皇室や王室のことについて調べていると、ふと気になってくることがあります。それは、外国王室に嫁いだ日本人はいるのかという疑問です。
同じ国内で、国民から皇室や王室に嫁ぐお話はシンデレラストーリーとしてよくありますし、実際多くの事例が存在します。
しかし、国境を越えて王室に嫁ぐというお話はあまり聞きませんよね…。
今回の記事では、王族と結婚した日本人について紹介します。
王族と結婚した日本人がいる?

実はそこまで広く知られていないだけで、外国王室に嫁いだ日本人は多くいらっしゃいます。
それぞれの結婚には背景や意味合いがあり、それは愛であったり、両国間の友好の証であったりと様々です。
今では国際結婚が広く認知されていますが、国際結婚という言葉が存在しなかった時代に王族と結婚した日本人もいらっしゃいます。
国を跨いだ結婚というだけでも様々な障壁があることが想像できますが、王族となるとしきたりや伝統など様々な点で困難があったことでしょう。
困難の中で、王族と結婚した日本人の方々はどのような人生を歩み、日本と関係を築いてきたのでしょうか。
今回は、その疑問に迫ります。
各国王族との結婚の実績を紹介

それでは、実際にどのような方が王族と結婚したのでしょうか。ここでは各国王族との結婚の実績を見ていきましょう。
ウブドの元王族に嫁いだマンデラさん

ウブドは、バリ島の山側に位置する場所にある1つの村です。「バリ文化の中心地」ともいわれており、圧巻の大自然によって日本人観光客も増えてきています。
渓谷を見下ろすように建てられた「ロイヤルピタマハ」は、王族の伝統を大切にしたリゾートホテルです。実はこちらのホテルは、代々ウブド王族の子孫が運営してきました。
そこへ嫁いだのが、マンデラ恵子さん。愛知県出身で、美術大学で勤務されていた経歴があります。
1984年に学長の依頼でジャワ島の遺跡修復に同行した際、旦那さまのお父さまにみそめられ、「息子の嫁に」と猛烈なアピールを受けたことがきっかけだそうです。
最初はバリよりもパリに憧れを抱いていたため、アプローチを受けるつもりはありませんでした。
しかし、徐々に旦那さまのお人柄やバリ伝統の魅力を知っていったことで、アプローチを受け入れる気持ちへと変わりました。
旦那さまはウブドの元王族であり、ご先祖さまが創設したバリの伝統的な舞踊を披露する歌舞団の団長を勤めていたといいます。
熱心にバリ舞踊の伝統を継承しようとする姿に感銘を受け、興味を持ったそうです。
しかし、マンデラ恵子さんのご両親はこの結婚に猛反対。なぜなら、マンデラ恵子さんの実家は非常に厳格であり、古いしきたりを重んじていたからです。
結婚に反対されている間、マンデラ恵子さんと旦那さまは、日本とバリ島で文通をしながら愛を育んでいたといいます。
そのような中、旦那さまが来日しマンデラ恵子さんのご両親と対面。彼の人柄や日本文化への深い愛情・信仰心を理解し、ご両親はついに結婚に許しを出しました。
こうして、1988年にお二人はようやく結婚。今では、マンデラ恵子さんは「ロイヤルピタマハ」のコーディネーターとして活躍されています。
ウブドの王族のしきたりやバリの伝統を大切に守りながら、日本人としての繊細なセンスを生かして、今もバリ島で暮らしていらっしゃいます。
オマーン国王に嫁いだ女性と娘

オマーン国とは、アラビア海に面し、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の下部に位置する国です。絶対君主制の国であり、日本との交流があるイメージはありませんよね。
しかし、1935年にオマーン国王は来日しており、そこである日本人女性と運命的な出会いを果たします。
当時のオマーン国王は、身分を隠してお忍びの世界旅行を度々していました。その中の国の1つが、日本だったのです。
オマーン国王は日本を訪れ、神戸のダンスホールへと赴きます。その際、ダンスホールで踊るある女性に目を奪われました。
それが、後に結婚することになる大山清子さんです。当時19歳だった清子さんに対し、オマーン国王は当時40歳近く。
オマーン国王の熱烈なアピールに大変戸惑ったといいますが、彼の熱意に徐々に心を開くようになり、お二人は強く愛し合うようになりました。
しかし、清子さんのご両親は結婚に猛反対。
なぜならアラブの国では一夫多妻制であり、彼にはすでに6人の妻と6人の子供がいたこと、そして国際結婚への不安があったからです。
そして、ご両親はオマーン国王にある条件を言い渡します。
「娘と結婚したいのであれば、日本に住んでください。」
オマーン国王は大変悩みました。彼はオマーンの国王であり、国の君主としての立場があったからです。
しかし、最終的に彼は国王の座を捨てて清子さんと共に暮らすことを選びます。
実は、結婚後数年が経過するまで、彼は国王であったことをご両親にも清子さんにもお話していません。よほどの強い思いや愛情があったことが窺えます。
1年間の準備期間を経て彼は日本に正式に移住し、晴れて清子さんと結婚しました。お二人は神戸に立派な邸宅を建て、裕福に暮らしたといいます。
そうして、幸せな結婚生活の1年後、二人の間に娘が誕生しました。その名は節子と名付けられました。
しかし、結婚生活は長く続かず、オマーン国王が一時帰国している間に清子さんは病で帰らぬ人となってしまいました。彼は大変嘆き悲しんだといいます。
1939年、オマーン国王は最愛の娘である節子さんに王族の財産を譲ろうとオマーンへと連れていきました。
しかし、そこで不幸にも「大東亜戦争」が開戦。イギリスと結びつきが強いオマーンは日本の敵国となり、簡単には日本に戻れなくなってしまいました。
身を案じたオマーン国王は、王族の相続権を節子さんに与えます。
しかし太平洋戦争が終結した頃、オマーン国王も帰らぬ人となってしまい、節子さんは王族に引き取られることになりました。
このような経緯で、節子さんはオマーンで王族となり、ブサイナ妃と名付けられたのです。日本人との混血の方が王族になるとは、非常に珍しい境遇です。
節子さんは、清子さんの死後40年が経過してようやく日本の地に再び降り立ちました。戦争という悲しい事態がもう起こらないことを祈るばかりです。
朝鮮・李垠(イ・ウン)に嫁いだ女性

李垠(イ・ウン)は、朝鮮李王国最後の皇太子です。そこへ、1人の皇族女性が嫁ぎました。その名は李方子(り・まさこ)さん。
1901年に、梨本宮守正王と伊都子妃の長女として生まれた女性です。
彼女が15歳のとき、ふと目を通していた新聞で朝鮮皇太子の李垠(イ・ウン)と自身の婚約が決まったことを知ります。
せめて新聞に載る前に知りたかったと大変ショックを受けたそうです。
この婚約決定の目的は「日本と朝鮮の架け橋」「日本と朝鮮の融和の礎」になるという、政治的な観点からの強制的な結婚でした。
しかし、彼女は自分の運命を受け入れ、李垠(イ・ウン)に嫁ぐために強かでありました。
反対もせず、朝鮮式の髪型に変えるなどして温かな家庭を築こうと強い気持ちでいたのです。こうして、1920年には結婚式が挙げられました。
政略的な結婚ではありましたが、お2人はお互いに愛し合い、支え合って生きていたといいます。
日本と韓国は歴史的・政治的に苦しい時期だったため様々な苦労を強いられた人生でしたが、李垠(イ・ウン)が帰らぬ人となってからは韓国で福祉事業に多く貢献されています。
寄付金を集めるために日本と韓国の間を100回以上往復し、晩年には韓国で尊敬を集める女性となりました。
亡くなった後は韓国において準国葬の扱いとなり、多くの韓国人から追悼されています。
今では尊敬する女性として必ず名前を挙げられるほど、韓国では偉大な存在となっています。
彼女は間違いなく「日本と朝鮮の架け橋」であり、「日本と朝鮮の融和の礎」となったといえるでしょう。
日本人以外でも国を越えた王族結婚も多い

ここまで日本人が国外へ嫁いだ例を紹介しましたが、日本人以外でも国際的な結婚を果たした王族も多くいらっしゃいます。
メーガン(サセックス公爵夫人)
Embed from Getty Imagesメーガン妃については、多くの方がご存知なのではないでしょうか。
米国で生まれた彼女は女優として活動し、2011年に出演した「SUITS」というドラマでは、レイチェル役として注目を集めていました。
2011年に映画制作会社の社長と結婚するも2年後に離婚。2016年に共通の友人によって、メーガン妃とヘンリー王子は出会うこととなりました。
帰国後も連絡を絶やさず、仕事の合間を縫って英国まで行くなど、お互いに真剣な交際をしていたといいます。
その1年後には婚約を発表し、2018年に結婚。結婚式のパレードには12万人もの人が集まりました。
その後もお二人の仲睦まじい様子がよくメディアに取り上げられており、周囲の方から「ハネムーン期の延長だ」と度々いわれています。
しかし、2020年には英国王室をヘンリー王子とともに脱退しており、これからも目が離せません。
アレクサンドラ・オブ・デンマーク
Embed from Getty Imagesアレクサンドラ・オブ・デンマークは、デンマーク出身のイギリス王妃です。彼女は名家に生まれましたが、決して裕福ではなく、自分で服を作る生活を送っていました。
しかし、彼女のご両親はデンマーク王族の血筋があり、当時継承者がいないことから父親がデンマーク次期国王に選出されたのです。
ここからは、王族としての生活が始まります。こうして彼女は、美貌の王女としてヨーロッパ中から縁談が申し込まれるほど素敵に成長しました。
その頃イギリスでは、問題児エドワード7世に女遊びをやめさせるために「早く結婚させなくては」と母親であるヴィクトリア女王が躍起になります。
そこで推薦されたのがアレクサンドラ・オブ・デンマークです。
彼女はこの縁談に対し良い思いを抱いていませんでしたが、実際に会うと意気投合し、結婚の話も進んだといいます。
エドワード7世のスキャンダルやエドワード7世の父親の崩御など、度重なる不運を乗り越え、2人は結婚しました。
その後、アレクサンドラ・オブ・デンマークは60年余り以上をイギリスで過ごし、様々な功績を残しています。
民間人と王族は結婚できる?

時代が大きく変わる中、王室や皇室のしきたりも少し変わりつつあります。100年ほど前であれば、身分違いの結婚は断固として許されない国が多くありました。
そのため、上記で紹介したような日本人が王族と結婚する事例はもとい、国を越えて王族と結婚する民間人などいないのが普通だったのです。
国によってその程度の違いはありますが、王家の結婚ならば相手も王家でなければなりませんでした。
たとえ位の高い貴族であったとしても、身分が少しでも違うのであれば認められないのが当時の流れだったのです。
しかし、時代を経て民間人と王族の結婚は許されるようになってきました。
もちろん、ここまで紹介してきたように、多くの方が様々な困難と立ち向かわなければならない事態になってしまっています。
それでもその困難を乗り越えた結婚であれば、民間からも温かい声援が送られるような自由な時代です。
現代は王族には必ずパパラッチが付き、少しのスキャンダルでも大きく取り上げられる時代となってしまいました。
しかし、それでも人を愛することに関しては、当人の思いが本物であれば自由であるべきだと感じますね。
イギリス王室における結婚に関するルール
実は、世界の王室の中でも特にイギリス王室は結婚に関するルールが多くあることで有名です。ここでは、イギリス王室における結婚に関するルールをご紹介します。
民間人でも結婚できる
イギリス王室では、前述のメーガン妃のように民間人であっても結婚が可能です。しかし、そのためには王・女王の許可がなければなりません。
許可が下りなければ王室での結婚はNGとなり、王室を抜けるか・結婚を諦めるかの2択が迫られます。
なお結婚の承認が必要なのは、王位継承順位が6番目までの場合です。
結婚しても王・女王になれるとは限らない
イギリス王室では、結婚したからといって必ず王・女王になれるわけではありません。
エリザベス女王の場合、夫のフィリップ殿下は王の称号を有していませんでした。なぜなら、彼はギリシャ人であったためです。
かつてのウィリアム3世とメアリー2世は、共同統治者としてお二人が王位の座につきましたが、こちらは例外です。
王・女王の称号はあくまでも「王冠を受け継いだもの」にのみ適用されます。
イギリス王室と日本の皇室は密接に関連している
Embed from Getty Imagesイギリス王室と日本の皇室は、密接に関連していることをご存知ですか?両者は深い友好関係であり、互いに様々なイベントに出席して親しんでいます。
1940年 祝電のやり取り
1940年、日本の皇室である昭和天皇とイギリス王室のジョージ国王は、複数回にわたってやり取りを重ねており、開戦直前まで親しく交流していました。
皇紀2600年・三笠宮様結婚への祝電・昭和天皇の叔母である恒久王妃昌子内親王の逝去への弔電など、複数回にわたってやり取りしていたことがわかっています。
1971年 昭和天皇訪英
Embed from Getty Images1971年には、昭和天皇が半世紀ぶりにイギリスを訪れました。
間に第二次世界大戦を挟んでおり、お互いに敵だったことで緊張状態でしたが、エリザベス女王が以下のようにおっしゃったことで窮地を救われたといいます。
「いつも平和で友好的な関係であったとはいえないが、過去の経験があることでこのような不幸が二度とあってはならないと決意できる。」
1975年にはエリザベス女王が来日されましたが、こうした経緯があり今も友好的な関係が続いているといえるのです。
2015年 ウィリアム王子の訪日
Embed from Getty Images2015年には、ウィリアム王子が日本を訪れました。現上皇ご夫妻がウィリアム王子を昼食に招き、仲睦まじくお食事をしたそうです。
ウィリアム王子は滞在中に日本の様々な歴史に触れ、イギリスのテクノロジーを紹介するなど公務をこなし、帰国されました。
こうしたお互いの度重なる関わりに支えられ、現在も日本の皇室とイギリスの王室は親戚のような関係を築いています。
王族と皇室の交流により関係が修復された側面も

1945年に第二次世界戦争が終結するまで、日本は様々な国と戦争を起こしてきました。そのため、戦争が終結した現代でも多くの人の心の中にお互いへの思いが燻っています。
それゆえに、王族と皇室が交流することに良い思いを抱かない方も多くいらっしゃいます。
実際、1998年に上皇さまがイギリスを訪問された際も、旧日本軍の捕虜になった経験のある元軍人から反発の声が上がっていました。
抗議活動が進められており、歓迎ムードではなかったのです。上皇さまは、訪英中に改めて戦争について触れられ、過去への思いや今のつながりへの感謝を伝えました。
エリザベス女王も、先述のように今の両国のつながりを大切にしようと訴えています。
次の世代にもこの姿勢は受け継がれており、このような交流を筆頭に両国の関係は修復されてきているといえるでしょう。
各国王族の関連についてより詳しく知りたい方はこちら

多くの障壁を乗り越えて国際結婚を果たした日本人や、外国王室と日本の関係性について紹介しましたがいかがでしたか?
過去の戦争で苦難を強いられたものの、現代では友好的な関係を築けるよう様々な交流がなされていることもおわかりいただけたかと思います。
各国王族について、より詳しく知りたい方は、ぜひ当サイトの別記事をご覧ください。
今回取り上げたイギリス王室以外にも、フランス・ギリシャ・デンマーク・サウジアラビアなど様々な国の王族について取り上げております。
ぜひご覧になってみてください。