かつて存在していた、ギリシャ王国の国王についてご存じでしょうか。現在王政は廃止されてしまいましたが、王国の成立から長期にわたってギリシャを統治してきました。
本記事では、ギリシャ国王やギリシャ王室について紹介しています。記事を読むことで、ギリシャ王室だけでなく、ギリシャの王政廃止についての知識も得られるでしょう。
ギリシャ王室に関する知識を得ることで、世界の歴史についても理解が深められます。気になる方は、ぜひ本記事をご一読ください。
ギリシャ王室の成り立ち

ギリシャはかつて王国で、その統治者である国王をはじめとする王室が存在していました。そのギリシャ王室は、どのように成立したのでしょうか。
ギリシャ王室の成り立ちは、ギリシャ王国が建国された1832年まで遡ります。
ギリシャ王国建国は1832年

ギリシャはかつて、オスマン帝国に統治されていました。独立のきっかけとなったのは、18世紀末に起きたフランス革命であると考えられています。
フランス革命の影響で、当時のギリシャ人は独立への意識が高められました。その結果、1821年にギリシャ独立戦争が勃発しました。
戦争は長期間に及びましたが、西欧諸国からの支援を受け、ギリシャは戦争に勝利します。1832年にギリシャ王国を建国し、独立を果たしました。
当時国王となったのは、バイエルン王国のオソン1世です。しかしその後、ギリシャ王国の内政は不安定な状態が続きます。
ギリシャ王制は政情に翻弄される

独立を果たしたギリシャ王国ですが、政治にはイギリス・フランス・ロシアの列強3国が介入しました。成立から長期間、ギリシャ王国の政治の実権は他国に握られます。
1841年、ギリシャ人による自治を希望していた国民は、立憲制への移行を提案します。しかし、初代国王のオソン1世はこれを拒否したため、国民からの不満が高まりました。
1843年、耐えかねたギリシャ国民がクーデターを起こします。これにより憲法が制定され、ギリシャ王国は立憲君主制へと移行しました。
しかし、オソン1世への不満が晴れることはなく、1862年にクーデターによってオソン1世は退位に追い込まれました。次の国王にはデンマーク王のゲオルギオス1世が即位します。
ゲオルギオス1世は、後のギリシャ王室全員の祖先にあたります。しかし、その後もギリシャ王政は不安定な状態が続きました。
1924年、国民投票によって共和制への移行が決定し、王政は廃止となりました。当時の国王であったコンスタンティノス1世は退位に追い込まれています。
1935年、ギリシャは王政復古を果たし、再び国王による統治が始まりました。しかし、その後すぐに第2次世界大戦が始まった影響で、王政は不安定なままであったといいます。
ギリシャ国王はどんな人?

現在ギリシャの王政は廃止され、国王は存在していません。コンスタンティノス2世の王政を最後とし、現在は共和制が採用されています。
コンスタンティノス2世の後王位を継承するとされていたのは、パウロス王太子でした。1967年5月20日に、コンスタンティノス2世の長男として誕生します。
生後まもなくしてクーデターが起きたため国外に亡命し、イギリス・アメリカで教育を受けて育ちます。王太子として育てられましたが、王位を継承することはありませんでした。
ギリシャ王家のメンバー

パウロス王太子は結婚し、5人の子どもをもうけています。現在は全員ギリシャ国外で生活を送っているようです。
以下で、パウロス王太子の家族で王室のメンバーを紹介していきます。
マリー・シャンタル王太子妃
Embed from Getty Imagesマリー・シャンタル王太子妃は、アメリカのDFSの創業者であるロバート・W・ミラーの次女として生まれました。パウロス王太子とは父の仕事の関係で知り合います。
1995年7月1日、パウロス王太子と結婚しました。王太子との間には、5人の子どもが誕生します。
マリー・シャンタル王太子妃は、「Marie Chantal LLC」という子ども服会社を設立しました。現在はデザイナーとして活躍しています。
また、イラストレーターや絵本作家としても活動をしています。
マリア=オリンピア王女
Embed from Getty Imagesマリア=オリンピア王女は1996年7月25日に第1子として誕生しました。ファッションに関心を寄せ、ニューヨーク大学でファッションに関する勉強に励みました。
現在はモデルとして活躍しています。「ドルチェ&ガッバーナ」のファッションショーに出演し、堂々とした姿を披露したこともありました。
コンスタンティノス・アレクシオス王子
コンスタンティノス・アレクシオス王子は、夫妻の第2子です。1998年10月29日に誕生しました。
芸術に関心をもち、彫刻や絵画などの制作に取り組んでいます。また、モデルとして活躍したこともあり、写真家の写真集で被写体となった経験をもちます。
アキレアス=アンドレアス王子
アキレアス=アンドレアス王子は第3子として誕生しました。誕生日は2000年8月12日です。
現在は姉や兄と同じくアメリカで生活しています。俳優として活躍し、アメリカのドラマや短編映画に出演しています。
オディッセアス=キモン王子
オディッセアス=キモン王子は、第4子です。2004年9月17日に誕生しました。
現在はモデルとして活躍しています。「Gallows Humour」というブランドのモデルを務め、注目を集めています。
アリステイデ・スタウロス王子
アリステイデ・スタウロス王子は、夫妻の第5子で兄弟の末子です。2008年6月29日に誕生しました。
まだ子どもの年齢である王子は、今後の将来が期待されています。多くの王室ファンからの注目を集めているようです。
前国王コンスタンティノス2世はどんな人?
Embed from Getty Images前国王でありギリシャ王国の最後の国王となったのは、コンスタンティノス2世でした。パウロス1世の第2子として生まれ、父の崩御に伴って国王に即位します。
即位したのは1964年です。また、同年にアンナ=マリア王妃と結婚します。
国王が即位した当時、首相はゲルギオス・パパンドレウが務めていました。パパンドレウは様々な改革を行いましたが国王と国軍の指揮権をめぐり争い、1965年に辞任となります。
その出来事がきっかけで、ギリシャ国内は不安定な状態となります。その状況下で、1967年4月21日に軍事クーデターが発生しました。
同年12月13日、国王は政権を取り戻そうと逆クーデターを起こしますがすぐに鎮圧され、家族と共にローマへ亡命することとなりました。
亡命後はギリシャに帰国することが政権に拒否され、ほとんどを海外で過ごします。王政が廃止となった後も外国に拠点を置き、主にロンドンで生活を送りました。
しかし、2013年以降はアテネで晩年を過ごします。2023年1月10日、82歳で崩御しました。
前国王一家はどんな人?
Embed from Getty Imagesコンスタンティノス2世はアンナ=マリア王妃を迎え、5人の子どもをもうけました。外国に亡命しながらも、家族とともに生涯を過ごしています。
ここでは、コンスタンティノス2世の家族について紹介します。
アンナ=マリア王妃
Embed from Getty Imagesアンナ=マリア王妃は、当時のデンマーク王であったフレゼリク9世の三女として誕生しました。姉のマルグレーテ2世は、現在のデンマーク女王です。
王妃が国王と出会ったのは、1959年のことでした。当時の国王夫妻であった両親とともにデンマークを訪問した際、王妃との出会いを果たしています。
2人は1964年9月18日に結婚しました。その後、3男2女の子どもが誕生しています。
アレクシア王女
アレクシア王女は、1965年7月10日に誕生しました。第1子として生まれ、弟のパウロス王太子が生まれるまでは推定相続人として育てられました。
1999年7月9日、スペイン人のカルロス・モラーレス・クインタラと結婚します。夫妻の間には4人の子どもが誕生しました。
現在は家族とともにカナリア諸島で暮らしています。
ニコラオス王子
ニコラオス王子は第3子として生まれました。1969年10月1日、亡命先であるローマにて誕生します。
アメリカで勉強した後、ナットウェストでの勤務を経て、コンスタンティノス2世私設のオフィスで働いています。
2010年8月25日、イベントプランナーのタティアナ・ブラトニクと長年の交際の末、結婚に至りました。
セオドラ王女
セオドラ王女は夫妻の第4子です。1983年6月9日、ロンドンのパディントンで誕生しました。誕生時にはすでに王政が廃止されていました。
セオドラ王女は「セオドラ・グリース」と名乗り、女優として活躍しています。これまでドラマや映画などに出演しました。
2018年11月16日に、弁護士のマシュー・クマールとの婚約を発表しています。
フィリッポス王子
フィリッポス王子は第5子で、兄弟の末子です。1986年4月26日、ロンドンのパディントンで誕生しました。
アメリカで勉強した後、ニューヨークのヘッジファンドで勤務しています。2020年にはスイスの実業家であるニナ・フロアと結婚しました。
ギリシャの王制は国民投票で廃止されている

コンスタンティノス2世を最後に、ギリシャ王国の王政は廃止されました。廃止以降は共和制となり、現在はギリシャ共和国として存在しています。
王政の廃止は、国民投票によって決められました。最初に王政が廃止されたのは、1924年です。当時の国王は、コンスタンティノス1世でした。
国民投票により王政は廃止され、コンスタンティノス1世は退位となります。一度ギリシャは共和制に移行しましたが、1935年11月に王政復古が行われました。
しかし、復活した王政は長く続きません。二度目の廃止の始まりは、コンスタンティノス2世がクーデターに失敗し、ローマに亡命したところまで遡ります。
国王がいなくなったギリシャ国内では、名目上は立憲君主制で政治が行われていました。しかし、1973年6月、クーデターを指揮したパパドプロスが大統領になることを宣言します。
パパドプロスと軍事政権は、同時にコンスタンティノス2世の廃位を宣告しました。それに伴い、1973年7月29日に王政の廃止を決める国民投票が開催されます。
当時のギリシャ国民は、オイルショックによる不況もあり、政治に対する不満を高めていました。その結果、およそ8割の票を集めて王政の廃止が決定しています。
王室メンバーは国外で生活している

王政が廃止され、コンスタンティノス2世は国外を拠点に生活することとなりました。亡命先はローマでしたが、その後イギリスに移住しています。
コンスタンティノス2世夫妻は、1980年にイギリスのロンドンにギリシャ人学校を設立しました。子どもたちはその学校に通学しました。
亡命時から外国で過ごしていた王室メンバーは、現在も外国を拠点に生活しています。イギリスやアメリカなど、様々な場所でそれぞれのメンバーが活躍しているようです。
世界の王室をもっと詳しく知りたいときは

ギリシャ王国は王政が廃止され、現在は共和国として存在しています。ギリシャ王家のメンバーはそれぞれ自分の得意分野を活かし、外国で活動中です。
ギリシャ王室は衰退してしまいましたが、世界にはまだ数多くの王室が存在しています。中には強く興味を引かれるような、魅力的な王室もあるでしょう。
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