恋多き女性といわれたマーガレット王女|生い立ち・恋愛・美しいと話題の孫たちについても紹介

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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Princess Margaret visits the new Docklands development in London, UK, July 1987. (Photo by Tim Graham/Getty Images)

マーガレット王女はイギリスを代表するセレブリティとして、そして多くのスキャンダルを起こした女性としても有名です。

恋多き女性といわれており、生い立ちが気になる方も多いでしょう。

そこで本記事では、恋多き女性といわれたマーガレット王女についてご紹介します。生い立ち・恋愛・美しいと話題の孫たちについても解説するのでチェックしてみてください。

マーガレット王女のプロフィール・略歴 

恋多き女性と知られるマーガレット王女ですが、どのようなプロフィールの方なのでしょうか。

マーガレット王女は、王室の中でも有数の上流階級の育ちを受けた方であり、高貴な方にあたります。

ここでは、マーガレット王女のプロフィールや略歴をご紹介します。

プロフィール

マーガレット王女は、1930年イギリスの王室として、エリザベス2世女王の第二女として誕生しました。

音楽・ダンス・旅行などのさまざまな趣味を持っており、王室の女性ながらも異色の人生を送っています。そのため、プライベートにおける話題も非常に魅力的な方です。

また、1953年にプリンセス・フィリップと結婚し、王室の中でもかなりのセレブであることがうかがえます。

マーガレット王女は2002年に亡くなりましたが、亡くなった後も彼女を追悼する記事や番組が度々放送されています。

それほど高い人気を誇っており、マーガレット王女を知ることはイギリス王室を学ぶ上でも有意義とされている程です。

略歴 

マーガレット王女は先述したとおり、1930年にイギリス王室のエリザベス2世女王の第二女として誕生しました。

王室は厳格なイメージを持つ方が多いですが、マーガレット王女は王室の中でも自由な人生を生きている方だといわれます。

それは、王室の仕事をしながら、音楽や芸術関連の趣味に熱心であったためです。

趣味に熱心であったことから、王室中でも高い人気を誇っており、芸能界の著名人やセレブリティ界の方たちとも交流をされていました。

その後彼女は、イギリスのアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚し、2人の子供にも恵まれています。

2002年に亡くなった彼女ですが、現在もイギリスの多くの国民から愛されている女性であり、非常に高い人気を誇っています。

マーガレット王女ってどんな女性? 

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マーガレット王女は、王室の中でも多彩な趣味を持っていたことから、王室内外で有名であり多数の方からの人気を集めていました。

しかし、自由奔放なイメージを持たれるかもしれませんが、実はロンドン大学総長を努めるなどの実績が豊富な方でもあります。

ここでは、マーガレット王女がどのような女性なのかをご紹介します。

ジョージ6世第2王女 

マーガレット王女は、正式にはジョージ6世第2王女です。これはエリザベス2世女王の第二女であることを意味しています。

以前はイギリス王室は男性子孫が優先的に王位を継承していました。しかし2013年王位継承法改正で、性別にかかわらず長子先継に変更されています。

エリザベス女王の妹

マーガレット王女は、ジョージ6世とエリザベス女王との間の子供であり、エリザベス2世女王の妹です。

生まれた時期はほぼ同じではありますが、王室の位階が生まれた順番で決まります。

そのため、エリザベス2世王女はマーガレット女王よりも位階が上です。

そのため、エリザベス2世女王は、国王としてだけでなく女王としての役割を担っていました。

一方でマーガレット王女は、エリザベス2世女王に次ぐ位階の持ち主であるため、王室の中でもかなりのセレブです。

そして、兄妹としてだけでなく王室の中でも親密な関係を維持しており、エリザベス2世女王のサポート役として国内外のさまざまな活動に参加していました。

ロンドン大学総長なども務める 

マーガレット王女は、エリザベス2世女王のサポートを務める傍らで、他にもさまざまな責任ある立場を努められています。

そのひとつが、1956年~1957年まで務め上げたロンドン大学総長の立場です。マーガレット王女は王室の中でも珍しく、学問的な背景を持ち合わせていました。

1940年代~1950年代にかけて、ロンドンのゲインズバーグ宮殿にて、王室の中でも有数の上流階級の教育を受けたのです。

その結果、ロンドン大学総長という権威ある立場も務められました。さらに、その他の国際的な活動も広く行っています。

イギリス王室の代表として各国を訪問したり、1960年代~1970年代にかけてはイギリス政府や国際機関から招待を受けて国際会議などにも参加しています。

このようにエリザベス2世女王のサポートとしてはもちろん、国際的な数々のイベントにもイギリスの代表として活躍していたのです。

マーガレット王女の生い立ちは 

マーガレット王女はエリザベス2世女王のサポートを行いながら、ご自身でも権威ある立場を務められるなど、幅広く活躍されていたことをご紹介しました。

彼女を深く知るには、生い立ちにも注目してみると良いでしょう。彼女は、1930年8月21日にロンドンのグレース・マリア・ハウス病院で誕生します。

そして、1939年9月3日に第二次世界大戦が始まりますが、その際にマーガレット王女はスコットランドのスロニー城へと避難します。

スロニー城は、イギリス王室の方々の避難場所でした。そして、1945年5月に第二次世界大戦が終わると、ロンドンに戻って有数の上流階級の教育を受けるようになります。

その後、1952年2月6日にエリザベス2世女王が即位され、マーガレット王女も国際的な活動を務めるようになります。

1960年に、マーガレット王女はアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚しました。

王室の中でも活躍を見せる彼女ですが、プライベートでも非常に話題を呼び、人気を集めていきます。

そして2002年2月9日、長年患っていた脳卒中のため、71歳で亡くなりました。

マーガレット王女は美人で恋多き女性? 

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王室での活躍だけでなく、プライベートでも注目を集め、多くの方から愛されているマーガレット王女。

なぜここまで人気を博しているかというと、恋多き女性だったからともいわれています。実は、彼女は非常に美しく、愛情を求める性格でした。

上流階級の教育を受けて王室の仕事に取り組むとともに、音楽や芸術にも熱心に取り組んだ彼女ですが、自由な生き方を楽しんでいたといわれています。

その結果、王室の中では珍しく芸能界の方やセレブリティな方との交流も多く、多くの方から人気を集め恋も楽しんでいたといわれています。

マーガレット王女の恋愛遍歴 

恋多き女性であったといわれるマーガレット王女ですが、どのような恋愛遍歴があるのでしょうか。

実は数々の男性と浮名を流しており、結婚歴もあります。そこでここでは、マーガレット王女の恋愛遍歴をご紹介します。

数々の男性と浮名を流す 

マーガレット王女は、結婚する以前に数々の男性と浮名を流していたといわれていることをご存じでしょうか。

上流階級の数々の男性と恋愛を楽しんでいたといわれているのです。

これは、その美しさも相まって、当時のイギリス王室の中で非常に高い人気を集めていたためだといわれています。

タウンゼント大佐と出会う 

数々の上流階級の男性との浮名を流す中、マーガレット王女は運命の出会いを果たします。その相手が、タウンゼント大佐です。

タウンゼント大佐は、イギリス空軍の司令官であり、人気もある人物でした。2人の出会いは、1953年のことでした。

一目ぼれで出会った2人でしたが、16歳という年齢差とタウンゼント大佐に離婚歴があることから、周囲からタウンゼント大佐との結婚は反対にあいました。

複雑な関係もあり、結婚は実現せず分かれることとなり、マーガレット王女は1961年にアンソニー・アームストロング・ジョーンズと結婚することとなります。

アンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚 

タウンゼント大佐とは結ばれなかったマーガレット王女ですが、その後アンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚します。

アンソニー・アームストロング=ジョーンズは、当時写真家をしており、スノードン伯爵として叙爵されて結婚したのです。2人の子供にも恵まれました。

しかし、ファッション業界の女性たちとの不倫スキャンダルを引き起こしてしまいます。

そして、そのスキャンダルをきっかけにマーガレット王女は家族から孤立することとなります。

この経緯は、瞬く間にイギリス全土に知れ渡り、アンソニー・アームストロング=ジョーンズとの結婚はイギリス王室史上最も有名なものとなりました。

さらに、過去の数々の男性との浮名を流してきたことやタウンゼント大佐との熱愛なども相まって、マーガレット王女はトラブルメーカーのアン王女とも呼ばれることとなります。

離婚 

マーガレット王女は、アンソニー・アームストロング=ジョーンズとの結婚後、2人の子供にも恵まれました。

しかし、アンソニー・アームストロング=ジョーンズの不倫により、スキャンダルが報じられ始めます。

また、アンソニー・アームストロング=ジョーンズが不倫したことで、マーガレット王女もまた再び男性との浮名を流すようになっていきました。

その結果、2人は1978年に離婚します。

マーガレット王女の子供は? 

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マーガレット王女は数々の男性との浮名を流してきましたが、結婚に至った男性はアンソニー・アームストロング=ジョーンズだけです。

そのため、子供も彼との間でできた2人だけです。それでは、子供はどのような人物なのでしょうか。ここでは、マーガレット王女の子供についてご紹介します。

マーガレット王女の息子 

1人目はマーガレット王女の息子であり、デイヴィッド・アームストロング=ジョーンズといいます。

現在は、父親であるアンソニー・アームストロング=ジョーンズの爵位を継承し、第2代スノードン伯爵を名乗っているようです。結婚し子供も2人います。

もともと大学時代には木工について学んでいましたが、卒業後に工務店に就職しました。そこでは、家具のデザイナーとして活躍していたそうです。

しかし、その後オーダーメイド家具を扱うデイヴィッド・リンリー家具店を開いています。もちろんその仕事の傍らで王室成員としての役目も務めています。

マーガレット王女の娘 

2人目は、マーガレット王女の娘であるサラ・チャットです。現在は、芸術家であるダニエル・チャットと結婚しています。

2人の子供も出産しているようです。また、サラ・チャットはチャールズ皇太子とダイアナ皇太子妃の結婚式にて、ブライズメイドを務めています。

ブライズメイドとは、花嫁介添人のことです。また、、デイヴィッド・アームストロング=ジョーンズ同様に王室としての仕事も務めているようです。

マーガレット王女の孫たちは美男・美女って本当?

マーガレット王女には先述したように息子と娘がおり、その2人にもそれぞれ2人の子供たちがいます。

まずデイヴィッド・アームストロング=ジョーンズの子供ですが、チャールズ・アームストロング=ジョーンズレディ・マーガリタ・アームストロング=ジョーンズといいます。

チャールズ・アームストロング=ジョーンズは、ラフバラー大学で製品設計工学を専攻していました。

レディ・マーガリタ・アームストロング=ジョーンズは、オックスフォード・ブルックス大学に在籍しているようです。

次にサラ・チャットの子供たちですが、サミュエル・チャットアーサー・チャットといいます。

サミュエル・チャットは現在アーティストとして活動中です。アーサー・チャットは現在イギリスの海軍兵学校に在籍しています。

4人の孫たちは美男美女であり、ロイヤルファンからも高い人気を誇っています。

王家の情報について知りたいなら 

マーガレット王女は、1930年に王室の一員として生まれ、その後姉のエリザベス2世王女のサポートとして王室で活躍しました。

一方で、芸術分野にも力を注ぎさまざまな活動を行い、ロンドン大学の総長なども務めています。

しかし、彼女は恋多き女性でもあり、それも踏まえて今なお高い人気を誇っています。

より詳しく王家の情報を知りたいのであれば、マーガレット王女が過去にしてきた活動などにも目を向けると良いでしょう。

イギリスでの彼女の活躍や人気にさらに触れることで、王室についても理解を深められます。

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