「もう一つの天皇家」ともいわれる旧皇族をご存知ですか?皇位継承権を持つ男性皇族の数が減少していく中、かつて皇族であった旧皇族が注目を集めています。
旧皇族は旧宮家ともいわれており、戦後に皇籍離脱した元皇族を指します。
皇族復帰の可能性も議論されている旧皇族について、この記事ではその歴史を一緒に紐解いていきましょう。
旧皇族の概要について
旧皇族は皇籍離脱をした元皇族といわれても、なかなかイメージが付きにくいですよね。ここではその概要についてもう少し詳しくご紹介します。
11宮家51名を指すことが多い
旧皇族とは、11宮家51名を指すことが多いです。そもそも宮家とは、皇族の血筋を途絶えさせない目的で作られた皇族の下支えのような存在でした。
明治時代に入り、天皇制を固めようとしていた政府により多くの宮家が増設されます。その中に、11宮家が入っているのです。
現存する宮家は、秋篠宮家・常陸宮家・三笠宮家・高円宮家の4つであることからわかるように、宮家は今では小規模となりました。
これは、戦後に昭和天皇のご兄弟の宮家だけを残し、他の11宮家51名は皇籍を離脱することになったからです。
皇籍離脱をした旧皇族は以下となっております。
- 伏見宮家
- 閑院宮家
- 山階宮家
- 北白川宮家
- 梨本宮家
- 久邇宮家
- 賀陽宮家
- 東伏見宮家
- 竹田宮家
- 朝香宮家
- 東久邇宮家
この中で現在も存続しているのは、伏見宮家・久邇宮家・賀陽宮家・竹田宮家・朝香宮家・東久邇宮家の6つです。
「伏見宮系皇族」とも呼ばれる
Embed from Getty Images明治時代に増設された11宮家は全て分家であり、本家は「伏見宮」にあります。そのため、11宮家51名は「伏見宮系皇族」とも呼ばれます。
伏見宮家の歴史は非常に長く、前の見出しにてご紹介した旧皇族の中でも最も古い歴史を持つことが特徴です。
1456年に創設されたという説が濃厚であり、その時代は南北朝時代にまで遡ります。
旧皇族にも皇位継承権がある?
皇籍を離脱したとはいえ、かつては旧皇族にも皇位継承権がありました。そのため、潜在的に皇位継承権があると考えてもおかしくはありません。
実際、皇族の数が減り、皇位継承権を持つ男性皇族が一握りしかいない現状があります。これを解決するために、旧皇族を皇族復帰させようと議論がなされているところです。
とはいえ、皇族は血筋が重んじられます。現在の皇族の血筋と旧皇族の血縁関係は非常に薄く、直接の血筋は室町時代にまで遡らなければなりません。
それ故に、先ほどの議論の際もこの血縁関係の薄さを問題視する声が多く上がりました。
また、仮に皇位継承権を与えたとして、国民から支持を得られるのかという問題点もあります。皇族は国民とは違う、特別な存在です。
戦後からすでに80年近くが過ぎようとしているため、次の世代が生まれてそもそも皇族であった経験のある方も少なくなってきています。
もちろん旧皇族とは子孫も含めてそのように呼びますが、「民間人として長い期間を過ごしてきた彼らが皇族として認められるのだろうか」という懸念が出てしまうかもしれません。
旧皇族にも潜在的な皇位継承権はあるとはいえ、それが正式に認められることはまだ先だといえるでしょう。
「もう一つの天皇家」といわれることも
旧宮家は、「もう一つの天皇家」といわれることもあります。皇籍を離脱したとはいえ、旧宮家と皇室の繋がりが途絶えたわけではありません。
皇室行事や宮中祭祀に参列したり、菊栄親睦会を開いて皇室の親族らで集まったりして、様々な形で皇室との繋がりは保たれています。
民間人になったとはいえ、皇室との繋がりは続いたままという非常に特殊な環境にあるのが旧皇族です。
こうした背景から、皇族の数が減少してきていることも後押しして「もう一つの天皇家」といわれることもあるのです。
しかし、前述のように旧皇族が本当に天皇家もとい皇族として迎え入れられることは現状ないでしょう。迎え入れることがあったとしても、もう少し先のお話になりそうです。
旧皇族の皇籍離脱の歴史
ここまで旧皇族についてご紹介してきましたが、その歴史で一番大切なことに触れていませんでした。
「旧皇族の皇籍離脱」についての歴史です。旧皇族はなぜ皇籍を離脱することになったのでしょうか。ここでは3つのポイントに分けて解説します。
1945年の敗戦を契機に
戦前までは多くの宮家が存在していましたが、戦後には4つの宮家までに縮小されました。この契機はやはり1945年の敗戦にあります。
1945年、日本は昭和天皇による「聖断」により連合国によるポツダム宣言受諾が言い渡されました。
これを機に日本にはGHQの支援が入るようになり、少しずつ皇室にメスを入れられるようになったのです。
従来の皇室の規模を維持できない
皇籍離脱が進められる直接的な要因は、GHQによる皇室財産への思い切った指示でした。皇族の財産を全て調査し、最高税率90%で財産税をかけることにしたのです。
これは皇族の財産のほとんどが国の財産になることを意味し、皇室の経済力が大きく低下したことを指します。
終戦前後の皇室の財政規模はおよそ2500万円となっており、予算の大部分を占めていました。しかし、その財源の大半を失う結果となったのです。
これにより、皇室は当時多く設立されていた11宮家を支える経済力がなくなってしまいました。
皇室典範の規定に基づく
1947年1月には皇室典範が公布され、5月3日からは日本国憲法と同時に施行されました。
この皇室典範では、直系の宮家を除く伏見宮系11宮家51名を皇籍離脱させることが定められています。
当時は、11宮家が皇籍離脱となっても、皇位継承の点で問題ないとされていました。
したがって、11宮家51名は形式上では「自発的な意志」によって旧皇族となることが決められたのです。
同年10月18日にはお別れの夕食会などを済ませ、それぞれに一時金を渡して皇籍を離脱する運びとなりました。こうして、旧皇族が生まれたのです。
皇籍離脱後の旧皇族
皇族を離脱して旧皇族となった方々は、その後どのように暮らしていたのでしょうか。
一時金が支給されたとはいえ、いきなり民間人へとなったので、様々な困難があったことは容易に想像できます。
ここでは、皇籍離脱後の旧皇族の暮らしについて見ていきましょう。
民間人としての活動
「雲の上から落っこちた」とも表現される旧皇族の暮らしの転換ぶりは、彼らに大きな影響を及ぼします。
GHQの指示によって適用された桁外れな財産税もあり、一時金はあっという間になくなってしまったそうです。
民間人として暮らしていくことになりましたが、多くの元皇族はかつての邸地を売ることで凌いでいたといいます。
中でも東久邇宮家の当主は、戦後の首相として抜擢された後に皇籍離脱により公職追放となり、様々な事業を展開しては失敗するという波瀾万丈な人生を送ったようです。
それでも強かに生き、今では民間人として柔軟に暮らしています。大学に進学し、一般企業で働く方もいれば、竹田恒徳さんのようにオリンピックの会長になられる方もいます。
安定が確立されていた状態から民間人という生活スタイルや職業などの選択肢が多い身となり、それぞれの人生を歩んでいるといえるでしょう。
皇室との関わり
すっかり民間人に馴染んだ旧皇族の方々ですが、皇室との関わりがゼロになったわけではありません。旧皇族とはいえ、皇室の親戚である立場は変わらないからです。
「菊栄親睦会」と呼ばれる親睦団体に所属し、現在でも皇室と親しい交流を保っています。
過去には御用邸に招かれた旧皇族もおり、深い関係を維持し続けられてきた様子が伺えます。
宮中祭祀や行事の際は、年齢にかかわらず旧皇族の当主が出席しなければならないことにもなっていることも忘れてはなりません。
さらに天皇誕生日や新年の行事にも参列しています。旧皇族の序列は皇族の後になるため、国民の代表である首相や国会議員よりも前です。
民間人になったとはいえ、旧皇族という言葉の意味からは離れないのが彼らの立ち位置といえます。
旧皇族の構成
Embed from Getty Images旧皇族は、以下の宮家により成り立っています。
- 伏見宮家
- 閑院宮家
- 山階宮家
- 北白川宮家
- 梨本宮家
- 久邇宮家
- 賀陽宮家
- 東伏見宮家
- 竹田宮家
- 朝香宮家
- 東久邇宮家
この中の内、伏見宮・閑院宮・山階宮の3つの概要について見ていきましょう。
伏見宮
伏見宮家は、前述のように宮家の中で最も古い歴史を持ちます。11宮家の本家にあたり、南北朝時代の崇光天皇の第1子である栄仁親王を先祖としています。
伏見宮家は、天皇や上皇の養子・猶子となることで特別に親王の地位が与えられていた宮家です。天皇家の血筋が途絶えないように力添えしてきました。
世襲親王家として、独自の地位を築くことで600年近く続く宮家となったのです。
閑院宮
閑院宮家は江戸時代の四世襲親王家の1つであり、江戸時代中期に創設された宮家です。新井白石が徳川家宣に進言したことで誕生したといわれています。
閑院宮家の2代目である兼仁親王が光格天皇となり、37年にもわたって在位しました。
その皇統は現在の皇族と一直線につながっており、閑院宮家から輩出された光格天皇は「現皇室の祖」とも呼ばれています。しかし現在では断絶しています。
山階宮
山階宮家は、江戸時代後期に創設された宮家です。江戸時代後期は、伏見宮家の邦家親王が多くの子宝に恵まれ、伏見宮系の皇族が大きく隆盛した時代です。
当時親王にならなかった宮家の子弟の多くは寺院の住職となっていましたが、隆盛した状況を見て次々と僧侶から俗人へと戻り、伏見宮家に復籍しました。
こうして設立された内の1つが山階宮家ですが、現在では断絶しています。
皇族についてもっと詳しく知りたい方は
日本の皇族の未来について考えた際、旧皇族の存在は切り離せません。少子高齢化が進み、皇室でも皇位継承権を持つ男性皇族が減少してきている現状があります。
天皇や上皇を含めても5人しかおらず、天皇の次世代にあたる男性皇族は悠仁親王のみです。
女性に皇位継承権を渡すお話も小泉首相の頃には活発にされていましたが、現代ではほとんど取り上げられることがなくなりました。
何より、男性皇族にのみ皇位継承権があることを再認識している状態であり、皇族の未来は崖っぷちに立たされています。
旧皇族は皇籍離脱をしているとはいえ、元は皇族です。次世代として若い男性の方も多く、皇室を途絶えさせないためにも皇族復帰させた方が良いと議論が活発化しています。
これからどうなるかはまだ明確ではありませんが、これからの皇室の課題として大きなものになっていくことは確かでしょう。
当サイトでは、このような皇室の話題について多く取り上げています。ご興味のある方はぜひ他の記事もご覧ください。