朝鮮王朝の歴史|李氏朝鮮の歴史や歴代の王・戦争や事件など詳しく解説します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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朝鮮王朝には長い歴史があります。日本とも深いかかわりがあるため、詳しく知りたいと思っている方も多いのではないでしょうか。

そこで本記事では、朝鮮王朝の歴史についてご紹介します。李氏朝鮮の歴史・歴代の王・戦争・事件なども詳しく解説するので参考にしてください。

朝鮮王朝の歴史は長い 

朝鮮王朝の歴史は非常に長く、現在の北朝鮮と韓国を含む朝鮮半島を治めていました。

歴史は、紀元2世紀の古代朝鮮時代から始まります。朝鮮王朝第1期と呼ばれるこの時代は、紀元2世紀まで続いたとされています。

そして、紀元3世紀からは朝鮮王朝第2期にあたり、中古朝鮮時代と呼ばれる時代です。この時代は紀元7世紀まで続いていました。

紀元7世紀頃から現在までの時代を近代朝鮮時代といいます。現在は朝鮮王朝第3期にあたります。

第1期~第3期まで歴史のある朝鮮王朝ですが、それぞれでさまざまな出来事が起きました。

例えば、古代朝鮮時代には朝鮮王朝が開かれ、朝鮮半島を統治します。中古朝鮮時代には、中国や日本との交流が始まりました。

その結果、文化や技術の発展が進みました。しかし、近代朝鮮時代になると、日本による植民地支配・韓国独立運動・朝鮮半島の分裂などが発生します。

このように朝鮮王朝は非常に長い歴史を持ちますが現在も続いており、韓国においては朝鮮王朝第1期の王族である李氏朝鮮王朝が、今なお継承されています。

三国時代~統一新羅 

朝鮮王朝は、中国史とも密接にかかわっていました。中でも三国時代は、内乱の影響が朝鮮王朝にまで及ぶこともありました。

紀元3世紀~4世紀にかけての時代は、中国の歴史上で最も内乱の激しい期間だといわれています。

中国の書諸侯により、国内は3つの大国に分裂しており、魏・呉・蜀が形成されていました。

それぞれ独立した王朝であり、それぞれが中国の支配を目指して争っていた時代です。

統一新羅とは、紀元4世紀ごろに存在した王朝です。新羅王朝が、北韓(現在の北朝鮮)を支配していた高句麗を倒し、朝鮮半島の統一に成功します。

新羅王朝は朝鮮半島の統一を成功させ、以後約1000年もの間、韓国を支配し続けます。

高麗

高麗とは、紀元3世紀~10世紀にかけて存在した王朝です。かつて高麗は、朝鮮半島の北部を支配していましたが、その後南部に征服の手を広げます。

そして、朝鮮半島全域の統一に成功すると、その後約700年間韓国を支配できました。この王朝が栄えた理由は、中国との貿易でした。

貿易を拡大させ、中国から文化や化学を取り入れ、高度な文明を築いていったといわれています。

その結果、高麗王朝時代には、韓国で初となる文字体系の高麗字を導入しました。

文字の導入により、ますます貿易や文化の発展が進み、韓国史上最も繁栄した王朝といわれています。

李氏朝鮮 

李氏朝鮮は、紀元1392年~1910年にかけて存在した王朝です。もともとは高麗王朝の後継にあたる李氏家族が建国しました。

李氏朝鮮は、韓国の支配を行うと、中国との貿易をより一層深めていき繁栄させていきます。

特に科学技術や文化の面には力を入れており、その結果韓国において初となる、近代的な政治体制を構築し統治をより強固なものとしました。

しかし、李氏朝鮮は1910年に日本によって終わりを迎えます。それまでは、友好関係を結んで李氏朝鮮は繁栄していました。

しかし、1910年に日本によって韓国は合併されることとなり、李氏朝鮮王朝時代は幕を閉じることとなります。

朝鮮王朝の中でも長い李氏朝鮮の歴史 

朝鮮王朝の中でも、代表的な王朝時代をご紹介しました。中でも李氏朝鮮時代の歴史は非常に長く、約500年もの間続いていました。

これは、韓国の歴史上最も長い王朝時代のひとつです。長く繁栄した李氏朝鮮は、今なお韓国の文化や歴史に色濃く影響を残しています。

中でも影響が大きく残っているのが、教育制度です。実は韓国の教育制度は、李氏朝鮮時代のころに統一的なものが導入され、教育水準の向上に成功しました。

李氏朝鮮の歴代の王 

李氏朝鮮の長い歴史をご紹介しましたが、歴代の王にも注目してみましょう。中央集権国家として発展した李氏朝鮮には、歴史に残る王が多数存在します。

ここでは、李氏朝鮮の歴代の王の中でも、特に歴史に名を残した偉大な王をご紹介します。

初代 

李氏朝鮮における歴代の王として、まず注目すべきは初代の王です。初代の王は、李成桂で、朝鮮半島にて初めて本格的な王朝を開いた人物です。

朝鮮半島を統一した彼は、国をより一層強固なものにするべく、中央集権制度を導入しました。

また、軍事政策の強化も進め、軍隊を増強して朝鮮半島を治める基盤をより盤石にしていきます。

さらに、中国との外交にも力を入れて、朝鮮半島の発展を目指します。中でも、儒教文化を推進して学問を進行したことは大きな政策のひとつです。

第十六代~第二十代 

偉業を成し遂げたのは初代だけではありません。特に第16代~第20代までの王は、李氏朝鮮の中でも名を残す王ばかりです。

第16代の王は、李倧です。彼は、クーデターにより即位しました。また、政治にも力を入れており、親明反後金政策などを行っています。

第17代は、李淏。第16代の息子であり、8年間清で人質生活を送った後に王位に就いたといわれています。

しかし、父の屈辱を晴らすために清に対して強い反発の態度を示していました。

第18代は李棩であり、彼は天災地変や未曽有の飢饉を経験し、治めた王です。しかし、これらの対策に心を痛める最中に、34歳の若さで亡くなっています。

第19代の王は、李焞です。彼の時代は、朝鮮建国以来、最も激しい党争が起こった時代でした。

その中でも、彼は非常に有能で、民生の安定化や経済の発展などの多大なる業績を残しました。

第20代の王は、李昀です。彼は非常に聡明で、早くに次期国王の座が約束されていました。

しかし、生母が刑死されたことや自身が病弱なために子供が作れないこともあり、嫡子を残せずに亡くなっています。

第二十一代~第二十五代 

歴代の王をご紹介しましたが、第21代以降も有名な王が多数存在します。順番に見ていきましょう。

第21代の王は、李昑です。彼は、出生の身分が低いにもかかわらず王となり、その後長い治世を誇る優れた人物です。

主な取り組みとしては、蕩平政治が挙げられます。各派閥から人材を広く登用し、派閥間の均衡を図った政策です。

第22代の王は李祘です。彼は、朝鮮の近代化を進めようとした人物であり、宗教の問題にも尽力しました。

第23代は李玜という人物で、わずか10歳で即位した王です。幼いこともあり、摂政による治世が行われていましたが、派閥党争によって混乱し、社会が疲弊することとなります。

第24代は、李烉です。彼はわずか8歳という若さで即位した王であり、李玜と同じく直接政治に口を出せない状態が続いていました。

また、国内は伝染病や水害などに悩み、時刻に近づく列強勢力への対応策も準備できないまま23歳の若さで亡くなりました。

第25代は、李昪です。若いころは反逆罪で流刑となった王族の子として、田畑を耕しながら暮らしていました。

そこに、突然王への即位の話が出てそのまま25代目の王となります。しかし、上手く政治を治められず、酒におぼれてしまい32歳の若さで亡くなります。

第二十六代~ 

ひとつの時代が続くと、素晴らしい治世を行った王もいれば、ほとんど政策を行えずに若くして亡くなるケースもあると気づいた方も多いでしょう。

第26代以降の王についてもご紹介します。第26代の王は、李㷩です。

当時国を疲弊させていた勢道政治を打破し国内政策を行うとともに、攻めてくる西洋諸国への対策としては、鎖国を行うなどして対応しました。

第27代の王は、李坧です。彼は、日本政府の意を受けて即位させられた王であり、朝鮮王朝最後の王です。

日本の侵略を受ける中、次第に主権を失っていき、1910年に日韓併合により李氏王朝の幕を下ろします。

李氏朝鮮で起こった戦争 

李氏朝鮮の歴代の王をご紹介しましたが、朝鮮王朝を学ぶ上では、大きな出来事を学ぶのがおすすめです。

当時、どのような状況だったのかなどが細かく把握できるためです。ここでは、李氏朝鮮で起こった戦争をご紹介します。

李适の乱 

大きな戦争のひとつが、李适の乱です。1545年に勃発したこの内乱は、朝鮮王朝の武官である李适によって引き起こされました。

李适は、政治的にも地位があり、朝鮮王朝の維持に尽力していました。しかし、政策を阻止する者が朝鮮王朝内にいる権力者であることに気づき、内乱を起こします。

しかし、内乱は上手くいかず権力者を排除することにも失敗します。

丙子胡乱 

丙子胡乱は、1636年~1637年にかけて、が李氏朝鮮に対して侵略を行った戦争です。

1627年に、清による朝鮮の侵略が1度行われており、そこから毎年貢物を徴収していました。

そのため、朝鮮内部では清に対する反発意識が高まっている状況でした。その中で、1632年、清が再び貢物の量を増加するように要求します。

これを契機に、朝鮮内部での反発意識はさらに増加し、当時の王である李倧は朝鮮全土に戦線教書を下します。

これに対して清は10万の軍隊で朝鮮を攻撃して、戦争が起こりました。

洪景来の乱 

洪景来の乱とは、1812年に農民によって引き起こされた反乱です。中心人物は洪景来という人物です。

この人物は、没落両班の末裔といわれています。没落両班とは、両班という身分から落とされた者のことです。

この反乱が起こったのは平安道と呼ばれる、清との国境付近でした。この地は清との貿易が盛んで経済が発達している反面、没落両班が多い地域だったのです。

また、この地域は当時の朝鮮内では差別されており、この地の両班は中央では出世できない状態でした。

これらの状況に、不満が爆発したことで洪景来の乱は引き起こされます。没落しつつある両班や没落農民などが中心となり、反乱を起こしますが、同年に鎮圧されました。

李氏朝鮮の王位継承が原因の事件「癸酉靖難」 

歴代の大きな戦争をご紹介しましたが、戦争の中でも特に大きなものが癸酉靖難です。この戦争は、1453年に李氏朝鮮の王位継承が原因で引き起こされました。

ことの発端は第6代王である李弘暐の即位です。彼はまだ11歳という若さでありながら、1452年に即位しました。

しかし、それを良く思わなかったのが李弘暐の叔父である首陽大君です。彼は、その後露骨に王位を狙い始めます。

そして、1453年についにクーデターを引き起こします。幼い李弘暐は首陽大君の反乱に抗えませんでした。

その結果、実質的な王権を奪い、その後王朝内の粛清を始めます。自身に味方しない者に対しては、非常なまでの仕打ちを行ったのです。

この事件は、朝鮮王朝の歴史の中でも、特に非道な事件といわれています。

朝鮮王朝が終わったのはいつ? 

朝鮮王朝はさまざまな王が変わり政治を治めてきました。そして、内乱や戦争などが起きましたが、あらゆる対策を行って長きにわたり続いていきます。

しかし、いつか終わりは訪れるものです。朝鮮王朝はどのようにして終ったのでしょうか。朝鮮王朝は、1910年の日韓併合によって幕を下ろします。

それまでは朝鮮王朝として独立していましたが、1910年には日本に統治されるようになったのです。

朝鮮王朝が終わりを迎えた理由のひとつが、日本による植民地支配です。当時の日本は植民地の拡大を考えており、朝鮮もその内のひとつでした。

これにより、約500年続いた朝鮮王朝の時代は終わりを迎えたのです。

朝鮮王朝は日本とも深い関わりがある 

朝鮮王朝を終わらせた日本ですが、日韓併合以前にも、朝鮮王朝と日本には深いかかわりがあったことをご存じでしょうか。

例えば、日本における室町幕府の時代では、朝鮮王朝との貿易が盛んに行われていました。また、当時は倭寇の問題もあり、朝鮮からは倭寇の禁圧を要求されたこともあります。

一方で、先述したような日本の侵略などでも、密接に関わりがあります。日本と朝鮮王朝の具体的な関わりは、この他にも多数あるため、歴史を紐解いてみると良いでしょう。

世界の王朝や王家の歴史を知りたいなら

朝鮮王朝は、非常に長い歴史を誇ります。歴代の王は、偉大な方も多く国を治めるために行った政策を学ぶと、より世界の歴史を学べるでしょう。

日本や諸外国との関係も踏まえて学ぶとより一層朝鮮王朝のことを知れますので、ぜひチェックしてみてください。

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