北欧は昔から「美人の産地」といわれるほど、美人が多いことで有名です。ここでは、そんな北欧の象徴ともいえるスウェーデン王室をご紹介します。
スウェーデン王室といえば、毎年ノーベル賞授賞式で披露される美麗な正装でもおなじみです。
北欧らしい美貌と個性的な経歴を持つセレブたちがそろったスウェーデン王室は、いまや世界中で注目の的!
国民に慕われるスウェーデン国王、そして世界一美しいと噂の王室メンバーたちのプロフィールを知りたい方はぜひご一読ください。
スウェーデン国王のプロフィールを徹底解説!
Embed from Getty Images現在のスウェーデン国王カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス(カール16世グスタフ)は、1946年4月30日に生まれました。父はスウェーデン王家直系のグスタフ・アドルフ、母はドイツの古王家に源流を持つシビラ妃です。
カール16世グスタフが誕生した当時、王位は彼の曽祖父グスタフ5世の元にありました。
スウェーデンの王位は代々直系男子に受け継がれてきたため、順序としては王位は曽祖父から、祖父・父・そして彼へと続くはずでした。
しかし彼の父グスタフ・アドルフは事故で夭折し、彼はわずか1歳で王位継承権第2位の地位を得ます。やがて祖父グスタフ6世アドルフが国王に即位しますが、次代の王たるカール16世グスタフは当時わずか4歳でした。
その後、前国王グスタフ6世アドルフの逝去にともない1973年に即位。それ以来、長きにわたり王座にあって国民を見守っています。
個人としてのカール16世グスタフは、スマートな紳士です。
若い頃大衆紙に「セクシー」と書かれたすらりとしたスタイルは、年齢を重ねた今も健在。大恋愛の末結婚した妻シルヴィア妃の間に息子のカール・フィリップ王子、さらに2人の娘ヴィクトリアとマデレーンがいます。
スポーツと車を愛するアクティブな面があり、また高校卒業後スウェーデンの空軍で教育を受けるという意外な経歴を持っているそうです。ノーベル賞授賞式のプレゼンターとしてもおなじみです。
スウェーデン王室の歴史
スウェーデン王国は紀元前までさかのぼれる長い歴史を持っています。
古くはヴァイキングが活躍した時代から、中世・近世を経て現代に至るまで、形を変えながら王政は受け継がれてきました。
その壮大な歴史の中から2つの時代をピックアップして解説します。
古王ユングリング家
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最初のスウェーデン王家はユングリング家といわれています。
ユングリング家はスウェーデンとノルウェーを治める領主であったとされています。しかし、確かなことはわかりません。
現在のようなメディアが存在しなかった当時、歴史を伝えるものは宮廷の歴史学者や吟遊詩人たちが口伝で伝えるサガ(伝説)だけでした。
当然のことながら誇張や捏造が繰り返され、その結果初期の王家についてのデータは、わが国の場合と同じくすでに神話の世界と融合しています。
たとえば、伝説によればユングリング家の初代は北欧神話の豊穣の神フレイでした。ユングリング家の家名はフレイの別名ユングヴィから生まれたと考えられています。
現代人の感覚では、伝説化されたいわゆる「どう考えても嘘っぽい」歴史には不満が募ることでしょう。確かにこのような歴史観は正確とはいえませんが、私たちのロマンを掻き立ててくれることは間違いありません。
スウェーデンの人々は、現代でもこの伝説の王家をとても大事にしています。
カルマル同盟
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時代が下って中世後期になると、歴史学を含む学問が盛んになり、歴史的記述はようやく伝説の域を抜け出します。王家の歴史も、口伝ではなく系統立てて記録されるようになっていきました。
さらに近隣諸国との関係性も複雑になっていきます。
スウェーデンはヨーロッパのほぼ北端に位置します。たとえばイタリアやフランスのように、地理的にも政治的にもヨーロッパの中央というわけではありません。
しかし、それだけに他の国との連合は必須でした。北の小国は、ノルウェーやデンマークなど近隣諸国と力を合わせなければ大陸諸国に対抗できなかったのです。
その状況の中で1397年、デンマーク主導でデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの軍事同盟カルマル同盟が発効しました。
同盟といってもその内容は、強国デンマークに他の2国が事実上支配されるという不公平なものでした。
カルマル同盟は王室の歴史を知るうえでとても重要な事件です。なぜならデンマークの支配によって、王家は自ら王を決める権利を失ったからです。
この時代には政略結婚や上からの圧力による王位交替がしばしば行われました。外国の王族との結婚が相次ぎ、王室は他国との政治的文化的融合を余儀なくされます。
やがてスウェーデンはカルマル同盟を脱退して独立の道を歩むことになり、現在に至ります。
スウェーデン王室の家系図
Embed from Getty Images前述したように、スウェーデン王政はとても長い歴史を持っています。その中では、戦争や継嗣断絶により何度も王家が入れ替わってきました。その歴史をざっとおさらいしてみましょう。
初期の王政は、ヴァイキングから連想されるように、武力で確立されたシンプルなものでした。小部族が割拠する、いわば日本の戦国時代のような状況を制したのが前述の初代王朝ユングリング家です。
その後、ムンソ家・ステンキル家などスウェーデンの地方豪族が国を治める時期が続きました。
時代が下ると隣国デンマークや海を挟んだドイツ語圏諸国との複雑な政治関係が始まります。このあたりから他国との政略結婚や廃位による王冠の移譲などが行われ、家系図はどんどん複雑になっていきます。
前述のカルマル同盟によるデンマーク支配の時代には、スウェーデン王室メンバーの中でもデンマークやドイツの家系が絡み合っていました。
しかし、やがてグスタフ・エリクソン・ヴァーサ(グスタフ1世)がデンマークの支配を振り切って王位を獲得し、ヴァーサ朝が始まります。ヴァーサ家から出た王には、名君グスタフ・アドルフ2世や彼の娘クリスティナがいます。
クリスティナが結婚せず直系の子がなかったため、以後王権は傍流の家系が継ぐことになりました。19世紀にはフランスにルーツを持つベルナドッテ家に王権が受け継がれ、この家系が現王家まで継続しています。
こういった血統の複雑さは、文化の複雑さにもつながっています。
多くの国が国境を接するヨーロッパは古くから政略結婚が盛んでした。そのため、どの国でも王家の家系図には近隣のさまざまな国の王族たち(主に女性)が登場しています。
スウェーデンにおいても政略結婚は頻繁であり、嫁いだ女性は政治的な思惑とともにファッションや食文化など母国の文化をも持ち込みました。
ネットのない時代、外国から来た文化に触れる機会はそうありません。他国のプリンセスたちがもたらした文化は、宮廷で大流行したことでしょう。
そういったクロスオーバーが今の北欧の伝統文化を作り上げているともいわれています。
世界一美しいスウェーデン王室のメンバーをご紹介!
Embed from Getty Imagesスウェーデン王家のはるかな歴史に思いを馳せた後は、現在のスウェーデン王室に目を移してみましょう。
今の国王は、前述したカール16世グスタフです。彼には息子1人と娘2人がおり、さらにロイヤルキッズとして国民に愛される孫世代の子どもたちがいます。
その美しすぎる一族の中から、国民の心を惹き付けてやまない方々をご紹介します。
シルヴィア王妃
Embed from Getty Images「現代のシンデレラ」。そんな決まり文句が、違和感なく似合ってしまうのが現国王のパートナー・シルヴィア王妃です。
民間出身で、しかも第二次大戦中に敵国だったドイツの国籍を持つ彼女は、当時民衆から大変な反感を持たれたそうです。しかし1976年の結婚以来変わらず国王を支え続け、仲睦まじい夫婦の姿は今では国民から深く慕われています。
一般女性でありながら国王に見初められたほどの美しさは、世間で高齢者と呼ばれる年齢に達した現在も衰えを知りません。
スウェーデン王室の恒例行事であるノーベル賞授賞式では華麗なドレス姿を披露、毎年それを楽しみにしている国民も少なくないそうです。
ヴィクトリア王太子
Embed from Getty Imagesカール16世グスタフとシルヴィア王妃の間に生まれた長女がヴィクトリア王太子です。
ヴィクトリア王太子は、はっきりした顔立ちと、お母様そっくりの笑顔がとてもチャーミングな女性。
パートナーのダニエル殿下と結婚する際には身分の違いから父王に反対されましたが、それでも愛を貫きついにゴールインしました。美しさとともに芯の強さも持っている女性として国民に愛されています。
ヴィクトリア王太子は最長子相続制度により、現在王位継承権のトップの座に就いています。最長子相続制度とは、性別にかかわらずもっとも年長の子どもが王座を継ぐというルールです。
このまま王位を継いだ場合、スウェーデン王室では歴代4人目となる女王が誕生する見込みです。
ソフィア妃
Embed from Getty Imagesソフィア妃は現国王の長男カール・フィリップ王子のパートナーです。
ヨーロッパ随一の美男美女ロイヤル・カップルとして有名な2人は、旅先で出会ってお互い一目ぼれしたという夢のようなエピソードの持ち主。2015年に結婚式を挙げ、その後生まれた3人の男の子と幸せな家庭を築いています。
民間出身のソフィア妃は元モデルで、それだけに美しさは折り紙付きです。そのあでやかなドレス姿は、国内外のメディアに注目されています。
エステル王女
Embed from Getty Images2012年2月23日、ヴィクトリア王太子と夫ダニエル殿下との間に愛らしい女の子が生まれました。それがエステル王女です。
つややかな金髪をお下げにしたスタイルはまさに国民のアイドル。お母様、そしてお祖母様のシルヴィア王妃ともよく似た愛くるしい笑顔でスウェーデン国民の目を釘付けにしてしまう天性の女王です。
実際にエステル王女は長子であり、母のヴィクトリア王太子の跡を継いで女王になることがすでに決まっています。これによりスウェーデンには女王が2世代続くことになり、女王国の誕生に今から期待が高まっています。
レオネール王女
Embed from Getty Imagesやわらかな色合いの金髪に色白の肌。まるで絵本の世界から抜け出してきたかのようなレオネール王女は、その愛らしさで国内外の関心を惹き付けています。
母は現国王の次女マデレーン王女です。マデレーン王女がアメリカに渡り、当地で夫のクリストファー・オニール氏と結婚・出産したため、レオネール王女はニューヨークで誕生しました。
その後一家はフロリダへ転居し、やがてストックホルムに戻ります。夫と一男二女の一家になって帰ってきたマデレーン王女を、国民が大歓迎したのはいうまでもありません。
レオネール王女は2014年生まれ。可愛らしい少女とはいえ母親譲りの美貌は隠れなく、早くも将来美人になると噂の的です。
歴代のスウェーデン国王を紹介!
北欧は「サガ」の国。英雄たちが戦いに明け暮れ、吟遊詩人がその功績を歌にする時代が長く続いてきました。初期のスウェーデン国王たちは、伝説のヴェールに覆われています。
あまりに古い時代では、実在さえ疑われる伝説の王が大勢いました。この時代の王たちは長編叙事詩「ユングリング家のサガ」でその名を確かめることができますが、あくまでも伝説であり信ぴょう性には欠けています。
やがて時代は中世を経て大航海時代へと移ります。北海には商船が行き来し、その利益を巡って北海周辺の小国はしばしば衝突しました。
その時代のスウェーデンでもっとも著名な国王は、なんといってもグスタフ・アドルフ2世でしょう。
彼は、生涯のほとんどを戦いに費やし「北方の獅子」の異名をとった勇猛果敢なスウェーデン国王です。傭兵部隊を率いて領土を拡張した彼は、名将として今も歴史に名を残しています。
彼とその娘のクリスティナの時代に、スウェーデンはスウェーデン帝国(バルト帝国)といわれる大国を築き上げました。
グスタフ・アドルフ2世の娘スウェーデン女王クリスティナもまた、優れた君主でした。
クリスティナは、哲学者デカルトをはじめ多くの知識人との交流で知られています。知性の光で内面から輝く、北欧女性の元祖といえそうです。
近代以降のスウェーデン王たちは、スウェーデンがヨーロッパの複雑な政治の中で周囲と上手く調和し、独自の地位を得られるように働いてきました。
それは結果としてノーベル平和賞に代表されるような調和のとれた国家の姿を生み出しました。
北欧といえば「福祉国家」を思い浮かべる方も多いことでしょう。物質よりも心の豊かさやゆとりを尊重するスウェーデンの特徴は、こうした歴史から生まれたものです。そして現在もなお、その系譜は続いています。
現代の国王たちは、その業績よりもむしろ驚くべきご長寿で有名です。前王グスタフ6世アドルフは90歳、さらにその前の国王グスタフ5世は92歳で崩御するまで国王を務めました。
現王陛下も高齢ですが衰えの兆しは見えず、先代に負けないご長寿が期待されています。
スウェーデン王室のメンバーの経歴がすごい!
スウェーデン王室のメンバーは、個性豊かな方ばかり。その中からここでは、カール・フィリップ王子の豊かな才能に焦点を当てます。
また身分違いの恋を乗り越えて結ばれた2人の王族の物語もご紹介します。
王室メンバーとの結婚は世間では「玉の輿」といわれますが、そこにあるのは単純なシンデレラストーリーだけではありません。知られざる努力の物語もあったのです。
王室メンバーたちの、ユニークな経歴をご覧ください。
カール・フィリップ王子
Embed from Getty Imagesヨーロッパ王室の中でも「イケメン王子」で通っているカール・フィリップ王子は、豊かな才能の持ち主。スポーツ全般が得意で、さらに芸術的な素養も持つというマルチタレントぶりです。
多彩な趣味の中でもとりわけ得意なスキーでは、国内の大会に出場した経験も持っています。また父君譲りのモータースポーツの腕も一流で、大会にも出場しています。
グラフィックデザインを学んだ経験もあり、なんとソフィア妃へ贈ったエンゲージリングも自らがデザインしたものだそうです。
ダニエル王子
Embed from Getty Images結婚によって他家に入る苦労は、女性だけのものとは限りません。
王太子ヴィクトリアのパートナー、ダニエル殿下は民間出身の男性です。スポーツ施設の経営者だった彼は、ジムで王太子ヴィクトリアと出会いました。
彼女は当時、王太子としての責任の重圧から拒食症になり、治療後の体力づくりのためにジムに通っていたのです。担当トレーナーと王太子、そんな立場の違いを超えて2人は恋に落ち結婚の約束を交わします。
しかし、国王も国民もこの結婚に大反対。ごく普通の教育を受け一般的な職に就いている男性が、いずれ女王になる女性と結婚するのは不適切とみなされたのです。
ダニエル殿下は王家にふさわしい教養とマナーを備えた男性を目指して猛勉強に励みました。王室推薦の教師について歴史や語学、王室メンバーとしての公務を学び、それから8年後に2人はついに結婚します。
愛する女性のため7年にわたって修行を続けたダニエル王子の、誠実な人柄が読み取れるエピソードです。
ソフィア妃
Embed from Getty Images民間出身で、しかもグラビアアイドルという異例の過去を持つソフィア妃。テレビのリアリティ番組にも出演し隠すことなく恋愛観を語っていた彼女に、王室も国民も最初は反感を覚えていたそうです。
しかし2人はくじけることなく愛を育み、交際から4年の年月をかけて結ばれました。
王子との婚約時代、ソフィア妃は社会活動に従事するなど、国民の模範となる行動を積極的にとっています。美しさだけでなく内面にも磨きをかけて王室にふさわしい女性になったのです。
そんな頑張り屋の彼女の行動は国民の心を掴み、今ではパートナーのカール・フィリップ王子とともに「王室の美しすぎる夫婦」と慕われています。
スウェーデン王室と日本の皇室の関係性とは?
スウェーデン王室と日本の皇室は、数々の行事を通して緊密な関係を築いています。
現国王は在位が長いため外国を公式訪問した回数も多く、わが国も現時点で16回来日されています。
1970年に当時皇太子の身分で大阪万博に参加されたのを皮切りに、1985年のつくば科学技術博や1998年の長野冬季オリンピックなどのイベントに参加しました。また、スウェーデンの文化を紹介するキャンペーンにも来賓としてたびたび出席しています。
1989年に昭和天皇が崩御された際の大喪の礼にはシルヴィア妃を伴い出席。翌1990年、今の上皇陛下が天皇陛下になられた際にも即位式に出席され、皇室とのご縁を深めています。
2019年10月には、現在の天皇陛下の即位式に出席しています。
この時は王太子ヴィクトリア殿下も父君とともに参加されました。次世代まで二国間の交流が続くことが期待されます。
世界の王室についてもっと知りたいときは
![](https://pointdevue-japon.com/wp-content/uploads/2023/03/holidays-1283014_1280-1024x682.jpg)
美しすぎる王室・スウェーデン王家の歴史と今をご紹介しました。
ノーベル賞授賞式で見せる華やかなドレスの陰で、知られざる努力をしてきたスウェーデン王室のプリンセスたち。彼女たちの美しさは、北欧の女性たちが持つ強く誇り高い精神が作り出したものなのかもしれません。
内面も外面も美しい彼女たちは、これからも私たちを魅了し続けることでしょう。
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