期待を集め、若者の間でカリスマ的な人気を得ています。
また石油王の家系である彼は、セレブ中のセレブ。外遊中も一泊数百万円のスイートルームに宿泊し、数百億円の豪華ヨットを「衝動買い」するなど話題にも事欠きません。
実は親日家でもあり、敏腕政治家のイメージとは裏腹に日本のアニメやゲームがお好きという親しみやすい一面もあります。
サウジアラビア皇太子の生い立ち
Embed from Getty Imagesサウジアラビアは血統を重んじるイスラム国家です。そのトップである国王には、もちろん王家のエリートしか就くことはできません。
その国で皇太子に任じられたムハンマド皇太子は、どのようなバックグラウンドを持っているのでしょうか。その生い立ちから見ていきましょう。
1985年に生まれる
皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンは1985年8月31日にサウジアラビアの首都リヤドで誕生しました。
古くからサウジアラビアには、女性や子供を表舞台に出さない習慣があります。皇太子ムハンマドについても、幼少時のエピソードなど前半生は明らかにされていません。
数少ない情報からは、サウジアラビアで大学を卒業したこと、その後民間企業で働いていたことがわかっています。この時期の皇太子ムハンマドの情報は多くありません。
一夫多妻制という習慣のため、サウジアラビアの王族は非常に多くの子孫をもつ傾向にあります。皇太子ムハンマドも13人兄弟の8番目という家庭に育っています。そのため最初は単に「多数いる王族の1人」であり、注目に値しないという認識だったようです。
その評価が変わったのは、父の補佐を務めるようになってからでした。
父は第7代国王サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ
皇太子ムハンマドの父は第7代国王のサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズです。
皇太子ムハンマドは政治キャリアの最初から国王の補佐を務めています。父であるとともに政治活動の師であるともいえるでしょう。
サルマーン国王にはほかにも実子がいますが、ムハンマドは兄たちをおさえて皇太子の地位に就きました。そこからも相当な政治的手腕の持ち主であることが窺えます。
サウジアラビア皇太子の略歴は?
Embed from Getty Images当初、皇太子ムハンマドは多数いる王族の1人でした。その評価が変わったのはいつからでしょうか。現在に至る足跡を概観してみましょう。
民間企業で働く
皇太子ムハンマドはサウジアラビアのキング・サウード大学を卒業した後、民間企業で働いていたとされています。しかし、その当時のことはあまり知られていません。
前述のように、最初のうち皇太子ムハンマドは決して注目の的ではありませんでした。むしろ兄たちの華やかな活躍の陰に隠れていた節さえあります。
この当時から彼に注目した者はほとんどいませんでした。
政界入り
皇太子ムハンマドは、2009年に当時リヤド州の州知事を務めていた父の特別顧問に就任します。これが彼の政治キャリアの始まりでした。
以来、彼は常に父の補佐役という立場にありながら自分の政治的基盤を作りあげていきます。
国防大臣に就任
2015年、当時の国王アブドゥッラーが崩御し、新国王としてサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズが玉座に就きました。それにともない、皇太子ムハンマドは元国防大臣の父の跡を継ぐ形で国防大臣に就任します。
当時彼は29歳でした。これは国防大臣としては世界最年少です。また国王特別顧問と王宮府長官も兼任することになりました。
皇太子に昇格
こうして着々と政治の場で存在感を増していった皇太子ムハンマドは、2017年ついに皇太子に任じられます。王位継承権でトップに立つと同時に副首相にも任命されました。
当時彼は32歳。次期国王がこんなにも若いということは、サウジアラビアの歴史ではかつてないことです。たとえば現国王は即位した時すでに75歳でした。
皇太子ムハンマドが次代の国王になれば、サウジアラビア初の長期政権になるだろうといわれています。
家族構成は?
Embed from Getty Imagesイスラム圏では血縁がとても重要視されます。皇太子ムハンマドの家系について、この項であらためて見ていきましょう。
王族サウード家の一員
皇太子ムハンマドは現在のサウジアラビア王国を作った王家サウード家の直系血族です。それを明確にしている例として、ここでアラビア語の名前について検証してみましょう。
皇太子ムハンマドのフルネームは「ムハンマド・ビン・サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード」です。
かなり長くて私たちにとっては覚えにくい名前ですが、これは親の名前を受け継いでいるためです。「ビン」は「~の息子」という意味で、最後の「サウード」は家系を表しています。
つまりこの名前は「サウード家のアブドゥルアズィーズの息子サルマーンの息子ムハンマド」という意味になります。
ちなみにサウジアラビアという国名の「サウジ」も「サウード家の」という意味のアラビア語です。
初代国王の孫
Embed from Getty Images現在のサウジアラビア王国は、1932年に初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード(アブドゥルアズィーズ1世)が建国したものです。
建国の父アブドゥルアズィーズには複数の妻がいましたが、彼がもっとも愛したのはハッサ・ビント・アフマド・アッ=スデイリー妃でした。この妃との間の子が第7代国王サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズです。
サルマーン国王には7人の兄弟がいますが、いずれも有力政治家になっています。
現在まで、サウジアラビアの国王はすべて初代国王アブドゥルアズィーズの子でした。つまり第7代国王サルマーンに至るまで王位はすべて兄弟間でやり取りされていたということです。
将来皇太子ムハンマドが国王になると、サウジアラビアの国王は初めて初代国王の孫世代に移ることになります。
サウジアラビア皇太子が首相に就任
Embed from Getty Images皇太子ムハンマドは、現在サウジアラビアの首相に就任しています。実は、このことはサウジアラビアにとって非常に特別なケースなのです。
どのように特別なのか、この後詳細に解説します。
2022年に就任
2022年9月、国王サルマーンは内閣改造案を発布して皇太子ムハンマドを首相に任命しました。これは極めて異例のことです。
本来サウジアラビアでは国王が首相を兼ねることになっており、このようなケースは今までありえなかったからです。国王はなぜ今までの慣例を破り、特例を作ってまで皇太子ムハンマドを首相に任命したのでしょうか?
これには皇太子への権限移譲によって次期国王としての立場を強く印象付ける狙いがあったものと考えられています。しかし、後述するカショギ暗殺事件が影響を与えた可能性も否定できません。
父王が息子をかばうために行った人事だったのでは?という疑惑は、現在に至るまで解明されないまま残っています。
経済開発評議会議長も兼任する
皇太子ムハンマドは、経済開発評議会議長も務めています。これにより彼は経済界にも多大な影響を与える立場に立ったのです。
産油国であるサウジアラビアにとって、輸出を含む経済は何より重要なことです。経済界をリードするということは、権力の頂点を極めることにほかなりません。
経済をその手におさめることで、彼は国家権力のトップにまた一歩近づいたのです。
サウジアラビア皇太子は結婚している?
皇太子ムハンマドの正妻はサラ・ビント・マシュフール・ビン・アブドゥルアズィーズ妃です。女性を表舞台に出さないイスラムの習慣のためメディアに登場する機会はほとんどありません。
ちなみに2人の新婚旅行先は日本だったとか。私たち日本人にとっては、ちょっとうれしい話です。
宗教的な理由から、サウジアラビア王族の結婚相手は同じ宗教観を持つ相手に限られています。たとえばヨーロッパの長年の慣習であった外国の王家との政略結婚などは、サウジアラビア王家では考えられないことです。
男性的な魅力にあふれたエキゾチックな風貌で「イケメン皇太子」とのニックネームもある皇太子ムハンマド。他国のプリンセスとのドラマチックなロマンスも期待してしまいますが、残念ながらその可能性はなさそうです。
サウジアラビア皇太子に持ち上がった疑惑とは?
これまで見てきたように、皇太子ムハンマドは若々しい発想と非凡な政治手腕でサウジアラビア政治家のイメージを一新してきました。魅力的なルックスも加わり、多くの人が彼を理想的な若きヒーローと考えています。
しかし、2018年に起きた事件はそのイメージに暗い影を落とすことになりました。それが「カショギ暗殺事件」です。
カショギ暗殺事件は、ジャーナリストのジャマル・カショギがサウジアラビア大使館内で消息を絶ち、のちに殺害されたことがわかった事件です。この事件は、皇太子ムハンマドの関与がほぼ確実と報じられました。
カショギは体制に批判的であり、かねてより王族を批判することが多かったため、政権にとって不都合な存在だったのです。
公的に責任を問われることはありませんでしたが、この事件は、彼をヒーロー視していたサウジアラビアの若い世代と欧米諸国からの期待を裏切ることになりました。
カショギ暗殺事件のほかにも、疑惑の種はあります。皇太子ムハンマドの指揮で2017年に行われた、汚職の一斉摘発もその1つです。
王族を含む多くの逮捕者の中には、皇太子ムハンマドに対立する姿勢をとっていた政治家も含まれていたといわれています。汚職という理由をつけて政敵を排除したと考えられるのも不自然ではありません。
溌溂とした新しいサウジアラビアの指導者を想像させる一方で、冷酷な面をも併せ持つ皇太子ムハンマド。彼はサウジアラビアを変える救世主なのでしょうか?それとも冷酷な独裁者なのでしょうか?
今後その真価が問われることになるでしょう。
王家の情報について知りたいなら
サウジアラビア王国の皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンについてご紹介しました。
優れた政治手腕と男性的魅力に満ちたルックスを持つ皇太子ムハンマドは、サウジアラビアの新しい未来を切り開く次世代の政治家として国民の期待を集めています。
しかしその一方で彼は、目的のためなら手段を選ばない、非情な政治家の一面をもかいま見せているのです。その姿は、さながら絶えず形を変える砂丘のようです。
本当の姿を容易に見せないミステリアスな彼から、これからも目が離せそうにありません。
当サイトでは、サウジアラビア王家について今後もご紹介していく予定です。あまり報道される機会のないサウジアラビア王家の情報について知るには、ぜひ当サイトをご覧ください。