フィリップ王子はどんな方?波乱の経歴とイギリス王女との結婚・晩年の生活を紹介します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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HAMPSHIRE, ENGLAND – UNDATED: In this image, made available November 18, 2007, HM The Queen Elizabeth II and Prince Philip, The Duke of Edinburgh re-visit Broadlands, to mark their Diamond Wedding Anniversary on November 20. The royals spent their wedding night at Broadlands in Hampshire in November 1947, the former home of Prince Philip’s uncle, Earl Mountbatten. (Photo by Tim Graham/Getty Images)

フィリップ王子はイギリスの女王エリザベス2世の夫です。日本ではフィリップ殿下として報道されることが多くありました。

イギリス国民からも愛されるロイヤルファミリーの一員でしたが、度々世界を騒がせてきた人物という印象を持つ方も多いでしょう。

そんなフィリップ王子ですが、その経歴と人生は波乱に満ちていました。

フィリップ王子はどんな方だったのか、そして生い立ちや結婚・晩年の生活を解説します。

フィリップ王子はどんな人なの?

フィリップ王子はイギリスの君主・エリザベス2世のでした。女王の夫ですが共同統治者の称号は持つことができず、一人の配偶者として妻を73年間支えてきた人物です。

当時即位前のエリザベス王女と結婚する前は、イギリスの海軍として第二次世界大戦にも従軍していました。

一見華やかな経歴のように見えますが、その人生は幼少期からまさに波乱万丈だったといえるでしょう。

さらにイギリスの王族となった後も、彼の言動やスキャンダルが問題となり世界で報道されたこともあります。

一方で公務には献身的に出席し、イギリス王室の近代化にも積極的でした。

2021年に亡くなるまでエリザベス女王の夫であり続け、イギリス国民から愛された人物といえます。

フィリップ王子の生い立ち

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今でこそイギリス王家の人間として知られるフィリップ王子ですが、元々はギリシャ・デンマークの王子として生まれました。

幼少期から激動の時代を生き抜いた彼の生い立ちを解説します。

プロフィール

フィリップ王子は1921年の6月10日、ギリシャのコルフ島で生まれました。父親はギリシャ及びデンマーク王家のアンドレオス王子、母親はバッテンベルク家出身のアリス王女です。

つまりフィリップ王子はギリシャとデンマークの王子として生まれた、ということになります。

さらに母親のアリス王女はイギリスのヴィクトリア女王のひ孫でもあるため、息子のフィリップ王子は後の妻となるエリザベス女王とは遠縁の親戚にあたるのです。

またフィリップ王子は第5子で、姉が4人います。姉は全員ドイツの王侯家と結婚することになりました。

幼少期の王子

彼の幼少期は孤独という一言につきます。とはいえ、生まれてすぐはただ一人の男児として家族に愛され、温かな家庭で育ちました。しかしそんな幸せな生活はフィリップ王子が1歳半の頃に突然終わりを迎えます。

ギリシャのクーデターにより、フィリップ王子とその家族はパリへの亡命を余儀なくされたためです。

この過酷な生活により、母親のアリス王女の精神状態も不安定になってしまいます。統合失調症を発症してスイスの療養所に入院することになったのです。

父親のアンドレオス王子も、家庭を顧みなくなって放蕩生活をするように。

これによりフィリップ王子はほとんど親の顔を見ずに育つという、孤独な幼少期を送ることになります。

加えて4人の姉もそれぞれドイツの王侯家に嫁ぐことが決まったため、彼はわずか8歳にして1人取り残されることになるのです。

1人となったフィリップ王子は母方の伯母や伯父の家を転々とした後、叔父を保護者として寄宿学校で生活することになります。

ギリシャでのクーデター

そもそもフィリップ王子とその家族が落ち着かない生活を強いられたきっかけは、ギリシャで起こったクーデターです。

ギリシャが希土戦争に破れたことで1922年に勃発しました。フィリップ王子の伯父であるコンスタンティノスは王位を追われ、父のアンドレオス王子も反逆罪に問われます。

これによりフィリップ王子を含めた家族はパリに亡命することになったのです。

フィリップ王子の経歴

王室に生まれながらも、幼少期から辛い生活を送っていたフィリップ王子ですが、その後エリザベス王女と結婚するまでも波乱の人生が続いていました。

その経歴は王子としては異色といえるでしょう。ここでは結婚までの各経歴を深堀りします。

フランス亡命時代

先述したようにフィリップ王子と家族は、ギリシャのクーデターでフランスのパリに亡命することになります。

落ち着かない生活で母親のアン王女は精神が参ってしまい、フィリップ王子ら子ども達は頻繁に両親の友人や親戚のもとに預けられていました。

ある日子ども達が外出している間に母親がスイスの精神病院に入院していったことをきっかけに、家族がバラバラになっていきます。

両親がおらず、姉たちも全員結婚して取り残されたフィリップ王子。そんな彼の面倒を見たのが母方の親戚であるマウントバッテン家でした。

伯父のジョージ・マウントバッテン卿がフィリップ王子の後見人となり、学生時代は複数の学校に通うことになります。

ドイツでの厳しい教育

ジョージが後見人となったことでフィリップ王子はイギリスの学校に入学し、その後姉の夫が所有していたドイツの学校に進学します。

しかし当時、学内では親ナチス派と反ナチス派が対立していました。フィリップ王子は反ナチス派でしたが、学外でナチス党員とトラブルを起こしてしまい、入学から一年弱でイギリスへ帰国することになります。

その後はスコットランドの寄宿学校に移ることとなり、やっとここで生活が落ち着きます。

ところが今度は、姉夫妻とその子供たちが飛行機事故によって亡くなり、後見人でもある伯父のジョージが病死するという悲劇が起こりました。

その間入院中の母親と会うことも、手紙を受け取ることも叶わず、フィリップ王子は引き続き孤独の中で日々を生き抜くことになります。

イギリス海軍軍人時代

その後イギリスでは、いつドイツとの戦争が始まってもおかしくない状況になります。

フィリップ王子は最初イギリスの空軍を志願していましたが、亡くなったジョージの後に後見人となった叔父のルイ・マウントバッテン卿の説得により海軍の兵学校に入ることに。

これはマウントバッテン家が海軍と縁が深かったことに起因しています。そして、この兵学校で後の妻となるエリザベス王女と出会うことになるのです。

フィリップ王子はその兵学校を首席で卒業し、第二次世界大戦を戦い抜きます。

士官候補としてインド洋で初めて軍務に赴き、次に地中海艦隊の戦艦ヴァリアントに異動して活躍しました。

フィリップ王子は当時サーチライトを担当しており、夜間時の作戦では重要なポジションにいたといいます。

若くして中尉となった王子はウォレスという駆逐艦にも乗艦し、戦争で生き残りました。

エリザベス王女と結婚後イギリスへ帰化

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兵学校で出会ったフィリップ王子とエリザベス王女は、戦争の間も文通を続け、王室にも招かれていました。戦後二人は本格的に交際を始め、1947年に結婚しました。

この結婚によって彼はイギリス王室の一員となり、さらにギリシャの王族という地位を放棄する形でイギリス国籍を取得。同時に自らの苗字もマウントバッテンに変更します。

その後は王位についたエリザベス王女をサポートしつつ、王子としてさまざまな公務に出席しました。

その傍らで軍人としてのキャリアも続けます。最終的に艦長に就任しますが、同時期にジョージ6世の体調が悪化しました。

そのためエリザベス王女が公務を代行することが増え、フィリップ王子もそのサポートに徹するために軍務を退くことになったのです。

その後ジョージ6世が亡くなったことで女王として即位した妻を支え続け、2017年で引退するまで公務も続けてきました。

フィリップ王子とエリザベス王女との馴れ初めは?

二人の出会いはフィリップ王子が在籍する海軍の兵学校に、当時イギリスの国王だったジョージ6世がエリザベス王女を連れてきたことから始まります。

当時士官候補生だったフィリップ王子に、13歳だったエリザベス王女が一目惚れしたことで二人は親密な関係になっていきました。

エリザベス王女の一目ぼれはイギリス国内でも有名な話です。

結婚直後は王室内での苦労があった

幸せな結婚ではあったものの、フィリップ王子は王室内でも苦労が絶えなかったといいます。

結婚当初イギリスでは反独感情が残っており、姉がドイツ貴族に嫁いだことで当時の首相や枢密院の重鎮からは良く思われていなかったのです。

事あるごとに排除されそうになり、扱いも決して良いものではありませんでした。

これが起因して、フィリップ王子には王室内で明確な称号を与えられなかったことも苦労の要因となります。

この称号がないため、フィリップ王子は機密書類を閲覧する権利も与えられませんでした。

また子供たちの姓に自分の名前を入れられなかったことも、フィリップ王子にとっては屈辱だったといえます。

フィリップ王子はスキャンダルや問題発言が度々取りざたされましたが、その要因には王室内の不明確な立場による苦悩があったと考えられます。

イギリス王族の家系

2022年に亡くなったエリザベス女王の後を継いだチャールズ国王とアン王女、そしてアンドルー王子とエドワード王子です。

そして2023年現在はその4人の子供達から更に子供が生まれ、エリザベス女王とフィリップ殿下のひ孫が誕生しました。

ここではフィリップ王子の息子であるチャールズ国王とその息子であるウィリアム王子、さらにジョージ王子について紹介します。

チャールズ国王

チャールズ3世はエリザベス女王とフィリップ王子の間に生まれた第1子です。2022年にエリザベス女王が亡くなったため、後を継いでイギリス国王として即位しました。

フィリップ王子は特にチャールズ3世には未来の国王とするために厳格なしつけを施し、その教育方針でエリザベス女王や乳母と対立することもあったほどです。

フィリップ王子の希望で一般の学校に通わせるなど、チャールズ3世は慣習を破りつつも未来の国王として育てられました。加えて、父親であるフィリップ王子と同じく海軍に入隊した経歴を持っています。

ウィリアム皇太子

ウィリアム皇太子はチャールズ国王の第一子です。フィリップ殿下にとっては孫にあたります。

2023年時点で王位継承権第一位(プリンス・オブ・ウェールズ)であり、将来チャールズ国王の次にイギリス国王となるのがこの方です。

このためイギリス国民からの人気も大変高く、父親のチャールズ国王を凌ぐほどでした。

チャールズ国王と同じく一般の学校に通学した経歴を持っています。ただし、小学校から通学していたのはウィリアム皇太子が初めてです。

軍人としてのキャリアもあり、陸軍・海軍・空軍全ての階級を保有しています。

ジョージ王子

ジョージ王子はウィリアム皇太子の第一子です。フィリップ殿下にとってはひ孫にあたります。

ジョージ王子の誕生は世界的にも大々的に報じられ、母親のキャサリン妃のお腹の中にいた時は「世界で一番有名な赤ん坊」と呼ばれたほどでした。

さらには王子の名前が賭けの対象になるなど、イギリス国民から何かと注目を浴びています。今後もこの注目は続いていくでしょう。

名前の賭けは、ジョージ王子の妹にあたるシャーロット王女と弟にあたるルイ王子でも行われていました。

フィリップ殿下の晩年はどんな生活だった?

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フィリップ殿下は2017年に全ての公務から完全に退きます。その4年後の2021年4月9日に99歳で亡くなりました。結婚生活は73年と、長きにわたってエリザベス女王を支え続けたのです。

晩年フィリップ殿下は公務引退後「静かに暮らしたい」と思っていたそうで、エリザベス女王とも距離を置いていたことが明らかになっています。

エリザベス女王はフィリップ殿下の気持ちを尊重し、お互い何週間も会わずに過ごしていたこともあったようです。

エリザベス女王とフィリップ殿下はおしどり夫婦として知られていたため、この事実に驚いたイギリス国民も多くいました。

一緒に暮らすようになったのは2020年末のことです。また、晩年のフィリップ殿下は複数の病を抱えていたことも明かされています。亡くなる直前の2021年2月まで心疾患で入院していました。

イギリス王族についてもっと詳しく知りたい方はこちら

イギリスの王族は世界でも何かと注目される存在です。スキャンダルが多いというイメージがある人もいるかもしれません。

しかしながら、エリザベス女王が南アフリカのアパルトヘイトの政策を廃止させたように、世界に大きな影響を及ぼしています。

イギリス王室にはフィリップ殿下やエリザベス女王を始め、個性的でさまざまな経歴を持つ方がたくさんいらっしゃいます。

もっとイギリスの王族について知りたいなら、ぜひ当サイトで紹介されている記事を読んでみてください。

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