フランス国王は現在もいるの?歴代国王やフランス革命以降の君主・王政廃止・名目上のフランス国王についても大公開

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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フランスの国王について、歴史の授業で勉強した方も多いと思います。

フランス革命で国王が処刑されたという事実は知っていても、それまでの詳しい歴史やその後の国王の家系がどうなったかまで詳しく知っている方は、そう多くはないのではないでしょうか。

本記事では、フランスの国王の現在や、これまでのフランス国王の歴史についてご紹介しています。

知らなかった事実も多くあるかと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

フランス国王は現在もいるの?

フランスの国王は現在はいません。1789年に起こったフランス革命でルイ16世マリー・アントワネットが処刑されたことで王政が廃止されました。

フランス国王は現在は存在しませんが、王家の血筋は現在も続いており、現オルレアン家の当主であるジャン・ドルレアンが名目上のフランス国王となっています。

ジャン・ドルレアンについては後述しますが、フランス国王は現在もいないということはまずしっかりと認識しておきましょう。

フランスの歴代国王

フランスの歴代国王は以下のような歴史を辿っています。

  • カロリング朝
  • カペー朝
  • ヴァロワ朝
  • ランカスター家
  • ヴァロワ=オルレアン家
  • ヴァロワ=アングレーム家
  • ブルボン朝

これらの王朝を説明するには、フランスの起源から解説する必要があります。フランスはもともと、メロヴィング朝が開いたフランク王国という国でした。

後述しますが、このフランク王国が後々のフランス・ドイツ・イギリスになります。

ここからは、フランク王国を最初に築いたメロヴィング家の次に開かれた、カロリング朝から順番にご紹介していきます。

カロリング朝

カロリング朝はメロヴィング朝の次にフランク王国を支配していた王朝で、751年に宮宰であるピピン3世がメロヴィング朝を倒して開いた王朝です。

宮宰とは、元々は王の執事のような役割でしたが、次第に王の代わりに公務に携わるようになり、徐々に権力を持つようになった存在のことです。

716年にアウストラシア国王の宮宰であるカール・マルテルがネウストリア、ブルグントの両分国を抑え、720年にフランク王国すべての宮宰に就くことになります。

これにより、カール・マルテルは王国全土の実権を握ることに成功します。

751年にカール・マルテルの子であるピピンがメロヴィング朝を倒し、カロリング朝を開きました。また、ピピンの跡を継いだのが息子であるカール大帝です。

814年にカール大帝が亡くなると、フランク王国は内乱状態へと発展しました。しかし、843年のヴェルダン条約により、この内乱は終息します。

ヴェルダン条約はフランク王国を東フランク王国と西フランク王国、中フランク王国の3つに分割し、カール大帝の子であるルイ1世の3人の息子たちによって為されます。

東フランク王国は次男のルイ2世、中フランク王国は長男のロタール1世、西フランク王国は三男のシャルル2世が領有することが決定されました。

この3つの王国は統一されることはなく、東フランク王国はドイツ、東フランク王国はフランス、中東フランク王国はイタリアの母体となっています。

西フランク王国を領有していたシャルル2世が亡くなったあと、西フランク王国は短命な君主が続きます。

987年、最後の君主であったルイ5世が後継者を残さないまま亡くなったことで、カロリング朝は終わりを迎えました。

カペー朝

カペー朝は987年にカロリング朝が断絶した際に、国民がロベール家のユーグ・カペーをフランス王に選んだことで始まりました。

カロリング家を滅ぼして王となったわけではなく、国民から選ばれたことで王となった最初の人物です。

このカペー朝が開かれたことで、フランク王国はフランス王国となりました。

ユーグ・カペーはカロリング家以外から選出された王ではありますが、ユーグ・カペーの父であるユーグ大公はフランス北部を領有する由緒正しき生まれの人物です。

1382年にフランス王であったシャルル4世がなくなり、カペー朝の男系は断絶してしまいます。

シャルル4世の娘であったイザベラがエドワード3世という息子を生んでいましたが、エドワード3世はイングランドの国王となっていました。

なので、シャルル4世の従兄弟であるヴァロワ家のフィリップが新たにフランスの王座に就くことになります。

しかし、エドワード3世はこれに反発し、フランスへの侵攻を決め、英仏100年戦争へと発展します。

ヴァロワ朝

ヴァロワ朝は1382年にシャルル4世が亡くなり、従兄弟であったヴァロワ家のフィリップ6世がフランスの王座に就いたことで開かれます。

ヴァロワ朝はフィリップ6世からジャン2世、シャルル5世と続きます。

シャルル5世の次に王となったシャルル6世は精神の病があり、フランス国内では内乱が起こるようになりました。

そのとき、イングランドではエドワード3世の次に王となったリチャード2世がランカスター公のヘンリー4世により王位を追われ、ランカスター朝が開かれます。

ヘンリー4世の息子であるヘンリー5世はフランスの内乱に乗じてフランスの王位継承権を獲得しますが、南フランスへの遠征中に亡くなってしまいます。

その後はヘンリー5世とシャルル6世の娘との間に生まれたヘンリー6世がイングランドとフランス、両国の王として即位しました。

ランカスター家

ランカスター家はヘンリー6世が王位についたことで王家となった家系です。

ですが、ランカスター家は王位を強引に奪ったような形でしたので、国民からは疑問の声が上がっていました。

同じくエドワード3世の子から出たヨーク家が同等の王位継承権を主張しており、1455年にバラ戦争が勃発します。

このバラ戦争ではヨーク家が勝利し、ヨーク朝が開かれることになります。

ヴァロワ=オルレアン家

ヴァロワ=オルレアン家はフランスの王家であるヴァロワ家の支流のひとつです。

ヴァロワ朝3代目の王であったシャルル5世が次男であるルイ1世に対してオルレアン公の爵位を設けたことが始まりとされています。

ルイ1世は精神に病を抱えるシャルル6世の代わりに政治の実権を握ろうとしますが、最終的には暗殺されて亡くなってしまいます。

ルイ1世の息子であるシャルルはイングランドで25年に渡り捕虜として生活をしていました。

シャルルがフランスに帰国後、息子であるルイを授かります。ルイは1498年にルイ12世としてフランスの王位を継ぐことになります。

ヴァロワ=アングレーム家

ヴァロワ=アングレーム家もオルレアン家と同じくヴァロワ家の支流のひとつで、オルレアン公であるルイの息子ジャンがアングレーム伯に除されたことが始まりです。

ジャンの孫であるフランソワ1世が1515年にルイ12世の死去を受けてフランス王に即位します。

その後はアンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と5代に渡って王を継承してきましたが、1589年にアンリ3世が暗殺されたことで終わりを迎えます。

ブルボン朝

ブルボン朝はヴァロワ朝が終わりを迎えたあと、1589年から1792年に起こったフランス革命まで、1814年から1830年の七月革命までの二度、王位に就いた王朝です。

ブルボン家の起源はフランス中部にあるブルボンという地域の城主の娘であるベアトリスとフランス王ルイ9世の息子であるロベールとの結婚が始まりです。

ヴァロワ朝が断絶したあと、ブルボン家のアンリ4世が即位して始まります。

アンリ4世のあとはルイ13世、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と続くため、ルイ王朝の別名もあります。

ブルボン朝でフランスは絶対王政を築き、国民からの反発を招くことになります。

フランス革命以降の君主

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フランス革命で王政を廃止したあと、フランス国内では革命前の状態に戻そうとする派閥や、改革を徹底させようとする派閥の対立で不安定な状態でした。

そのときに支持を受けたのがナポレオンです。ナポレオンは様々な遠征で名声を得た後、1799年のクーデターで総裁政府を倒し、皇帝の地位につきました。

フランス革命後は、ナポレオンが国を導いたと言えるでしょう。

フランスは王政を廃止した

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フランス革命により、ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されたことでフランスは王政を廃止しました。

ブルボン朝の絶対王政後は国民公会が設立され、共和政を宣言しています。共和政は選挙で選ばれた人物を国の代表とする政治です。

名目上のフランス国王がいるって本当?

現在、フランスには国王はいませんが、名目上で国王とされている人物は存在します。

ここからは、現在のフランス国王に最も近い人物について、詳しくご紹介していきます。

オルレアン家の当主ジャン・ドルレアン氏

ジャン・ドルレアン氏は旧王家であるオルレアン家の当主で、現在は名目上のフランス国王ジャン4世です。

多くの人々に支持されているため、名目上ではフランスの国王としての存在となっています。

家系

ジャン・ドルレアン氏は1965年5月19日にパリの伯爵であるアンリとヴュルテンベルク王家であるフィリップ・アルプレヒトの娘であるマリーの間の第4子として誕生しました。

1987年に祖父のパリ伯であるアンリ6世によって、ヴァンドーム公に叙爵されました。

2006年には障害を抱える兄のフランソワに代わり、正式に後継者に指名され、2019年1月21日に父のパリ伯の称号も受け継いでいます。

2019年に王位請求者となる

ジャン・ドルレアン氏は旧王家の現当主であるため、王位継承者であると言われています。

王位請求者とは、王位継承順位の筆頭にある人物のことで、現在、フランスの王位に最も近い存在と言えるでしょう。

現在のフランス社会に貴族はいるの?

フランスの貴族制度は過去に廃止されているため、一般的には存在しないとされています。

公式な貴族は存在しませんが、ナポレオンが樹立したフランス第一帝政によって1805年に権利が制限された形にはなりますが、貴族階級が一時的に復活した出来事があります。

法的な権利や政治的な権利もありませんが、自らを貴族と名乗る家系は一定数存在するようです。

王室はなくなったがフランス王家の血筋は続いている

現在のフランスに王室はありませんが、ジャン・ドルレアン氏のように王家の血を引いている人物は存在します。

フランスの王政が復活するかどうかはわかりませんが、今後のフランスの政治には注目したいところです。

世界の王室を詳しく知りたいときは

本記事ではフランスの現在の国王や歴代の国王についてご紹介していきました。当サイトでは、フランスだけでなく様々な国の王室や歴史についてご紹介しています。

世界の歴史に興味があるのであれば、あなたが求める知識もきっと見つかると思います。

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