フランス王室はなぜ「ルイ」が多い?フランス王室の歴史や現在について詳しく解説します

ライターPOINT DE VUE JAPON編集部
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フランス王室のこれまでの王の名前をみてみると、「ルイ」という名前が多いことが分かります。
フランスのルイ王は18世までおり、「ルイ王朝」と呼ばれる王朝時代もありました。
なぜフランス王室では「ルイ」という名前の王が多かったのでしょうか。「ルイ」という名前には特別な意味があるのか、気になる方もいるでしょう。
フランス王室に「ルイ」が多い理由と併せて、フランス王室の歴史・現在について詳しく解説していきます。
ぜひ、最後までご覧ください。

フランス王室はなぜ「ルイ」が多い?

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フランス王室で特に「ルイ」という名前の王が多かったのはブルボン朝時代です。
ブルボン朝については後述しますが、「ルイ王朝」と呼ばれるほど「ルイ」という名前の王が多く存在していました。
「ルイ」はフランス語圏の男性名であり、英語圏でも使われています。「名高き戦士」の意味があり、クローヴィス1世の名前が由来となっています。
クローヴィス1世はフランス王国の前身であるフランク王国の最初の王朝、メロヴィング朝の王です。
クローヴィスの綴り「Clovis」の「c」の音が抜け、当時は「u」と「v」が混同して使われていた経緯もあり、「ルイ(Louis)」となったといわれています。
フランスを始めとするヨーロッパ圏では王の名前を継承する風習があり、「ルイ」という名前が多く使われていくようになったのです。
フランク王国のカロリング朝時代に権威を誇っていたカール大帝のフランス語読みである「シャルル」を名乗る王も多く、10世を超えています。
他にもフィリップやアンリと名乗った王もいます。ではなぜ、ブルボン朝時代にルイ王が増えたのでしょうか。
ルイ13世が長男に「ルイ」という名前を与えたことが始まりとされています。
そのルイ14世が代々の直系長子に「ルイ」という名前を与えるようにし、そこから伝統になっていったのではという見方もあります。

フランス王室の歴史とは?

フランスでは中世から1870年まで、君主が支配をしていました。主に王を名乗っていましたが、ボナパルト朝では皇帝を名乗っています。

  • カロリング王朝時代
  • カペー朝
  • ヴァロワ朝
  • ブルボン朝時代
  • オルレアン朝時代

下記ではこれら5つの王朝時代について解説していきます。

カロリング朝時代

751年、カロリング家のピピン3世により開かれた王朝です。ピピン3世の子、カール大帝の時に最盛期を迎えます。
西ヨーロッパの大部分が政治的に統一されました。カール大帝は古典文化の復興に力を注ぎ、後にカロリング朝ルネサンスと呼ばれるようになります。
カール大帝の息子、ルイ1世の死後、ベルダン条約により王国は3人の息子に分割されます。その後、それぞれの家が断絶し987年に終わりを迎えました。

カペー朝

カロリング朝時代が終わりを迎えた987年、王位についたロベール家出身のユーグ・カペーによりカペー朝時代は始まります。
家督を継いだ当時のユーグ・カペーはまだ幼く、多くの領土を失っていました。しかし王位を継承し、彼の子孫は勢力を回復させていきます。
カペー家は男系で血統を繋ぎ続け、フランス革命・ナポレオン時代を除く七月王政まで800年以上王権を保ちました。
カペー朝時代は1382年、シャルル4世が男子の相続人がいないまま亡くなったことで終わりを迎えています。当
時はフランス王室の解体に向かっていましたが、歴代国王が男子の跡継ぎに恵まれ王位の世襲化に成功したことにより解体を免れていました。
第9代の国王ルイ9世は封建制と王政を一体化した「封建王政」を確立します。

ヴァロワ朝

カペー家の支流であるヴァロワ家のフィリップ6世により、ヴァロワ朝時代が始まります。
当時のイングランド国王エドワード3世がカペー家の血筋であったことから、フランス王位やフランス北部の領土を欲し、1337年に百年戦争が始まりました。
イングランド軍に押されていたフランス軍でしたが、シャルル7世の時代に現れたジャンヌ・ダルクの活躍によって1453年に勝利を手にします。
事実上のフランス統一を果たしたヴァロワ朝はイタリアにも目を向けるようになり、イタリア戦争が始まります。
その後、スペインとの対立やハプスブルク家の挟み撃ちなどにより国力が衰え、国内でも権力闘争などが起こりました。
そして1589年、第13代国王アンリ3世が暗殺されます。アンリ3世には子供がおらず、ヴァロワ朝は終焉となります。

ブルボン朝時代

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ヴァロワ朝の末期には王家支流がほとんど断絶しており、遠縁筋のブルボン家の分家のアンリ4世によってブルボン朝時代が始まります。
ルイ14世の時代には絶対王政を築き上げます。しかし度重なる戦争などによりフランス革命が起き、1792年に王政が廃止されました。
ナポレオン1世による統治が始まりますが、ロシア遠征に失敗し1814年に失脚します。
そしてルイ18世がフランス国王となり、ブルボン朝は復活を遂げました。ルイ18世死後、弟のシャルル10世が絶対王政の復活を目指します。
しかし1830年、反発する市民による七月革命が起きブルボン朝は終わりを迎えます。

オルレアン朝時代

七月革命によってシャルル10世がイギリスへ亡命し、ブルボン家の支流オルレアン家のルイ・フィリップが王になります。
立憲君主制の王政で、「7月王政」と呼ばれています。1848年に起きた2月革命で倒されました。
典型的なブルジョワ支配体制を敷き、貴族制や世襲制の廃止を実施しました。

フランス最初の王室は?

フランス王室の起源はフランク王国とされています。フランスはという名前は、フランク王国の「フランク」の発音が変化したものです。
フランク王国は5世紀後半、ゲルマン人の部族であるフランク人によって建てられました。
カール大帝の時代にはフランス・ドイツ・イタリア北部など西ヨーロッパのほとんどを統治していました。
カロリング朝時代にフランク王国は東・中・西の3つに分れ、西フランク王国がフランス王国の母体となります。

フランス王室の現在

フランス王室は現在、どうなっているのでしょうか。

  • フランス王室は現在存在しない?
  • 階級や制度は継続している?
  • フランス人は王政復古に賛成している?

下記ではこれら3つの疑問点に注目し、フランス王室の現在の姿に迫っていきます。

フランス王室は現在存在しない?

結論から述べると、フランス王室は存在しておりません。1848年に起きた二月革命で当時の王ルイ・フィリップが廃位したことにより、フランス王国は終わりました。
しかしフランス王国の王の血筋は未だに途切れておらず、オルレアン家当主、ジャン・ドッレアンが名目上ではフランス国王ジャン4世となっています。

階級や制度は継続している?

フランスではオルレアン朝時代に貴族制度が廃止されています。そのため公式的には貴族は存在しませんが、現在も存在しているといわれています。
当時のフランス貴族の末裔の中には、未だに自分たちは貴族と考えている方がいるためです。
また公的なものではありませんが、「フランス貴族相互支援協会」という協会が存在しています。
1930年代に設立され、困窮した貴族たちの支援が主な目的です。そして、貴族の調査や認定も行っています。
古文書などをもとに貴族の血統証明の申請をしてきた方々の血筋などを調べ、正真正銘の貴族と判明したら貴族として承認します。

フランス人は王政復古に賛成している?

フランス革命の例から分かるように、フランス人は王族や貴族に対しては友好的とはいえません。
フランスには今も貴族の末裔がいますが表立った存在ではないのも、こういった背景があるからではと考える方もいます。
そのような状況の中では、王政復古に賛成しているフランス人は多いとはいえないでしょう。

フランス王室の家系図

フランス王室は主に次の3つの家系に分けることができます。

  • カペー家
  • ヴァロワ家
  • ブルボン家

カペー家はフランス王室の本家であり、ヴァロワ家・ブルボン家は分家となります。
カペー家・ヴァロワ家は断絶していますが、ブルボン家の血筋が今も受け継がれているため、血統としては今も残っているといえるでしょう。
ブルボン家は現在のスペイン王室となっており、ルクセンブルク大公家もブルボン家の末裔です。

フランス王室の宗教の変遷

フランス王室は王朝の変化と共に、宗教も変遷してきました。フランス王室の宗教はどのように変遷していったのでしょうか。
下記ではフランス王室の宗教の変遷について見ていきます。

カトリック

フランスとカトリックの繋がりはフランク王国の時代から始まります。クローヴィス1世が洗礼を受けたことで始まったといわれています。
1098年にシトー派修道院が設立され、どんどん影響力を拡大していきました。
しかし16世紀に始まった宗教改革により、当時の国王だったフランソワ1世によって迫害されるようになります。
フランス革命後からは啓蒙思想が台頭し始め、カトリックから距離を置く勢力も出始めます。
さらに自然科学の発達により、人々はカトリック教会に対して違和感を覚え始めるのです。
フランス人とカトリック教会の距離はどんどん離れていき、1905年に政教分離法が成立しました。

ユダヤ教

中世のフランスでも反ユダヤの考えは浸透していましたが、フランス革命後にユダヤ人の解放が認められるようになります。
しかしそれでも反ユダヤの考えは完全には消え去りません。フランス王政廃止後の第三共和制時代のユダヤ人社会では同化主義に傾くユダヤ人もいました。
そのような中、反ユダヤ主義によるドレフュス事件と呼ばれる陰謀事件も起きました。

フランスは王政復古を経験している?

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ブルボン王朝時代にフランスは王政廃止を経験しています。フランス革命によりルイ16世が廃位・処刑されフランス王室は終わりを迎えたのです。
その後ナポレオンによって軍事国家へと変わっていきました。しかし第六次対仏大同盟がナポレオンを倒し、王政が復活します。
復古王政は1814年から七月革命が起きる1830年まで続きました。

フランス王室について詳しく知りたいときは

フランス王室についてもっと知りたい方はぜひ、当サイトをご覧ください。
当サイトではフランス王室だけでなく、フランス王室の血筋であるスペイン王室の情報など様々な王室の情報を紹介しています。
今まであなたが知らなかった王室の意外な一面を知ることができるでしょう。

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