高円宮家とは日本の皇室一族の1つで、現在は久子さまが当主を務められています。
現在は女性のみとなっている高円宮家について、気になる方が多いのではないでしょうか。
この記事では高円宮家の歴史を紐解き、承子さま・典子さま・絢子さま・久子さまの経歴・エピソードまで詳しくご紹介していきます。
高円宮家について詳しく知りたい方はぜひご覧ください。
高円宮家とは?
高円宮家は日本の皇族の1つです。
高円宮家は昭和天皇の甥である三笠宮崇仁親王の三男、憲仁さまが1984年の結婚を機に宮号を賜ったのが始まりとされています。
高円宮憲仁さまはスポーツに大変親しみを持っておられました。
特に幼少期に好んで始めたサッカーとは「付かず離れず」と発言しており、日本サッカー協会の名誉総裁を務めるなど、日本におけるサッカーの発展に大変尽力されました。
「高円宮杯」という名前も、憲仁さまに因んだものです。
高円宮家には男児がおらず憲仁さまが亡くなられてからは女性のみの一族として公務を行っております。
そのため、憲仁さまの妻である久子さまやお子さまの薨去または皇室離脱があれば一族は断絶してしまうのです。
高円宮家の歴史
Embed from Getty Images高円宮家の歴史は1984年より始まりました。
その後どのような歴史を辿っているのか、下記で詳しく紹介していきます。
宮号は昭和天皇に賜った
「高円宮家」という宮号は三笠宮崇仁親王の三男である憲仁さまが1984年の結婚を機に、昭和天皇より賜ったものです。
宮号とは一家を立てた際に賜る宮の称号をいいます。
高円宮憲仁さまは2002年に薨去されるまで大変スポーツ業界の振興に務められていたことで有名です。
「高円宮杯」といえばサッカーを思い浮かべる方も多いですが、軟式野球・ホッケー・フェンシングなど高円宮杯と名の付く大会は他にも多く存在しています。
それだけスポーツとの関わりが深い宮家であるとわかるでしょう。
現在は妻である久子さまがご意思を引き継がれ、日本サッカー協会名誉総裁を務めるなど高円宮の名を轟かせています。
男子の跡取りがいない
高円宮憲仁親王と妻の久子さまの間には3人のお子様がいらっしゃいます。
ただし、高円宮憲仁親王と憲仁親王妃久子さまの間に生まれた3人のお子様は皆女性です。
日本の宮家では代々同じ血を受け継ぐ男子が跡取りとなることから、3人のお子様が皆女性である高円宮家では末裔がいないことになります。
3人のお子様のうち2人は結婚され高円宮家を離れているため、現在は妻の久子さまと長女の承子さまが引き継がれているのです。
高円宮家の長女・承子さま
ここからは高円宮憲仁親王と妻の久子さまの間に生まれた3人の女性について詳しく紹介します。
まず初めに長女である承子さまについてお話していきます。
経歴
承子さまは1986年3月8日に東京都は港区で生まれました。
学歴は下記の通りです。
- 松濤幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
- 学習院女子大学国際文化交流学部
- エディンバラ大学人文科学・社会学部(イギリス)
- 早稲田大学国際教養学部
高等科1年次の2002年に父である高円宮憲仁親王を亡くされています。
早稲田大学卒業後は日本ユニセフ協会の嘱託職員(常勤)として勤務を始められました。
父である高円宮憲仁親王が愛したスポーツにも親交を持たれており、
- 全日本アーチェリー連盟名誉総裁
- 日本スカッシュ協会名誉総裁
を務められています。
2人の妹が皇族を抜けられてからは母久子さまを支えながら公務にあたるなど、芯の強い女性像が窺えるでしょう。
長身でおしゃれなプリンセス
高円宮家の長女である承子さまの身長は推定168cmとされており、女性皇族の中では最も高身長であるといわれています。
モデルのようにスラっと伸びた背丈と整ったお顔立ちをされている承子さまは、公務や式典などで公に出る際のファッションにも注目が集まることで有名です。
ネックレスやピアスにもこだわりをお持ちのようで、公務の際に付けられている華美過ぎない洗練されたアクセサリーも度々話題となりました。
「浴衣」や「和装」など日本の伝統的な服装だけでなく、西洋のファッションを取り入れ優雅でおしゃれなスタイルを披露するなど、国内外から常に多くの注目を集めています。
高円宮家の次女・典子さま
続いて高円宮家の次女である典子さまについて紹介していきます。
25歳でご結婚され現在は皇籍を離脱されている典子さまの経歴・ご結婚相手についても深堀します。
経歴
典子さまは1988年7月22日にお生まれになりました。
姉である承子さまとは2歳差で、同じ東京都港区にある愛育病院で生まれています。
幼稚園から学習院の初等科・中等科・高等科を経て学習院大学心理学部に入学・卒業されています。
成年皇族となった2008年からご結婚される2014年までの間は、宮中祭祀・式典への参加や公務へ参加もあったようです。
2014年5月に出雲大社権宮司(当時)の千家国麿さんとの婚約が内定され、10月に結婚の儀が執り行われました。
以後は民間人として過ごされています。
次は旦那様となられた千家国麿さんについて詳しくご紹介したいと思います。
出雲大社権宮司とご結婚
高円宮家の次女である典子さまが出雲大社権宮司である千家国麿さんとご結婚されたことは、大きな話題となりました。
出雲大社権宮司は、日本で最も古い正統神社である出雲大社の司祭です。
典子さまと出雲大社権宮司の結婚は、日本で最も古い正統神社と皇室の血縁が結ばれたことで、両家のみならず日本国民にとって特別な出来事となりました。
典子さまと出雲大社権宮司の結婚式は、出雲大社で行われました。
式は、日本の伝統的な儀式である「大社祭祀」に基づいて行われ、参加者は数千人であったといわれています。
日本中から大変注目された挙式であったことが窺えます。
高円宮家の三女・絢子さま
高円宮家の三女、絢子さまは1990年9月15日にお生まれになりました。
絢子さまも2018年のご結婚を機に、現在は皇室を離脱されています。
絢子さまは、さまざまな資格を取得されるなど、社会福祉や世界中の子どもたちに目を向け務められていた方です。
その経歴とご結婚相手について詳しく後述していきます。
経歴
高円宮絢子さまも、上のお姉さま2人同様、松濤幼稚園の卒園後は学習院へ進学され高等科まで在籍をしておられました。
その後、福祉に深い関心を持っていた絢子さまは学習院大学ではなく、城西国際大学福祉総合学部へ進学されました。
この頃から高円宮邸を離れ、大学のそばにある住宅で共同生活を送られていたそうです。
子ども福祉コースを選択し、単純に子どもとの関わりを持つだけでなく心理学にも触れ、虐待されている子どもとの関わり方についても学ばれていたとされています。
在学中にカナダへ渡り高齢者施設やチャイルドケア施設を訪れ、日本だけでなく世界の福祉のあり方にも目を向けられるなど、熱心に勉学に励まれていた様子が窺えますね。
保育士と社会福祉士の資格を取得しますが、卒業後はすぐに就職はせず同大学部の研究員に就任されたそうです。
また、父である高円宮憲仁親王が愛したサッカーにも関心を持ち、大学在学時はサッカー部のマネージャーも務めたといわれています。
守谷慧さんとご結婚
絢子さまは2018年に日本郵船社員でありNPO法人「国境なき子どもたち」の理事を務めていた守谷慧さんとご結婚されました。
守屋慧さんは1986年のお生まれで絢子さまの4歳上にあたります。
両親の仕事の関係で幼少期をパリで過ごし、大学は名門である慶応義塾大学へ進学されています進学されています。
高校在学中にスイスへの留学、大学在学中にはかの有名なオックスフォード大学へ短期留学されるなど、常に世界へ目を向け勉学に励まれていたようです。
理事を務めた「国境なき子どもたち」とはストリートチルドレンなど支援の行き届いていない子どもたちを救うために尽力されている団体です。
絢子さまとは、同団体の専務理事を務めていた守谷慧さんの母親と、絢子さまの母である憲仁親王妃久子さまが親しい仲であったことがきっかけで出会いました。
子どもたちの健やかな成長や福祉のあり方について熱心に学ばれていたお2人なので、お互いへの理解や敬意が深まってご結婚へとつながったのかもしれませんね。
高円宮妃久子さま
高円宮憲仁親王の妃である久子さまは1953年のお生まれで、1984年のご結婚を機に皇族の仲間入りをしました。
2002年に夫である高円宮憲仁親王を亡くされましたが、当主として高円宮家を守り続けている姿は、国民から高い信頼と評価を得ております。
下記では久子さまの経歴・当主としての立ち居振る舞い・現在のご活動について詳しく後述していきます。
経歴
久子さまは東京都渋谷区にある聖心女子学院附属幼稚園に入園されています。
卒園後は父親の仕事の関係でニューヨークへ渡米、一度帰国し初等科・中等科へ進みますが卒業後はまた父親の転勤に伴いロンドンへ渡英されています。
大学はケンブリッジ大学ガートン・ガレッジへ進学、中国学・人類学・考古学を専攻し学ばれたそうです。
幼少期から世界を回った経験があることから語学が堪能であり、卒業後は翻訳会社へ就職されました。
憲仁親王との出会いは、久子さまが三笠宮崇仁親王の公務の際に通訳・助手を務めたことがきっかけとされています。三笠宮崇仁親王は昭和天皇の弟で憲仁親王の父にあたります。
ご結婚後は3人の子女に恵まれました。
憲仁親王とともにサッカーの振興に協力し、2002年には夫婦で日韓ワールドカップを観戦、韓国へ公式訪問されています。
高円宮憲仁親王薨去後は当主となる
夫である高円宮憲仁親王は47歳という若さで薨去されました。お2人の間には男の子が生まれていないため、現在は女性のみの宮家として当主を務めあげています。
女性宮家の創設が禁止されている日本では、内親王が当主を務めた例は稀有です。
高円宮家に残られている久子さま、長女の承子さまの薨去または皇籍離脱をもって高円宮家は途絶えることとなっています。
現在のご活動
久子さまは現在も幅広くさまざまな活動を展開されています。
宮殿行事や「高円宮杯」と名の付くさまざまな大会への臨席もあったようです。
憲仁親王が生前務められていた日本サッカー協会の名誉総裁を受け継がれるなど、いまでも夫の活動に誇りを持っておられることが窺えるでしょう。
また、婦人画報など雑誌の連載を引き受けるなど、国民へ自身の言葉を届け寄り添う活動を行っています。
久子さまの活動から、皇族でありながらも国民との距離を感じさせないような取り組みに尽力される姿勢が窺え、現在も強い支持を受けている理由がわかりますね。
高円宮家は女性だけの宮家
高円宮家は、昭和天皇の甥である憲仁さまの結婚を機に創設された宮家です。高円宮憲仁親王と憲仁親王妃久子さまは3人の子宝に恵まれましたが、3人のお子様は全員女性です。
憲仁親王が亡くなられてからは、女性のみの宮家として公務にあたられています。
そのため、血のつながりがある男子に皇位継承がされる日本では、久子さまと承子さまの薨去または皇室離脱をもって高円宮家は一度絶たれてしまいます。
皇族でありながらも国民に寄り添う活動に尽力し、創設時から変わらず国民の高い支持を集めている宮家です。
皇室のメンバーをもっと詳しく知ろう!
本記事では高円宮家について詳しく紹介してまいりました。日本の皇室は奥が深く他にも魅力ある皇族が大勢いらっしゃいます。
当サイトでは、国内外の皇族について解説している記事を多く取り揃えています。
在籍している方だけでなく、皇籍を抜けられた方についても紹介されていて、皇族の歴史についてしっかりと学ぶことが可能です。
皇室メンバーについてさらに知りたい方・海外の皇族について知識を深めたい方はぜひご覧になってみてください。